リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

キーボード文化とDX

2023年06月27日 16時56分29秒 | 日々のこと
自治会DXは現時点では絶望的で、今の老齢層があっちに行ったあとの、今の40歳代の人たちが自治会の中心になる頃までは無理かも知れません。実際今の小学校では出欠なんかはメールで学校とやりとりするのがごく普通になっていますし、ある年齢層以下では極く普通にDXは進んでいると思います。

なぜ現時点での老齢層にこのようにDXが浸透していないかという根底に、日本にはQWERTYキーボードを使う文化がなかったというのがあるような気がします。

アメリカに住んでいる娘の義母(私より少し上の年代です)はずっと以前からPCを使っていろんなことをしています。タイプライターの伝統があるアルファベット文字圏の人たちは、コンピューターが出現しても今まで使っていたタイプライターと同じ配列のキーボードを使うわけですから、使い始めのときの敷居はぐっと低かったはずです。

日本では、そもそもコンピュータなんてよくわからないものを使うために、アルファベットがデタラメに並んでいるように見えるキーボードを使わなければいけないのですから、抵抗感というか拒否感というのは半端ではなかったはずです。でもこれは文化の違いとしてわかっていた事実なので、30年くらい前に、(今の老齢層がまだ40歳代のころです)国を挙げて取り組んでいたら充分間に合ったのではないかとも思えます。

もっともその頃は和文タイプライターは別としても、親指シフト、JISのかな入力などいろんな方式が林立していて、今多分一番定着しているローマ字入力はそのうちのひとつに過ぎませんでした。そもそも小学校4年生で学ぶはずのローマ字で日本語を表記するというのがあまり定着していなかった感じもします。それに当時はワープロ専用機という「閉じた」機器が広まっていて私から見たらある意味絶望的でありました。

PCとワープロアプリを使ってローマ字変換で日本語を打つのが一番楽で将来性もある、って当時誰かが言って主導していればよかったのですが、なかなかそうも行かなかったのが現実でした。教育と文化の壁に押しつぶされたということかも知れません。