リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ChatGPTに尋ねてみる

2023年02月21日 14時41分11秒 | 音楽系
ChatGPTを使ってみました。サイトにアクセスしましたら、ごく普通に登録、認証ができてめでたく使うことができました。少し前のChatGPTにつてのエントリーで本日別のレスを頂きました。ありがとうございました。頂きましたレスにあります秀吉の御前演奏についての質問で「天正少年使節の少年が演奏した」という文言を付け加えて再度質問してみました。

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Q. 豊臣秀吉の前で行われた御前演奏で、天正少年使節の少年達が演奏した曲はどんなものが考えられますか。

A . 天正少年使節が御前演奏で演奏した曲については、正確な記録が残されていないため、推測になりますが、以下のようなものが考えられます。

当時の貴族や武士階級の間で好まれていた雅楽や能楽などの伝統的な音楽が演奏された可能性があります。また、当時の朝鮮からの文化交流によって伝えられた音楽や楽器が取り入れられたり、中国から伝わった音楽が演奏された可能性もあります。

豊臣秀吉は文化にも造詣が深く、特に能楽や茶道などの文化に関心を持っていたことから、能や雅楽などの伝統的な音楽を好んでいたとされています。そのため、御前演奏で演奏された曲も、このような伝統的な音楽になる可能性が高いと考えられます。
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当たり障りがない回答ですが、少年使節の少年達が西洋で音楽を吸収してきたはず、という視点が抜け落ちています。そこで、別の質問です。

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Q. 天正少年使節の少年達はヨーロッパでどのような音楽を身につけてきたと考えられますか。

A. 天正少年使節は1582年に派遣され、スペイン、ポルトガル、イタリアなどを訪問し、ヨーロッパの文化や技術などを学ぶ機会を得ました。彼らがどのような音楽を身につけたかについては、詳細な記録が残っていないため、推測になりますが、以下のようなことが考えられます。

当時のヨーロッパでは、ルネサンス音楽が発展しており、宗教音楽や器楽曲が盛んに演奏されていました。天正少年使節がスペインやポルトガルに滞在した期間は、カトリック教会の式典に触れる機会が多かったとされています。また、イタリアでは、オペラが発展しており、その影響が周辺諸国にも及んでいました。このような状況から、天正少年使節の少年たちは、カトリック教会音楽やルネサンス音楽、オペラなどの音楽に触れることができたと考えられます。

ただし、天正少年使節の少年たちは、ヨーロッパで音楽を学んだわけではなく、また、彼らが演奏した音楽がヨーロッパの影響を受けたものであったかどうかも不明です。したがって、具体的な回答は難しいです。
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要するにわからんと言っているわけですが、「ヨーロッパで音楽を学んだわけではなく、」「彼らが演奏した音楽がヨーロッパの影響を受けたものであったかどうかも不明」というくだりは間違っています。ルイス・フロイスの日本史には次のような記述があります。「一行(少年使節の少年達、中川註)がかの地からもたらした多数のさまざまな楽器を奏したり歌ったりするのを聞くと、誰しもひとかたならず喜んで、そうした多数の楽器の協和音とその間に保たれる相応性とには驚嘆した」(完訳フロイス日本史11(第86章)、松田毅一、川崎桃太訳)彼らが楽器を演奏したり歌唱したりする技術を身につけていたことは間違いないわけで、当然秀吉の前でもそれを披露したと強く推測できます。

ChatGPTもこのテーマに関してはまだまだですね。でもM先生のトンデモ説やそれにお追随して乗っかってしまった人たちよりはずっとマシです。