https://www.asahi.com/articles/DA3S14751650.html
「人間の欲望には限りが無い。ただ、行動経済学の創始者ダニエル・カーネマン米プリンストン大名誉教授の研究によると、日々幸せを感じる度合いは世帯年収が上がるにつれて高くなる傾向にあるが、7万5千ドル(約780万円)を超えると、ほぼ頭打ちになるという。
同じ1万円でもそれによって得られる満足は、高所得者より低所得者の方が大きいはずだ。格差の是正は、低成長時代に、社会全体の幸福を高めていく有力な手段になりうる。」
そうなのだ。全員に10万円ずつ配ったとしても、待ち望んでいる人もいれば、我が家のように入金を確認すらしない人もいる(我が家など5人家族で50万円も入ったのだ!)。なのに、一度入金されたものを、例えば寄付したり返金したりするのはなぜか難しい。困窮しているひとにのみ使われる(我が家には配られ無い)のだったら文句は言わ無いのに。
にた話で、うちは今のところ困窮しなさそうだし、義父の死去によって不動産収入も増える見込みとなった。これにより、児童手当や、高校無償化の収入制限にひっかかり、手当額が減ったり無償化の対象外となったりする可能性が高い。
これには不満がある。子どものことを、全額親負担にしないという理想的はどこへいったのか?しかも3人育てる労力を主に親のみで担っていることへの労いはないのか?
改めて、国による税や保険料の徴収における「理由(使い道)」の大切さ、支出における「理念」の大切さを感じる。金額だけではないのだ。政治家に身につけてほしい大事なセンスだと思う。