ブリームが来日する1年ほど前、1967年6月佐藤豊彦氏は渡辺範彦氏とジョイントジョイントリサイタルを東京文化会館小ホールで行っています。佐藤氏はその少しあと欧州留学し(行き先は覚えていませんが)その後ギターから転向しリュートを学ためにスイスに向かいます。1969年11月号から現代ギター誌に「ヨーロッパのリュート」の連載開始します。
この67年~69年の3年間は私の高校生時代。偶然でしょうけど私がリュートに強い関心を持つようになった時期と氏がスイスに向かった時期は重なります。まぁ私の方は田舎でちょろちょろしていただけですが。
実はこれらの事実はリアルタイムで知っていたわけではなく、70年に大学生になりその頃買い求めた現代ギター誌のバックナンバーを読んで知ったことです。
「ヨーロッパのリュート」連載第3回「・・・現代リュート演奏復興の一代目をゲルビッヒとしますと、EドンボワやMシェッファーは二代目にあたるわけです。そして彼らこそ本当の意味での歴史的演奏を再現しつつあります。しかし未知のことはまだまだ多く、その仕事の大変は我々三代目に継がれることになるかもしれません・・・」
ドンボワが早い時期に手の故障で弾けなくなり、シェッファーが早世したことを予見したわけではないでしょうが、この予想は結果的には当たりました。
この67年~69年の3年間は私の高校生時代。偶然でしょうけど私がリュートに強い関心を持つようになった時期と氏がスイスに向かった時期は重なります。まぁ私の方は田舎でちょろちょろしていただけですが。
実はこれらの事実はリアルタイムで知っていたわけではなく、70年に大学生になりその頃買い求めた現代ギター誌のバックナンバーを読んで知ったことです。
「ヨーロッパのリュート」連載第3回「・・・現代リュート演奏復興の一代目をゲルビッヒとしますと、EドンボワやMシェッファーは二代目にあたるわけです。そして彼らこそ本当の意味での歴史的演奏を再現しつつあります。しかし未知のことはまだまだ多く、その仕事の大変は我々三代目に継がれることになるかもしれません・・・」
ドンボワが早い時期に手の故障で弾けなくなり、シェッファーが早世したことを予見したわけではないでしょうが、この予想は結果的には当たりました。