緊急事態宣言が月末まで延長された。昨年のことを思えば、そして最近の大阪や愛知・福岡の窮状を見れば、十分に予想されたことなので驚きはない。私事になるが、昨日、実に三ヶ月振りに出社(@港区)した。毎年恒例の生活習慣病検診(@渋谷)があったためだが、宣言下でも人流は変わらないように思った。近所の公園で遊びまくっている子供たちや見守る親御さんたちを見ていても、コロナ疲れは否めない。それなのに、スガさんの木で鼻を括ったような国民向けメッセージは、なんとかならないものか。
まあ本来は、こうしてコロナ慣れして行くのが自然な流れであって、歓迎すべきところのはずだ。問題は日本の医療体制であろう。今さらファクターXもないのだが、かつての欧米と比べて一桁以上も少ない感染状況の日本で、一人当たり病床数は世界一だと豪語していたのに、まさか医療崩壊の危機に瀕してしまうとは、誰が予想しただろう。一年前と比較すれば進歩したとは言え、民間医療が8割の日本では公衆衛生としての感染症対応がなお脆弱で、平時は「医は仁術」でやっていけることは大いに誇ってよいが、有事に所詮は「医は算術」だと言われればそれまでで、その弱点が晒されてしまったのは痛恨の極みであろう。この一年の間、政治や医師会は何をやっていたのだろう。
池江璃花子さんのSNS上で辞退を求める投稿が相次いでいるらしい。可哀想に、お門違いもいいところだ。
客観的に見て、欧米ではなく日本でオリパラ開催されることになっていたのは幸運だったと思う(半年前までは)。開催に向けて心配されるのは、医療従事者がオリパラ対応で駆り出されて、医療逼迫しかねないことだろう。それなら、各国にリスク負担して貰えばよいと思うし、そもそもスポーツ・イベントなどは日本以外にも世界中で開催されていて、オリパラだって分散開催すればそれほど問題はないはずだ。要はやりようなのだが、そのあたりの検討状況がよく見えない。
いずれにしても、医療体制に問題があるとすれば、ワクチン接種によって集団免疫するまでの我慢である。諸外国に比しコロナ関連の死亡者数が極端に少なく成功例としてもよいほどで(例えば超過死亡を見れば、一目瞭然)、しかもワクチンを警戒する日本で、ワクチン接種が遅れているのは、ある程度は仕方ないことだと思う。むしろ、コロナ禍で打ちのめされた米・英が、一発逆転、ワクチン接種に賭けた事情はよく分かるし、実際に戦略的に進めて見事に克服しつつある危機対応能力はさすがだと言わざるを得ない。そこでワクチンの有効性が確認され、ワクチンの初期分捕り合いが緩和されて、ワクチン開発できなかった日本でもワクチン接種がやおら進むのは、まあ順当なところだと諦めるほかない。問題は、先の大戦でも指摘された、日本のロジスティクスの脆弱さだ。医療従事者?高齢者?その後?の先が見えない。貧すれば鈍するとは言うが、ここまで落ちぶれるとは思ってもいなかった。
ことほど左様に最近は、先の大戦と、バブル崩壊後の回復の遅れと、このコロナ禍と、三度の敗戦に打ちひしがれている(苦笑)。正直なところ、この日本のポンコツ振りに対して、私たち大人は、戦後76年の歩みを本気で反省しなければならないだろう。これは間違いなく有事の危機対応能力が試されている事案であり、言わば安全保障意識が問われていると言ってもよい。最近、台湾海峡の有事を心配する向きがあり、台湾海峡危機は即、日本の南西諸島の有事でもあると思うが、では日本にその備えがあるのかと問われれば、とてもそうは思えない、絶望的な気持ちに陥っている。
いや、国民一人ひとりの節度と規律を疑うものではない。問題は日本国として、国家として、力を結集できているのかどうか、というところだ。例えば、このコロナ禍で、かつてのメルケル首相のドイツのように、政府は国民を思い、国民は国家を思い、この有事にお互いに信頼感をもって一丸となって対処できているのかどうか。また、政府が代表したとは言えオリパラ開催を引き受け、私たち国民はどこまで盛り立てているのか、足を引っ張っているのではないのか。国民一人ひとりの国家意識・・・などと言えばケチをつけるリベラル派の方々がおられるから、これは「個人」の問題ではなく「公共」の問題だと問いたい。果たして日本人にその覚悟はあるか。
