前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

天安門事件と米原万理

2009年06月03日 | Weblog
  ご近所のみなさんから野菜やお花をたくさんいただく。最近は、ブロッコリー、ほうれん草、トマト、スナックえんどう・・・・・。有名な「生キャラメル」なども。それに自宅で栽培した花、山で摘んできた花がいっぱい。ご近所のみなさんのお心遣い、本当にありがたいことです。
   「がんばってね」の気持ちがこめられた野菜をいただき、花を愛で、今日も出発!

       ★


   6月4日、中国の忌まわしい事件から20年になる、ということでさまざまな記事が報道されている。当時、テレビで学生、市民に襲いかかる戦車の映像を見て、血の気がひいた。
  当時の日本共産党は中国を厳しく批判し、宮本顕治氏は参議院議員選挙にあたって、「このような蛮行を批判される方はこぞって日本共産党へ」という趣旨の訴えをだし、各戸配布の赤旗号外として発行された。
記憶に鮮明に残る事件にたいしての、党指導部の鮮やかな対応として記憶されている。

       ★

  ・・・・・この事件を契機に、当時のいわゆる「民主化を求めた」青年が国外に亡命し、文筆業などになった。2005年の国際ペン大会で、これら亡命作家たちが「独立中国ペン」として参加することを希望し、かなえられた。この大会の時、自分たちの厳しい、苦しい境遇を嘆いた亡命作家たちにたいして、米原万理は語ったという。

「あなたたちの言いたいことは分かったわよ。だけどね、作家は大衆とともに暮らし、一緒に苦しみ、悩むものでしょう。きびしい現実のなかで、普通の人たちと一緒に苦しまなかったら、どんな作家もいい作品は書けないでしょう」

  その場が凍りついた、という。・・・・・・以上は、没後3周年記念出版「米原万理を語る」(かもがわ出版)からの紹介です。

    このような堂々とした作家が十分な小説を残せずに逝ってしまったことは改めて残念。しかし、この本で紹介されて、分析されている万理氏の姿が、新たな読者獲得になればいいな、と思います。

  義理の弟である井上ひさし氏も米原万理氏の業績を大きく評価しつつ、「5年、10年経つと、米原万理の、作家としてのほんとうの値打ちがわかってくると思う」と語っています。

 何ヶ月か前に何冊かまとめ買いして、「積ん読」になっている・・・・寝る前の読書に親しもうか。



熊谷組ダミー献金

2009年06月02日 | Weblog
    しんぶん「赤旗」・・・・・・準大手ゼネコン「熊谷組」(東京都新宿区)が、社員やОBを代表にした三つの政治団体をダミー(隠れみの)にして、自民党の加藤紘一元幹事長や民主党の小沢一郎代表代行ら国会議員の資金管理団体に計3千万円を超す政治献金をしていたことが明らかになっています。東京地検特捜部に政治資金規正法違反容疑で摘発された西松建設同様、ダミー団体を使う手法の横行が浮き彫りになりました。

      献金していたのは、「都市開発研究会」(東京都杉並区)、「京浜建設経済研究会」神奈川県海老名市)、「北陸経済研究会」(福井市)。いずれも1976年~81年に設立され、2002年~03年に解散しています。 政治資金収支報告書などによると、加藤元幹事長の資金管理団体「社会計画研究会」は、99年10月21日に東京都港区内のホテルで開いた「雲霓(うんげい)の会総会」と「出版記念会」の二つの資金集めパーティーのパーティー券を3団体に150万円ずつ、計900万円分、購入してもらっています。また、98年、99年に各12万円の献金が「都市研」からありました。

      西松建設のダミー政治団体からの献金が突出していた小沢氏の「陸山会」は、都市研から98年に50万円、99年に150万円の計200万円の献金を受け取っています。 自民党の菅義偉選対副委員長(元総務相)の「横浜政経懇話会」は、96年に都市研から100万円、「京浜研」から50万円の計150万円、高市早苗元内閣府特命担当相の「新時代政策研究会」は97年に都市研から100万円。

     このほか、鈴木俊一元環境相の「清鈴会」、棚橋泰文元国務相の「21世紀を拓く会」がともに99年に都市研から12万円▽渡辺具能元国土交通副大臣の「能政会」が00年に都市研から20万円▽新党大地の鈴木宗男元北海道開発庁長官の「21世紀政策研究会」が98年、99年に都市研から各12万円の計24万円―など。

      問題は、小沢氏の陸山会が98年の50万円を政治団体からの献金ではなく、企業・団体献金として報告していることです。 鈴木俊一、鈴木宗男、棚橋の各氏も同様で、そのうえ都市研の所在地を杉並区ではなく、熊谷組の本社や北海道支店、名古屋支店としています。

      熊谷組の献金については、経営再建中で実質赤字が続いていたのに自民党(国民政治協会)に献金したのは違法として、献金の返還を求める株主代表訴訟が提起されました。03年2月、福井地裁判決は、「政界と産業界との不正常な癒着を招く」と断罪しました。 熊谷組広報室は、「00年以降、政治献金は行っていない。それ以前については事実関係を調べる」としています。・・・・・・・・


             ★

      この間、毎日新聞などで報道されていた。あらためて、自民も民主も、だと痛感する。このような手法はまだ明らかにされていない団体のものがあるとすれば、率先して政治家は明らかにすべき。それにしても民主党は、西松問題でも党としてのなんらの調査もおこなわなかったばかりか、小沢氏を代表代行にまでした。今度、熊谷組の問題も出ても、なにも調査しないようでは、自民党と同じくまったく自浄能力がない党だ、ということ。


