ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

本「車イスの私がアメリカで 医療ソーシャルワーカーに なった理由」

2019-06-26 09:16:32 | Book

定期的に自伝物を読まなくては、と急に思ってKindleで購入した本。

月刊福祉で紹介されていた。1978年生まれの女性が5歳で難病指定の「若年性多関節リウマチ」を発症し、小中学校には通えず、高校、短大を経てアメリカへ留学、大学院も出てアメリカで医療ソーシャルワーカーとして8年勤務、現在は日本で療養中とのこと。その反省を、大阪人らしく明るく、でもどこか辛いことや過酷なことを少しはぐらかして書いているような気がする。

アメリカの大学、大学院を首席で卒業したという彼女。このバイタリティーというか、覚悟が、大学院時代の私にはなかったのだろうか、などと考える。大学院時代は、もっと頑張れたはずだ。そこで自分を知った気になってみたが、別にそこで自分が終わったわけではない。がむしゃらに勉強するなら今だ、と最近ふつふつと思えるようになってきたので、火をつけたくてわざわざこの本を読んだ気もする。

こうやって、自分を他人と比べて落ち込んだりやる気が出たり、過去を振り返って「こうすればよかったのでは」と思ったり。こういう揺れ動きが、まさに就労移行の事業所で会う利用者さんたちと同じだと、毎日思う。本当に、本当の意味で、利用者さんと私は同じである。そのことに失笑するのではなく、明るいエネルギーにして次に進みたい。


『現代日本の思想』

2019-05-22 05:47:49 | Book
思想について、ほとんど知識がないし、興味もあまりなかった。1956年出版の、鶴見俊輔・久野収によるこの岩波新書を手に取ったのは、実家にあったから(しかも私が買って読んだ形式がある!記憶にはないのだが)、というのと、生活綴り方の運動が思想の歴史に結び付けられている章が興味深かったからだ。綴り方運動は、細切れ的に聞いたり触れたり、「山びこ学校」を読んだりと、断片的に興味を持ってきたので。

明治以降の思想の流れを、歯切れよく、時に断定的に紹介している。私の解釈と感想を一言ずつ書いていこう。

・日本の観念論ー白樺派
白樺派は、1910年ごろから10年ちょっとの間のグループ。武者小路実篤、有島武郎、志賀直哉など。どんな理念か、というより、理念主導で現実をつくろうとした。自給自足の「新しき村」など。でも現実への理解が足りず、現実を動かすことはできなかった。代わりに、美しい文章を残した。

・日本の唯物論ー日本共産党の思想
共産党は、それ以前の雑多な思想領域の運動家たちが集まって大正時代に創設された。その後、その雑多性を否定して、純度の高い思想を目指した福本和夫が率いた。一貫して、大衆から距離があった。
「天皇の理念は、日本の大衆の意識の中にふかく植えつけられていた。それと同じくらい深く、日本共産党は日本の知識人の意識の中に入っている。この2つの事情は、欧米人には理解しにくい特殊なものである」
一方で、権力に対して緊張感を持って批判し続けたのは、日本においては「リベラル」ではなく共産主義であったと評価もしている。この本でも、「リベラル」という思想を紹介する章はない。
それにしても、共産党の検証能力のなさを批判した部分などに、現在の共産党はどう答えるのだろう。

・日本のプラグマティズムー生活綴り方運動
生活綴り方は、生活改善に重きを置いた日記のような、感想文のようなものだと思っていたけれど、思想的にも意義づけられるのだと知って喜んでいる自分がいた。このブログのように、自分自身に問いかけながら書くことは意味がある、と言ってもらえたような気がしたから。「自由」「春」などと観念的なあやふやなテーマを与えたり、文章制限をしたりするのはよくない、というのは共感できた。海外では、読み方において「現実の何をどう動かすという意味なのか」問いかけながら読むのがプラグマティズムだ、というような紹介も興味深かった。生活に即して考えて文章を書き、共有して感想を言い合い、生活に生かす。教師たちを主体に自然に広まったこの動きを、理想的な思想運動と捉えて解説しているところに著者たちへの好感が持てた。

