多くのすべてが
「過ち」であった。
「過ち」とは
「過失」。
「過失」とは
「注意を欠いて結果の発生を予見しないこと」。
地球人は
この本質的「過ち」を
永きに亘り継続して来たのだ。
と言うより
「過ち」そのものの中での
意識生活を継続していたのだ。
しかし
粗雑な哲学思考や教条思考で
このトラップを抜けだすことは出来ない。
存在そのものが「過ち」であったのではないのだ。
夫々が完璧な「種」を内包しながら
それを慈しみ育てる意識波(層)そのものの
接続状態に恐るべき「過失」があったのである。
その「重大過失」を総決算せねばならない。
どのように過失対応するかは個々の自由意思であろうが
過失を通り越した悪意には天も見限っておられるだろう。
愚直に迅速に多岐に亘る「過失」を
本源透過していくことである。
おそらくそれが最も効率的と思われる。