「プラトンの正義論」。プラトンの「対話篇」にプラトン本人が出てこないのは、なぜか。それは、「正義とは何か、善とは何か」という問いに対して、プラトン自身が明確な答えを持ちあわせていなかったから。だから、さまざまな登場人物が議論を行うが、決して結論に至ることはない。
このように、プラトンの「正義」やアリストテレスの「中庸」は、具体的な内容のない理念だった。だから歴史上、さまざまな政治勢力が、自分たちの支配を正当化するために利用してきた、という。だが・・・・・・。
現代では、どうか。現代においては、ただただ、数字の増大ばかりがもてはやされている(終わりのない経済成長、シュペングラーのいう無限志向)。これに対する歯止めが必要なのではないか。具体的な内容がなくても、生き方の「方向」を決めるヒントめいたものとして、やはりプラトンは読まれるべきもの、なのではないか。