      熊谷組広報室は、「00年以降、政治献金は行っていない。それ以前については事実関係を調べる」・・・・・しかし、さまざまな選挙での「人員提供」など「献金」ならぬ「献人」など、政治家への供与はいろんな手法があるんだよね。

     そういえば、20代の頃は当時の熊谷太三郎参議院議員の自宅側で街頭演説したこともありました。熊谷組の事務所から人が出てきたので、「やめろ」ぐらい言われるかと思いましたが、そんなことはありませんでしたが。

     先日、共産党の国会議員から「石川、富山の国会議員はそれなりの大物がいるのに、福井はいませんねえ」と聞かれました。だから、鈴木宗男さんなどを頼ったわけではないでしょうが・・・・

 最近では、例の農業パイプライン談合事件でも、大物政治家の関係先の捜索はおこなわれたようでしたが、結局、政治家には及びませんでした。まだ、福井県内の問題の膿はだしきれていない、ということでしょう。



向田邦子構想メモ

2009年06月01日 | Weblog
    共同通信・・・・・・・ 脚本家、小説家の向田邦子さん(1929-81年)が手がけたテレビドラマ「阿修羅のごとく」の自筆の構想メモがこのほど確認され、「向田邦子シナリオ集」(岩波書店刊、全6巻)の第2巻に収録された。複雑な人間模様を描いた創作の過程を示す貴重な資料と注目を集めている。
   メモは「向田邦子」と印刷された脚本用の原稿用紙を使っていた。三女滝子を演じたいしだあゆみさんや父親役の佐分利信さんを指す「三女あゆみ」「佐分利」といった文字と人物相関図、印象的な場面で使われた「買物かご」「卵」などの言葉が鉛筆で細かく書き込まれ、イメージを膨らませていった様子がうかがえる。

   「シナリオ集」に資料を収録する際、向田さんの書籍編集に携わってきた烏兎沼佳代さんや、向田さんの妹和子さんが遺品のメモを確認し、内容が判明した。烏兎沼さんは「向田さんの頭の中がそのまま映し出されたよう」と話す。・・・・・・・・

        ★

   テレビドラマ「阿修羅のごとく」は面白かった。また、番組の音楽も独特で忘れられない。トルコの軍楽、ということでCDも買った。何曲かはいっていたが、番組につかわれたのがやはり一番、と感じた。

    「向田邦子シナリオ集」に掲載された構想メモは一枚だけだが、この一枚だけであれだけの作品をつくったのではないだろう。また、実際メモからは「三女あゆみ」「佐分利」といった文字が明瞭に確認され、なぜ、「このほど確認され」るまで明らかにならなかったのか、不思議なくらいだ。今回はじめて検証されたのかな。

  それにしても向田邦子はずいぶん前に若くして突然逝ってしまった作家だが、いまだに多くの心を照らしていると思う。それは「家族色」にあるのかもしれない。


すべり台社会からの転換を

2009年06月01日 | Weblog
   昨日・今日は地域をまわって総選挙準備。かねもと幸枝さんと定例の街頭宣伝。「この機会にぜひ赤旗をお読みください」「自民も民主も西松マネー。共産党はみなさんに草の根から支えられているので、企業献金とは無縁でがんばれます。応援お願いします」と訴え。このなかでしんぶん「赤旗」も12名の方に読んでいただくことになりました。ありがたいことです。一人ひとりの国民の応援によって支えられている政党、だから国民の利益最優先に大企業優先の政治と対決できることを実感します。

       ★


   さて、昨日は、福井県民主医療機関連合会の企画、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠氏の講演会「派遣村から見た日本社会」が自治会館で開かれ、参加した。湯浅氏の講演を聞くのははじめて。
   「今の社会はすべり台社会」だとして、「日本は所得再配分で子供の貧困率がアップしているOECD諸国で唯一の国。子供がいて、生活が苦しいのは当たり前、という異常だ」「職を失い、家族のセーフテイネットだけでは抱えきれない。無理に無理をかさね、事件化する例も。社会的に支える仕組みがあれば、リセットできたはず。まだ現状ではこういう『家族の貧困』はみえていない」「労働条件などにNOと言えない労働者がうみだされている。これは労働市場を壊す原因となり、結果となっている。悪循環だ」などと指摘しました。
   会場からの「貧困観」についての質問に答えるなかで、参加者に質問。
「路上生活者は貧困だと思いますか」「親戚・友人などの葬式に香典を包めないのは貧困だと思いますか」と質問。
 多数の参加者は「貧困だ」と回答。
 私が「あれ」と思ったのは、若い職員のなかで、それぞれ「貧困ではない」と表明した方々がいたこと。
青年が「ホームレスは貧困ではない」「親戚などの葬儀に義理を欠かざるを得ない家計状況は貧困ではない」と考える「思い」をぜひ聞いてみたい。
  新聞の投書で「少ない年金で、世話になった方の葬儀を欠礼せざるをえなかった・・・」との無念の声を読んだことがある。
  たしか、田辺聖子のつれあいの医師を描いたNHKの朝ドラで、「お金のないホームレスの人たちを診療してあげていたおっちゃん。亡くなった時、そういう人たちが花や果物などを供えてくれた」云々のくだりがあった。思わずホロッとしたが、いま親戚や友人の葬儀でそのような気持ちの表明だけで済ますことはできないのも現実。
   しばらく前は「総中流時代」などと言われていた。その時代にも貧困問題はあった。
  しかし、いまは年金・医療・介護・労働の国民生活のあらゆる分野の破壊のなかで「総貧困時代」になってきているし、どの家庭も、どの国民も、そういう「危機」「すべり台」と隣り合わせということ。
   「自民党・公明党政権」「二大政党のなれあい政治」・・・政治の貧困がつくりだした国民の貧困を許してはいけない。「社会的連帯で反撃を」とよびかけたい。