・日本の超国家主義ー昭和維新の思想
超国家主義の前段階として、明治維新で伊藤博文らが整えた思想体系の説明になるほどと思った。天皇に政治的権力と精神的権威を持たせ、教育勅語を記し、「天皇の国民、天皇の日本」とした。一方で、天皇を絶対的主体として国民は抗えないのであれば、いつかは反政府、反天皇の動きが出る。政治的失敗は天皇のせいだとなってしまう。だから、天皇に政治を促す「翼賛する、補弼する」主体として国民・官僚組織を位置づけた。官僚には一応、誰だってなるチャンスがある。
大衆にとっては神、エリートにとってはシンボルという、両面を備えた天皇。
エリートへの反発が、実務面でも天皇を神としたがる超国家主義をもたらした。天皇は革命のシンボルとなっていった。ここらへんの思想の捉え方をめぐる動きは、読んでいてスリルがあった。もう一度読んだ方がいいと自分では思う。

こんな感じで、初めて思想の本をまともに読んだと思う。天皇制などについて夫と話をすることがないわけではなかったが、印象論で言っていることが多かった。その背景にある思想は何なのか。興味を持てるようになったと思う。

神谷美恵子『遍歴』

2019-04-05 19:46:51 | Book
神谷美恵子の著作、自伝的エッセイのこの本から、取り急ぎ心に残った箇所を書き写す。

一次と二次の世界大戦の間にアメリカにいた彼女に、偶然知り合ったドイツからの亡命政治家が送った手紙から。
・・・
仕事に、また然るべき人の妻として、子どもたちの母として、ゆたかな一生を送られるように祈念しています。わたしのいうのはゆたかな一生であって、単なる「幸福な」一生ではありません。ゆたかな充実した生涯を送るのを恐れ、そのために決して「幸福」を見出さないひとが世の中にはあまりにも多い。あえて闘うのでなければ、何人をも、何物をもたたかいとるこのはできません。
・・・

同じようなことを、カミュの本や『大衆の反逆』でも読んだ。私にとっての課題だから、よく響くのだろう。

より本質的なものを、と求め続け、医学の仕事や妻、母としての生活でも静かに闘った人だと感じた。戦後に子どもを産んで健康に育てることは、闘って、ひとつひとつのことに結果を出さないといけない面があった(用事があって結核にかかり薬が不足しているなどで)ことも、現代の恩恵に素直に感謝する機会となった。

神谷美恵子『人間をみつめて』

2019-02-20 05:17:54 | Book

神谷美恵子の本を続けて読んでいる。『生きがいについて』が有名なようで、私もそれを先に読ん
だが、続いて読んだ『人間をみつめて』の方が導入としてよいと思う。不自由のなさそうな家に生
まれたが、結核になって療養し、ハンセン病患者と出会い、留学中に意を決して哲学から医学へ方
向を変え、精神科医になり、結婚や子育てをしながらハンセン病の国立療養所へ通い、またガンや
狭心症を自身が煩いながら診察や思索、書き物などをしてきた人生。この本では、人生のところど
ころで書いた 文章から、自伝的な要素や哲学的な示唆を読み取れる。

心地よいのは、ハンセン病患者で、なおかつ精神疾患を抱える人の診察に長く携わる彼女が、精神
疾患患者と自分自身をとても連続的に考えていて、上から目線がなく、医師としての冷静な診断が
書かれる部分ももちろんがあるが、それが人間総体の抱えるものの一部として出てきている、とい
う目線で感じられているところだ。なので、自分が関わることのある精神疾患のある人に読んでも
らいたい、彼らと接するときにこう考えればよいのか、と思う部分もあれば、自分のこととして、
自分の精神や肉体をこういう風に捉えればよいのか、と考えさせられる部分もあった。

例えば、人間の古い脳、新しい脳、という解説のところ。古い脳とは、人間の身体を維持する自律神経の部分で、絶えず心臓や血液、分泌物で身体機能を続けさせるための指令を飛ばす。動物性の部分、などと著者は書いている。新しい脳は、人間ならではの思索や考え方、とらえ方などを作る部分。前頭葉に代表去れ、自発性、社会性、倫理性などを司る。
そして、「過労や睡眠不足、対人関係のもつれや愛する人の死など、何か内外の減員でこの新しい脳の統制力が弱ってしまうと、古い脳から発動される衝動的・非合理的なものがあふれ出てきて、心全体を混乱におとしいれてしまう。これはちょうど私たちが夢みている時の状態に似ている。フランスの精神医学者エーは、精神病者のことを「醒めて夢みる人」と表現した」。