そう言えば、アメリカの建国の父たち(founding fathers)は、民主主義に不信感を持ち、共和主義を唱えたものだった。問われているのは、まさに「公共」の問題意識であろう。
まあ本来は、こうしてコロナ慣れして行くのが自然な流れであって、歓迎すべきところのはずだ。問題は日本の医療体制であろう。今さらファクターXもないのだが、かつての欧米と比べて一桁以上も少ない感染状況の日本で、一人当たり病床数は世界一だと豪語していたのに、まさか医療崩壊の危機に瀕してしまうとは、誰が予想しただろう。一年前と比較すれば進歩したとは言え、民間医療が8割の日本では公衆衛生としての感染症対応がなお脆弱で、平時は「医は仁術」でやっていけることは大いに誇ってよいが、有事に所詮は「医は算術」だと言われればそれまでで、その弱点が晒されてしまったのは痛恨の極みであろう。この一年の間、政治や医師会は何をやっていたのだろう。
池江璃花子さんのSNS上で辞退を求める投稿が相次いでいるらしい。可哀想に、お門違いもいいところだ。
客観的に見て、欧米ではなく日本でオリパラ開催されることになっていたのは幸運だったと思う(半年前までは)。開催に向けて心配されるのは、医療従事者がオリパラ対応で駆り出されて、医療逼迫しかねないことだろう。それなら、各国にリスク負担して貰えばよいと思うし、そもそもスポーツ・イベントなどは日本以外にも世界中で開催されていて、オリパラだって分散開催すればそれほど問題はないはずだ。要はやりようなのだが、そのあたりの検討状況がよく見えない。
いずれにしても、医療体制に問題があるとすれば、ワクチン接種によって集団免疫するまでの我慢である。諸外国に比しコロナ関連の死亡者数が極端に少なく成功例としてもよいほどで(例えば超過死亡を見れば、一目瞭然)、しかもワクチンを警戒する日本で、ワクチン接種が遅れているのは、ある程度は仕方ないことだと思う。むしろ、コロナ禍で打ちのめされた米・英が、一発逆転、ワクチン接種に賭けた事情はよく分かるし、実際に戦略的に進めて見事に克服しつつある危機対応能力はさすがだと言わざるを得ない。そこでワクチンの有効性が確認され、ワクチンの初期分捕り合いが緩和されて、ワクチン開発できなかった日本でもワクチン接種がやおら進むのは、まあ順当なところだと諦めるほかない。問題は、先の大戦でも指摘された、日本のロジスティクスの脆弱さだ。医療従事者?高齢者?その後?の先が見えない。貧すれば鈍するとは言うが、ここまで落ちぶれるとは思ってもいなかった。
ことほど左様に最近は、先の大戦と、バブル崩壊後の回復の遅れと、このコロナ禍と、三度の敗戦に打ちひしがれている(苦笑)。正直なところ、この日本のポンコツ振りに対して、私たち大人は、戦後76年の歩みを本気で反省しなければならないだろう。これは間違いなく有事の危機対応能力が試されている事案であり、言わば安全保障意識が問われていると言ってもよい。最近、台湾海峡の有事を心配する向きがあり、台湾海峡危機は即、日本の南西諸島の有事でもあると思うが、では日本にその備えがあるのかと問われれば、とてもそうは思えない、絶望的な気持ちに陥っている。
いや、国民一人ひとりの節度と規律を疑うものではない。問題は日本国として、国家として、力を結集できているのかどうか、というところだ。例えば、このコロナ禍で、かつてのメルケル首相のドイツのように、政府は国民を思い、国民は国家を思い、この有事にお互いに信頼感をもって一丸となって対処できているのかどうか。また、政府が代表したとは言えオリパラ開催を引き受け、私たち国民はどこまで盛り立てているのか、足を引っ張っているのではないのか。国民一人ひとりの国家意識・・・などと言えばケチをつけるリベラル派の方々がおられるから、これは「個人」の問題ではなく「公共」の問題だと問いたい。果たして日本人にその覚悟はあるか。
そう言えば、アメリカの建国の父たち(founding fathers)は、民主主義に不信感を持ち、共和主義を唱えたものだった。問われているのは、まさに「公共」の問題意識であろう。