「超訳? 西洋の没落」

2013-04-23 18:11:36 | 

 前にこのブログで取り上げたことのある、シュペングラーの「西洋の没落」が、現在絶版中らしい。

 無理もない。もともとショーペンハウアーやニーチェと比べると、シュペングラーはどうしても格落ちな感じがする。それに、この書物は長過ぎるし、日本語版は誤植が多いし、値段が高い。だが・・・・・・。

 もったいない気もする。全体的に見るとダメだが、記憶に残る言葉がいくつかあるのもまた事実なのだ。そこで、ワシなりにそれらを紹介してみようと思う。

 「民族が文化をつくるのではなく、文化が民族をつくる」。文化は、理性的・計画的につくれるものではない。それはコントロール不能な衝動のようなもの、「なるもの」なのだ、という。

 「名づけることは、支配の始まりである」。古代の呪術師は、超自然的な存在を呼び出して、さまざまな仕事をさせた。現代の科学者も同じだ。彼らは「万有引力の法則」等の名前を自然現象につけて、自然を支配したようなつもりになる。

 「宗教者や哲学者は生活についての考え方を変えたが、生活そのものを変えたことはいまだかつてない」。生活は変わらない。ただ、理屈づけだけが・・・・・・。

 「初期のキリスト教と、西洋で発展したキリスト教は、まったく違う宗教である」。たとえば学者は、現代にまで残る北欧神話は、キリスト教によって変質している、という。だが逆に、西洋人の思考法がキリスト教を変質させたことを見落としてはならない。自分の意志を、他者を押しのけて限りなく拡大させていく「無限志向」。だから帝国主義とキリスト教は、手に手を取って世界侵略へと突き進んだ。

 「日本は、完全な西洋文化の国である」。欄外の注に短くだが、シュペングラーはこう書いている。

 「社会主義がうまくいくかどうかは、権力を握った労働者が適切な経営判断を下すかどうかにかかっているのであって、資本主義と何ら変わるところはない」。現代の中国を予見していた、のか。

 「子猫が毛糸球にじゃれて遊ぶ。それは、子猫の言語である」。こんなポエムも挿入されている。だからなおさら、理解するのが難しくなる。
コメント
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