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もうひとつ忘れがたいのが、17世紀に突然現れたユダヤの「ニセ救世主」、サバタイ・ツヴィ。彼はユダヤ人から熱狂的に支持されるが、オスマン・トルコに捕えられると、あっさりイスラム教に改宗してしまう。
それでも彼は真の救世主だと信じる人たちがいた。ユダヤの救世主を自称しながら、イスラムに改宗する。それは並外れた恥ずべき行為だが、だからこそ、日常を超越した聖なる行為であり、凡人にはまねできないことだ、と彼らは考えた。
さらに、一部の過激な人々は、こう考えた。この世にはびこる悪を倒すには、サバタイのように、自らが悪に染まらなければならない。悪(セックス、暴力)を極めることこそが、「聖なるもの」に至る道だ、と。
このような考え方は、この時代のユダヤ人特有のものだ、とは思えない。現代に至るまで、人は悪の魅力から離れることができないでいるではないか。