私が関わる数少ない精神疾患の人をみても、この「夢みる人」という言い方は理解を助けると思う。自分の夢が脈絡無く、極端で、それをおかしいと思う感覚がなくなっているように、精神疾患の陽性期もそういう趣がある。

このほかに書き留めておきたい概念。それは本書やこの著者全体を貫く、「人間は、そもそも自分からこの世に生まれてきたわけでもなく、いわば『存在させられたもの』にすぎない。それはちょうど、花やけものや天体とまったく同じように『存在させられている』にすぎないのだから、究極的には『存在させたもの』の前に、草木や星野ように、素直に存在するほかはないと思う」という受け身の姿勢。これから、赤ん坊というひとつの命を産もうとする私には考えさせられる。

そして、そこからくる、人間が生きるために必要なもの。「人間というものは、人間を越えたものが自分と世界とを支えている、という根本的な信頼感が無意識のうちにないならば、1日も安心して生きていけるはずはなく、真のよろこび、真の愛も知り得ないものなのだ」。この、根本的な信頼感は、先に書いた「新しい脳」の部分で疑いをかけたり、失ったりしやすい。これを反映して、著者も「精薄児たちは、こうした人生への信頼感をおのずから身につけている存在であって、わたしたちの心に郷愁のようなものをよびおこさずにはおかない」と書いている。私は、幼い子どもも、これに当てはまると思う。根本的な信頼感を持つ、はかなく美しい存在。私が好きな、松任谷由実の「やさしさに包まれたなら」にある歌詞も同じことを歌っている。「ちいさいころは、神様がいて、毎日夢を叶えてくれた」

一方で、この新しい脳が与えた「考えることの楽しさ」、人間のみが持つ「抽象化する力」を楽しむべし、と説くところもある。苦しめられる存在ではあるが、精神の穏やかさだけが人生の目的では無く、苦しみながらも考え方ひとつでいかようにも精神面を昇華できる存在として、人間を書いている。

もし、この内容を子育てに生かすならば、子どもには根本的な信頼感と、抽象化する思考力を育てられるように努めたい。それだけでよいのかもしれない、と思う。そして自分の人生に照らすなら、流されることも肯定しながら、考えることをやめず、そのために必要な時間やプロセスをしっかり捻出しなければいけない。

久しぶりに夫のパソコンを出してきて長々と書いて、もう書きすぎているのでこれくらいで。本書の最後に日記や書簡の記録がある。それを読んで読了なので、私も美しい手紙が書けるようになりたい、と思いながら本を閉じた。


過敏で傷つきやすい人たち

2018-12-29 20:46:11 | Book
精神科医・岡田尊司さんの新書シリーズ。統合失調症や愛着障害の解説本などをこれまで読んできたが、この本が一番、自分の理解に役立っている。仕事で関わる人たちの病名は、統合失調症やうつ、躁うつ、発達障害などいろいろだが、「敏感すぎる人たち」という共通点がある、と最近ひしひしと感じていたところだったから。もちろん、その程度や敏感となる対象は人によって違うのだけど、本では、さまざまな症状に網羅的に触れられている。

何に敏感なのか。私が接する人たちは、その対象を自分で認識している人が多い。ただ、その敏感さに配慮するあまり、私がストレートに「どのような刺激に弱いですか、こういう場合は?それならこういう場合ならどう?」と細かく聞いていかないことが多く、その具体的な敏感さについて、結果として理解が遅くなってしまうことが多い。そこは、早く、上手に信頼関係が作れるか、作れたという自信をある程度持てるようにならなければいけない。もちろん、敏感さの対象を自分でも理解しきれていない人もいて、初めて仕事に就いたときに、思わぬ落とし穴になってしまうことも。こういうことがあるから、実習や体験が欠かせない。

