リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

日本でリュートが始まった頃(15)

2023年06月18日 10時34分58秒 | 音楽系
もとより知識の量、演奏技量、修練の度合い、もちろん才能も天と地ほどに異なるはずですが、その差はは彼らが自力で判断をすることは不可能です。才能のある人から才能のない人の距離はよく見えますが、その逆は距離を測ることができないものです。実際は才能のある人(高度な専門性を持った人)の地位や評価で判断をすることができます。でも当時の社会的風潮と勃興期であったリュート(古楽)にあってそういった判断をすることができず結果的に勘違いしてしまったようです。もっとも社会的地位や評判による評価も結構いい加減になってしまう可能性もありますが。

こういった現象はどうもリュートにだけ起こっていたように思えます。それはリュートはとても面倒な楽器で、どういう弦を使うべきかとか、その張力はとか、どこそこにこんな楽譜があるとか、楽器の構造はこうあるべきだ(黎明期特有の話題です)とかとにかくいろんな知識が必要になります。特に黎明期はそういう必要性が高かったと思います。

リュート愛好家の方はとても頭のいい方が多く、そういった知識を豊富に持ち場合によってはプロの演奏家より詳しい分野もありました。もっとも音楽学者になれるほどの力はありませんが。(ホントはもっと勉強して音楽学者なって頂いていたらありがたかったのですが)まぁプロの演奏家が知らないようなことをひとつふたつ知っている程度です。

古楽の他の分野では「タメ」で専門家とつきあうような話は聞いたことがないですし、現代のリュートの世界でもそういうことは基本的にはありません。