新約聖書を読む6

2019-02-12 17:28:45 | 

 聖書の「悪人正機説」。

 「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」(ルカによる福音書7、41~42)。イエスはこう言って、ひとりの罪深い女を赦す。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」(同7、47)。

 「イエスは徴税人や罪人と一緒に食事をしている」、と律法学者たちが非難すると、イエスはこう応じた。「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカによる福音書15、7)。さらに、イエスは言う。

 「ある人が二人の息子に財産を分けてやると、弟の方は遠い国に旅立ち、放蕩の限りを尽くして財産を使い果たしてしまった。落ちぶれ果てた弟が父親のもとに帰ってきて、『もう息子と呼ばれる資格はありません』と言うと、父親は息子を抱きしめてこう言った。『祝宴を開こう。この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ』。これを知って、それまでまじめに働いていた兄の方は怒ったが、父親はこう言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか』」(ルカによる福音書15、11~32)。

 ・・・もしかして、鎌倉時代の親鸞は、キリスト教を知っていた? まさか。まさかね。

 そういえば、ジャズの曲に「ロスト・アンド・ファウンド」というのがあったなあ。この「放蕩息子のたとえ」から来ているのかにゃ。
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