以下、本書の中で線を引いたところを少し書き留めておく。

過敏な人は、敏感すぎる面と、鈍感すぎる(本書では「低登録」という単語が使われていた)面が共存している
敏感すぎる、というのは自閉スペクトラム症の基本的な特徴の1つ
敏感さが妄想につながり、統合失調症の症状に繋がる人もいる
敏感すぎる人がとれる対策の1つとして、考えていることを書き出して、もし考えても仕方がないことがあれぼ「→考えても無駄!」などと書いていくと良い
敏感な人たちは、二分法的認知(極端な考え方)の思考の癖を持っている人が多い
敏感ゆえに、疲れやすいなどの身体的影響がでたり、妄想につながったりする
安全基地があるかどうかが、幸福度合いに大きく影響する

・・・
でもなぜ、敏感すぎる人たちは、そうなってしまっているのだろうか。本書では、子どもの頃に虐待を受けた人は、同じような傾向を持つ、と随所に書かれているが、私が接する限り、みながみな、虐待を受けた経験があるとは思えない。むしろ、愛情深い、理解のある親に育てられたと思える人が多い。子どもの頃に甘えられなかった、と言う人も、普通より甘えにくい環境だったというより、当時から敏感さを持っていたがゆえに、少しの寂しさや甘えにくさが膨らんで、親子関係や友人関係をぎくしゃくさせたのではないか、と想像する。先天的な部分が大きいのでは。

ある種の発達障害、と理解できると思う。こういう人たちに、鈍感になれと言っても意味も効果もないのだけど、生きやすさ、生活しやすさを少しでも感じられたら。それが感じられる場所が安全基地ということだろう。仕事をつうじて、私も少しずつ、敏感さを備えてきている気がする。仕事ではそれをプラスにして。プライベートでは手放せるだけ手放して、鈍感にいきたい。

小説「ふたりぐらし」「蜜蜂と遠雷」

2018-12-05 11:22:15 | Book
今は、お酒も飲めないし、ご飯もたくさんは食べられない、運動もできない旅行も遠くはダメ。なおかつ二人の幼児の都合と機嫌に振り回される可能性を常に抱える妊婦生活。仕事のストレスをどう発散したらいいの!?となっているところで、現実逃避目的に、かなり久しぶりに小説を読んでみた。蜜蜂〜の方はけっこう分量はあるのだけど、一週間ほどで読了。

ふたりぐらしは、30代のカップルにおすすめ。何気ない日常を、男女それぞれの視点で、文章にして、読むと、不思議と面白い。味わい深い。比較的最近の本。

蜜蜂〜は、直木賞もとった有名作。音楽を読んで味わう、という新しい体験。今度映画化されるらしいが、ピアノの音もいっしょに入ってくるのは、また贅沢な体験だろうな、松坂桃李はぴったりだが、松岡茉優はあまり好きじゃないのでみないだろうな、小説で十分。でもピアノのクラシック曲が聴きたくなる。

テレビの連続ドラマを録画してみる、という発散法もあるだろうけど、動画を観るのは疲れるのだよね。裁縫は、チクチクやっていますが。

あー、読んだ読んだ。

100歳まで生きる時代の人生設計

2018-10-27 04:37:09 | Book
今、日本の30代くらいの人は、寿命が97歳くらいになるらしい。そうすると65歳以降、年金プラス貯蓄で生活するにはかなり貯蓄するか生活レベルを落とすしかなくなるから、細く長く働いていくつもりで人生設計をしておかないと大変ですよ。

2、3年前に話題になった本『LIFE SHIFT』の最初のメッセージはこんな感じ。その後、細く長く働くために大事なことが述べられる。長く働く、というのは長く働き続ける、というのとは違う。キャリアを中断して休憩したり、学んだりしてもいい。それをまた、次のキャリアに繋げていく。75歳くらいまで働こうと思ったら、むしろ学び直してスキルアップしたり、休憩してやる気や体力を回復させたりしないとやっていけない。

ながーくなる人生で築くべきは、お金や不動産といった「有形資産」に加えて、「無形資産」だという。無形資産には3種類あって、スキルや知識、仲間や評判などの「生産性資産」、肉体的精神的な健康や幸福である「活力資産」、キャリア変更などの際に重要なネットワークや自分についての知識「変身資産」、が挙げられる。

こんなことが本には書かれていて、自分に振り返ってみると、「このままじゃ先が見えないなー」と思っていたことがうまく説明できる気がした。転々と夫の転勤について行って転職を繰り返していれば、スキルアップの面はあるかもしれないけど、仲間やネットワーク、評判などは築けない。精神的にもしんどい。主体的なキャリア形成ができず、資産を築くことも使うこともできにくい。居住地を定めていくことはやっぱり重要。

