洗心 senshin

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問われ続ける。

2014-09-02 07:10:00 | ノンジャンル

「もうついていけない」

なんて寂しいことを言うなかれ。


それなりに型を構えるのでさえ3年

本質創造ならば9年は究め尽くさねば

恰好は付いてこない。

しがらみを超えて

究め極め続けているからこそ

光速を遥かに超えた本源情報波を

僅かながらもキャッチできるのである。


個々固有の振動波層の

存在意義の観極めであるからには

一生をそのために捧げているのだろう。


生涯を懸けても徒労に終わるリスクもあるが

心がけは無駄にはならない。

その凝縮経験がモノになるならば

未来永劫に使える立体創造科学であるから

その保有価値ははかり知れない。


己が何故に地上に降りたのかを

邪神の小手先に翻弄され幻惑されて

何も本懐を為し得ないであの世に逝けば

痛恨慙愧で思い返すことになろう。


「どうしてあの時真摯に取り組まなかったか!」

そのように臍を噛むことだけはないように

お気楽な「なんちゃって洗心」だけでもいいから

日頃心掛けておくことは決して無駄にはならない。


何度も何度も

そのような本質念(霊波)で重大決心しては

この地上に生まれ降りて来るのだけど

不良星界三昧の環境での進化効率は

あまりにも遅々たるものである。


だからこそ

僅かながらも立体視界が開けた歓びは

はかり知れない本源価値があるものだ。


それゆえにこそ

類人種個々一人ひとりの

この今『唯今』の心の在り方が

古今東西(現・霊界の区別なく)

精妙神妙に問われ続けているのです。