ロシアのプーチン大統領は、5日にソチで開催された恒例のバルダイ会議で次のように語ったそうだ。「ロシアは2014年からウクライナ東部のドンバスで続く紛争を終わらせるために特別軍事作戦を開始した」 「ウクライナでの“戦争”を始めたのは我々ではない。逆に我々は(戦争を)終わらせようとしている」 「ウクライナ危機は領土対立ではない。それをはっきりさせておきたい。ロシアは領土面積で世界最大の国であり、我々は新たな領土の征服には関心がない」 毎度の独善的なレトリックである。それで東・南部4州を「併合」しているのだから、世話ない。
ある本を読んでいると、昔の本なのだが、今のロシアのウクライナ侵攻や中国の覇権的な海洋進出を説明するかのような記述があって、面白く思った。長くなるが引用する(一部、「てにをは」の類いを改めた)。
(引用はじめ)
ある国(某国と呼ぶ)でこういうことがあった。外務省、最高首脳、そして殆どの言論機関を牛耳る軍部が、隣接する数ヶ国の領土の請求権を主張した。(中略) 彼らは要求地を分割するべく、それぞれの地域について、自らの行為を正当化するため、彼らの同盟諸国や諸外国が反発しにくいと思うような諸原則を持ち出した。
第一の地域は、たまたま外国の農夫たちが住む山岳地帯だった。某国は、その国の自然の境界線をきちんと守るように要求した。しかし、ここで言う自然とは何だろうか。その説明し難いものの真の意味に長いこと注意を集中していると、外国人の農夫たちの姿は霧の中に溶けてなくなり、山々の斜面だけが見えて来るのだった。
二番目の地域は、某国民の居住地だった。如何なる国民も外国の支配下に生きるべきではないという原則に基づいて、これもまた併合された。
次はかなり商業的に重要な一都市であったが、某国人は住んでいなかった。しかし、かつて某国に属していた地域であったために「歴史的権利」という原則に従って、これも併合された。
更に、外国人の所有で外国人が労働に従事しているすぐれた鉱山があった。これは損害賠償の原則によって併合された。
その次の地域は、ほぼ外国人が居住し、自然の地理的境界線から言っても他国のものであり、歴史的にも某国に属したことは一度もなかったが、某国に統合されていたことのある州の内の一つが、かつてそこの市場で取引を行っていたことがあった。そのためこの地域の上流階級は某国風の文化生活を営んでいた。そこで文化の優先と文明擁護の必然性という原則に基づき、その地方に対して領土権が請求された。
最期に、ある港があった。そこは地理的に、人種的に、経済的に、歴史的に、伝統的に、某国とは全く関係がなかった。しかし国家防衛上不可欠だからという理由で請求がなされたのである。
(中略)このような原則は極めて欺瞞と絶対性とに満ちており、そうしたものを用いたこと自体が既に和解の精神が行き渡っていなかったこと、従って平和の本体が空疎であったことを示していた。工場、鉱山、山、更には政治的権威について議論するとき、それらを不変の原則のどれかにぴったりの例として語り始めた途端、それは議論ではなく戦いになる。
そうした不変の原則なるものはあらゆる異論を除外し、問題点を背景の前後関係から切り離し、その原則には相応しいが、造船所、倉庫、土地には全く相応しくないある種の強い感情を人の心に起こさせる。そして、人がひとたびその気分で動き出すと留まることは出来ない。そこに本当の危険がある。それに対抗するには更に絶対的な原則に訴えて、攻撃に晒されているものを弁護せねばならない。次いで、弁護のために弁護し、緩衝帯を設け、その緩衝帯のために緩衝帯を設け、ついには事態全体の収拾がつかなくなって、議論を続けるより戦った方が危険が少ないように思われる。
(引用おわり)
これは、101年前に出版された、ウォルター・リップマンの古典的名著『世論(Public Opinion)』(手元にあるのは岩波文庫1987年版)からの引用である(上巻P177~180)。強国は何かと言いがかりをつけて、それを不変(普遍)的な原則に基づくかのようにもっともらしく装いながら、弱小国を侵略する、言わば帝国主義的な状況を説明したものだ。今もなお、ウクライナ侵攻でロシアが主張する歴史的・民族的一体性は「極めて欺瞞と絶対性とに満ちて」おり、対抗する欧米(NATO)はウクライナの国家主権と領土の一体性という、これもまた不変の原則を盾に後方支援し、「議論ではなく戦いになる」。
この本が出版された当時は、大衆社会が現出し、それまでは限られた職業外交官や職業軍人の技術であった外交や戦争が大衆化し、国民感情に左右されて望んでもいない戦争(第一次大戦)に突入し、妥協が許されないまま泥沼化して、総力戦に疲弊していた。1922年はいわゆる戦間期にあたり、平和を希求する時代精神(あるいは厭戦気分)に充ち満ちていたときで、国際連盟やパリ不戦条約などに結実し、人類は初めて戦争(侵略戦争)を違法化することに成功した。歴史は確実に「進歩」していると思われたはずだ。そのときの講和に失敗し、再度の世界大戦を招くが、戦後は国際連合にリニューアルし、国際社会は再び不戦を誓った。そのような中で、世論(public opinion)の重要性を認識するウォルター・リップマンは、学者ではなくジャーナリストを選び、「真実」の報道を通して大衆民主主義社会を適切に導く道を志す。事実上の現代地政学の開祖とも言われるハルフォード・マッキンダーの古典的名著『デモクラシーの理想と現実(Democratic Ideals and Reality)』が出版されたのが、ほぼ同時期で、その3年前だったという意味で、感慨深いものがある。
権威主義体制の困ったところは、中国にあっては(自身曰く)五千年(正確には二千年)、ロシアにあっては五百年もの間、「進歩」が見られないことにある。欧米や日本は、先に述べたように多少なりとも進歩的な歴史観を持ち、歴史に学んで野蛮さを脱し、心掛けを改めてポスト・モダンを生きるが、彼らは十年一日と言わず、それぞれ五千年、五百年のスパンでメンタリティが変わっていないのである。プーチンが見習うのは二次にわたる戦争を経た国際法ではなくピョートル大帝やエカチェリーナ2世であって、ウクライナ侵攻によって日米欧に冷や水を浴びせ、18世紀の土俵に引き戻してしまったのだった。
確かに、かつて戦争は正義と正義の戦いであって、正と邪の戦いではなかった。日米欧は彼らから歴史の報復を受けるのであろうか。人類は(かつてビスマルクが言ったように)賢者として歴史に学ぶことが、出来ないのだろうか。