前回の続き

2017-12-24 13:42:41 | 

 塩野七生 「 スパルタは軍事力以外何も創造しなかった 」。これは、本当なのか。単なる軍事力に納まらないスパルタ人の姿を、いくつか紹介してみよう。

 プラタイアの戦いでペルシア軍を破ったスパルタ人パウサニアスは、ペルシア軍に従ってギリシアにやってきたコックに料理を作らせて、こう言った。「 こんな豪華な料理は、ギリシアにはない。いったいペルシア人は、何のためにギリシアまで来たのか 」。

 スパルタ王アゲシラオスは、友人から 「 スパルタは堕落してしまった。まるでペルシアのようではないか 」 と言われて、こう言い返した。「 スパルタがペルシア化したというよりは、ペルシアがスパルタ化したとは思わないか 」。

 スパルタ王クレオメネスは、マケドニアに敗れてエジプトに逃れる途中、友人から自決を勧められるが、拒否してこう言う。「 自殺は ( 他人の ) 行為の結果ではなく、( 自分の ) 行為であるべきだ 」。
 寺山修司の 「 青少年のための自殺学入門 」 よりも、2000年以上先行している。

 最後に、ある無名のスパルタ人のエピソード。彼はアテナイを訪れていて、仕事もせずにブラブラしていた市民が 「 怠惰の罪 」 で処罰される ( 確か、財産の没収 ) と聞き、こう叫ぶ。「 私はその人に会ってみたい! 自由人が、自由人であるがゆえに処罰されるとは! 」

 塩野氏は、戦争のない時にスパルタ人が何をしていたのか、知らないらしい。彼らは労働をすべて国家奴隷 ( ヘイロータイ ) にやらせ、自分たちはひたすら雑談にふけっていた。そこから、現代にまで残るさまざまな言葉が生まれた。

 ソクラテスはアテナイの町で出会った人々にさまざまな議論を吹っ掛けたというが、弟子のプラトンはいわゆる 「 哲学者たち 」 だけでアカデメイアに引きこもった。「 哲学者=知恵を愛する人 」 という伝統は、アテナイよりもむしろスパルタに長く残ったと見るべきではないだろうか。
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