リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

日本でリュートが始まった頃(9)

2023年06月08日 17時25分46秒 | 音楽系
その製作家は加納木魂氏。今も現役で製作されている方です。早速試作中の楽器を見せてもらいました。弾いてみてびっくり!私が持っているN氏の楽器とは全く異なります。とても良く鳴るのです。その場でその試作中の楽器を売ってもらえないかお願いしました。始めは少ししぶっていましたが、最終的にはゆずってもらうことになりました。

N氏の楽器は東京の方の愛好家の方に声をかけたら、すぐに買い手が見つかりました。当時はリュートをやってみようかという人がとても多かったのです。それはその母体(分母?)となっている大ボリュームゾーンたるギター愛好家の数が半端ではなかったからです。比率からすればそれほどではないでしょうけど、なにせ分母が大きかったので絶対数としては結構あったと思います。(この話はあとでもう少し書きます)

さて買っていだく方と連絡をとり、名古屋の日本楽器のはす向かいにある大きな喫茶店兼レストランで手渡すことができました。何でも日本航空の職員の方で飛行機でこちらにいらしたとのこと。声かけから手渡しまであっという間でした。

N氏はバロックリュートも作っていて、その形状は「戦艦大和」と言われるくらいペグボックスが大きく長く、ペグ自体も異様に長くペグボックスから出ていました。N氏の楽器を弾くリュート奏者H氏の写真が現代ギター誌某号の冒頭グラビアを飾っていました。こちらは10コースの楽器ですのでバロック・リュートほどは戦艦大和していませんが、でも戦艦長門くらいはいくかも。


全く異形のリュートというしかありません。

こちらは私の楽器。さすがに戦艦は陰を潜めていますが、それでもペグボックスの造りが間違っています。この楽器のペグ、実は「片支持」なのです。


結局N氏の楽器が私の手元にあったのは数ヶ月で、その楽器を使って一度もコンサートはしませんでした。

日本でリュートが始まった頃(8)

2023年06月08日 12時35分29秒 | 音楽系
その頃佐藤氏は現代ギター誌にとても沢山の寄稿をしていまして、当時のヨーロッパの古楽情報(主にリュートですが)がほぼリアルタイムで知ることができました。

佐藤氏の連載記事からヨーロッパのリュート事情はよくわかりましたが、当時の日本は全く遅れていてそのギャップの大きさに悶々としていました。リュートが欲しくても、まだそもそも歴史的な楽器は存在していませんでした。というか歴史的な楽器がまだ存在していないということもわかっていませんでした。

現代ギター誌の広告でリュートを作るということをうたっていた製作家が一人だけいました。N氏です。1年生の夏頃にそのN氏に楽器の製作を依頼しました。完成は少し先で3年生の始め頃になったと記憶しています。その間必至でアルバイトをして楽器代を貯めました。

晴れて楽器を東京まで取りに行き、帰ってから楽器を調整したのですがどうもその楽器はうまく鳴ってくれません。肝心なところの音が死んでいるのです。20万近くしたと思うのですが、そのときの落胆は大きかったです。1972年5月頃です。

ちょうどその頃名古屋でリュートを試作しているギター製作家がいるということを知り、その製作家のスタジオに行ってみました。スタジオは大学からはほど近いところにありました。