でもそれってできるんだろうか。夫も私もそれなりにキャリア展開していくとすれば仕事の多い都会がやりやすいし、一方でキャリアだけでなく生活しやすさ、生きやすさも大事だから、ある程度(今くらいの)田舎には住みたい。職住近接ばんざい。子どもも増えるので賃貸でもいいか戸建てが希望。そんなん叶えられるところ、見つけられる気がしない…。名古屋近辺となると特に。ほとんど土地勘ないし。

こんな感じで鬱々としていたのが先週のこと。夫にこの話題をふって、次の転勤後に半年くらいかけて考えようととりあえず落ち着いたので少し気が楽になりました。

仕事はしっかりしたい。そう思っていることは悪いことではないのだ。部分的にちゃんと肯定しておかないと、なんというか考えるのが疲れてしまう。

夫婦の家事分担、子ども3歳と1歳バージョン

2017-09-29 04:55:12 | Book

勢いで、家事分担について書きたいと思います。共働き家庭の家事分担は、子育てが始まって最初の、夫婦の価値観がガチでぶつかり得るテーマ。子どもが大きくなると教育方針とかもあるのだろうけど。最初の実質的な共同事業。細々と書き残したものが誰かの参考情報になりますように。

前提
子ども 長女 3歳11か月 次女1歳9か月 保育園は別々
夫 車通勤(10分)裁量労働制 私 車通勤(10分)9時-17時(時短正社員)
三重県伊勢市で2LDKのマンション住まい

<朝>
6時 私 自分の弁当と朝食を作る、夕食の仕込みも
6時半 私 子どもと夫を起こす、2人で子どもに朝食を食べさせる
7時くらい 私 洗濯機にスイッチ入れる、夫 食器を洗う

7時半くらい 2人のどちらかが布団を上げる
       夫 洗濯物を干す 乾き済み洗濯物が山になっていればたたむ
       私 掃除機を掛ける
ここまでで、子どもがトイレに行きたがったりすれば、どちらかが対応
8時 私 次女の歯磨き、顔洗い、着替え、保育園の用意
   夫 長女の歯磨き、顔洗い、着替え、保育園の用意、ゴミ捨て日ならごみを集める
8時半 私 次女を保育園に送る、出勤
    夫 長女を保育園に送る、出勤

<夜>
17時 私 退勤、長女の保育園へお迎え、園庭で少し遊ばせて、ほとんどの場合無理矢理車に乗せる(もっと遊んでいたいため)
17時40分 私 長女の保育園から次女の保育園へ。お迎え。
18時すぎ 私 夕飯の支度、テーブルに食事を出す、子どもを食べさせる
早ければ18時半、遅ければ19時半くらい 夫が帰宅、一緒に食べさせたり、夫が1人で食べて子どもの片方とお風呂へ
19時半 私も子どもの片方とお風呂へ
20時 夫 食器洗い
20時半 4人で就寝

こうやってみると、機械化は進んでいないですね、我が家は。家が狭くて、あと私があまり片付けが好きじゃないのでルンバは使いにくい、というのと、食洗機を置くにはキッチンが狭い(確かに夫がほしがった時期はある)というので・・・。乾燥機附き洗濯機はこの1年ぐらいほしい、が、横幅がうちのマンションでは入らないかもしれないということで、踏み切れず。でも明らかに、ひとり暮らしの時に使っていたままの4.2kgの洗濯機では小さすぎるし、乾燥機は便利そうなんだよなあ。

子どもの年齢や夫婦のお互いの仕事の状況で、あと家電の進化も横目に見ながら、修正しながら進んでいくのが家事分担。修正できるかどうかで、夫の器の大きさや柔軟性がありありと見えてしまうのだけど、それを結婚前に見抜くのはけっこう難しい。


