地球が球体でも平板上でもどちらでも良く 表層脳解釈がどうあろうと大自然は太古よりの悠久の時を刻むのみ。
要は そもそもが地球環境は十数次元の融合体であり 自然量子管轄のクライン環であることさえ熟知すれば(目に見える形態がどうあれ)常に自己完結していく。
更に言うならば 『人』個々の存在形態も地球環境の集約であるから同じく自然量子の集約端末としての機能を持たされているのだ。
本来そうであることを生きながら証明するために『人』は生かされているといっても過言ではないだろう。
だからこそ あらゆる学術概念を駆使してとりあえずは眼に見える世界を解き明かそうとするのであるが その前に『人』己自身の眞の成り立ちを識る必要がある。
その生死を超えた顕潜両立意識に立てば凡その自然クライン環の超立体見取り図が観えて来るであろう。
その時 漸く『地球』の眞姿も己の眞姿も『宇宙』の眞姿も浮上して来るだろう。
近未来には 『人』(生命体)も『惑星』も『宇宙』も量子ネットワークに正接するフラクタルに関与し合うクライン環の物理面であることが判るだろう。