リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

日本でリュートが始まった頃(13)

2023年06月13日 11時06分10秒 | 音楽系
1973年3月の御殿場講習会の少しあと名古屋市在住のある方から、東京のアマチュアグループみたいな会を名古屋でも作りたいので、いっしょにやらないかと誘いを受けました。

しかしその方は件の講習会に民芸品みたいな自作楽器を持ちこんで見当違いなことを言っていた方なのでちょっと躊躇しました。講習会から帰ったあと、その頃一緒に活動を始めたギタリストの酒井康雄氏に相談したところ、氏は「まぁ、一緒にやってあげたらいいんじゃないの?」と仰ったので少しでも層が広がればと思いやってみるかという気になりました。

その少しあと、私も入れてもらっていた若手ギタリストのグループが「フェルナンド・ソルの世界」と題するジョイントコンサートを開催しました。その時は私はギターで出演し、大学の同級生で今は名古屋でギター専門店を経営しているY氏とソルの第2嬉遊曲を演奏しました。

そのレビューが中部日本ギター協会会誌「ロゼッタ」No.54 p.25,1973.9.10に掲載されました。その執筆者が件のお方でした。記事の内容は「・・・ソルの世界を紹介するだけでその意図が何だかわかりませんでした」に続き演奏者を次々にこきおろして行きました。まだこきおろされた方はある意味いい方で何人かの人はレビューの対象にもなっていませんでした。私もその中のひとり。ひどいレビューでした。

そのレビューは当時の中部日本ギター協会の関係者の間でも問題になり編集を担当したG氏に「なんであんなレビューを載せたんだ!」と言う方もいました。

実際件の方はまともに弾けない方でしたが、ギター教室を開き会報にもどっかの学者ぶった感じで投稿していました。当時はそんな低レベルな人でもある程度前に出られる、そんな時代だったのです。