本『子どもたちの階級闘争』『ルポ 保健室』

2017-09-11 04:13:01 | Book
子どもたちの現場、についての本を続けて読んだ。

『子どもたちの〜』は、イギリスのある地方都市の、低所得者向け託児所が舞台。保育士として働く著者が、ルポ風コラム?を連載したもの。主観丸出し、コラムなので口調も時折崩れつつ、構成が上手いのかくだけた感じでもない。
所得階層に人種問題が絡み、複雑に、でも確実に階級社会であることを、日々の保育業務を通して描く。以前は、生活保護のような福祉給付で生き延びていた低所得階層が、著者の職場から消えて行き、難民家族ばかりの利用になってきたが、彼ら彼女らがイギリスの低所得者たちを見下し、子どもたちを一緒に遊ばせたくないと話す現実。(ついでに、オリバー・ツイストの映画も観直した)

『ルポ〜』は、日本の公立中学校の保健室をいくつか継続取材して、描写の間にフリーライターである著者の考察や養護教諭の解説が入る。文体は崩れない。
家族と学校の間に位置する保健室が、家族の不備(愛情を持って、経済的に安定したケアされていない)と、学校の教室における不備(いじめに教師が対処してくれない、居場所がない)を補完する場所。私が今、障害のある人向けにやっていることにとても似ていると思った。家庭と職場(就職)の間。私自身は小中高と、保健室に行った覚えがないから、悩み相談に行く子どもたちが新鮮だし、確かにその狭間機能を担う場所と人は必要だ。ときどき来るソーシャルワーカーに、「場所」の機能はない。

・・・どちらも関心のあるテーマだったので一気に読めたのだが、断然、前者の方が読みやすく面白かった。舞台がイギリスで、刺激的だからだろうか。それよりも、主観の入り方、私の考え方との距離の近さがあるからかなと思った。後者の方が、なんというか上から目線に感じた。第三者が描くとそうなってしまうのかも。


本『移民たちの「満州」』

2017-08-21 04:18:26 | Book
久しぶりに、「感想を書かなければ」という本を読了。日光へ旅行に行く際、家で積ん読されていたこの新書を手に取った。日光近くの那須は、満州の開拓者たちが帰国してから、ふたたび開墾に努めるため入植した土地だったよな、と思って…。満州の本場たくさん出ていると思うけど、新書で全体像を読む機会はなかった。今、その時代の人たちが亡くなったり、様々な研究がでてきたりというのを受けて、責任感を持ってしっかり調べて書いてあるなという感想を持った。

二松啓紀という著者は京都新聞の現役の記者である。満州移民というと、長野のイメージが強く、京都の単語はあまり出て来ない。実際、都道府県で見ると長野が移民人数は最大で、京都は下位である。それでも京都にも確実に渡満した人はいた。長野の大日向村や、宮城の南郷村など「全国に先駆けて渡った模範村」から、京都へどう移民が波及していったのか、そこに自治体はどんな役割を担ったのか。

要約すると、移民のロジックを都合よく作り出し、日本本土における村の問題先送りや村のメンツを保つために自治体が移民を募り、半ば強制的に人数を確保していった。
満州に渡れば、

農業者向けには
・本土は過密人口により耕作地が足りていない。次男三男らが満州に渡れば彼等は土地を得られる
・借金がある家などが本土の土地、家など財産を処分して渡満することで、本土の村の耕作地は増え(村内の人間に適正配分する)、渡る人は土地を得られる

農業以外の人には
・空襲に備えた軍需工場の移転などで、国が強制的に街の土地を買収する例が増えて来ると、拠点を失った商店や工場などの人の「転業支援」として満州を勧めた
・熊本など、地区が多く差別やトラブルの多い土地では、被差別者が満州で土地を得ることが同和問題の解決策とされた

本土空襲が始まると
・満州は空襲もなく安全という触れ込みで、満州をアピールした

などなど。満州への移民推進は敗戦の年、7月まで続いた。そして、凄惨なソ連侵攻、満州での難民化、シベリア抑留などへとつながる。

本の中では、これらの側面が資料と体験者の言葉で語られる。とくに、上記のロジックがいかにおかしなものか、破綻しているか、それを唱えた農本主義者や自治体の長らの発言や責任、戦後の反省のなさを追求する。満州政策は、原爆や空襲の被害などと違い、加害というか、この状況を作り出したのも日本という国なのだというところを読者に印象付ける。

新聞記者でもここまでできるんだな、と感銘も受けた。読みやすいだけでなく、研究書としても優れているなと思った。