リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

FIT(2)

2021年03月21日 18時38分11秒 | 日々のこと
再生可能エネルギーというと、太陽光・風力・水力・地熱・バイオマスといった順でよく紹介されますが、実はこの中では水力が割合は落ちているとは言え、全発電量の7.6%を担っていてNO.1です。

ダム建設はコミュニティに大きな影響を与え、環境破壊を伴うために再生可能エネルギーではないという考えもありますが、すでに建設したダムを使うというのであればそういった問題はありません。むしろ太陽光や風力の方が環境問題は大きいと言えます。

風力発電は設置に適した土地が多いヨーロッパの国々とことなり山岳地が多い日本は適地が少ないようです。陸地がだめなら洋上ということになりますが、これも遠浅の北海やバルト海と異なり日本では経費のかかる浮上式にする必要があるようです。

そんななかこんな本を見つけました。



既存のダムを法整備などを行って活用すれば日本はエネルギー大国になれる、というのです。読んでみましたがなかなか説得力がありました。著者は元国土交通省河川局長の竹村公太郎という方で、この道の専門家ですからいい加減な話ではありません。

今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせるとあります。発電のために必要な水はタダですから、山が多く雨量の豊富な日本の風土に根差した発電方法だと言えます。

実際、山岳地が多いノルウェーの水力発電の割合は95%、アイスランドは70%で、これらの国では太陽光や風力には重きを置いていません。風土に根ざしているとは言えない風力や太陽光に力を入れようとしている日本はおかしいのではないでしょうか。

アメリカのテキサス州を襲っている寒波(テキサス州だけではなく、カリフォルニア州でも2,3日前に雪が降っています)の影響で半導体や化学製品製造のプラントが停止していますが、これは安定性を欠く太陽光や風力に依存しすぎた電力政策が原因と言う説があります。

どこからともなくさまよい来る人を風来坊と言ったり、気分にムラがある人のことをお天気屋さんと言ったりするように、日本ではそもそも太陽光や風力を主力にする風土ではないのです。

FIT(1)

2021年03月20日 13時27分09秒 | 日々のこと
FITと言えばホンダのクルマですが、ヤリスに押されて販売がどうも・・・という話ではありません。もうひとつのFIT、電力固定価格買取の話です。

再生可能エネルギーで発電した電力を固定価格買い取る制度は民主党政権の時代、2012年7月1日に始まりました。この買い取るための費用は、「再生可能エネルギー発電促進賦課金(再エネ賦課金)」として電力使用者が支払っています。先日テレビでその負担が大きいのではということである家庭の事例を取り上げていました。

ひと月の電気代が1万数千円のその家庭では、ひと月に2000円余り再エネ賦課金を支払っているとのことでした。消費税も支払っているわけですから、よく考えたら相当の家計の負担になります。

ウチの場合、4年くらい前、妙に再エネ賦課金が多いなと感じそれ以降再エネ賦課金の額を記録することにしています。現在に至るまで4年余りの総額が7万円弱で結構な金額です。国では今後家庭の負担が大きくなるので見直しが必要なんていっていますが、元から異様に負担が大きいです。このことはなぜかマスコミではあまり取り上げませんので、気づいていない国民も多いのでは。

高速道路を走っていると山肌に太陽光パネルを敷き詰めているのをときどき見ますが、あの事業をやっている業者さんの儲けの一部は私が払っているお金です。なんでそんな結構な額を見ず知らずの業者さんの儲けのために支払うの?って思ってしまいます。私がトヨタのクルマを買えばトヨタの儲けになりますが、車は自分のものになります。FIT制度では事業者に支払っているだけです。税金はみんなに還元されるような設計ですが、FIT制度はそうではありません。ただ支払っているだけです。

再生エネルギー発電を促進し持続可能発展を促し、地球温暖化を防ぐと言うと聞こえはいいですが、まぁ大筋を簡単にいうと太陽光発電などの事業所さんが儲かっているだけです。制度の方向性は正しいと思いますし、ある程度の負担をするのはやぶさかではありませんが、問題はその負担割合です。だから負担を減らすと国は言っているのですが、そもそも制度設計のスタートに問題がありました。その裏に潜む太陽光発電は風力発電の儲け話がミエミエでした。

ことばは世につれ

2021年03月19日 20時49分42秒 | 日々のこと
リュートソングの歌詞をよく読んでみると、現代の発音では韻を踏まない箇所が出てきます。当時はちゃんと韻を踏んでいたはずですが、発音が変化してしまった結果韻を踏まなくなったわけです。400年も経てば発音はかなり変わるということでしょう。タイムマシンで戦国時代に行ったら多分日本語の発音の聞き取りに相当苦労するでしょうね。

小さい頃、近所のおじいさんが柿のことを「クヮキ」と言っていたのを聞いたことがあります。中学生の頃買ったギター専門誌「ギター音楽芸術」(関西ギター芸術協会出版)の背表紙には「KWANSAI GUITAR GEIJUTUKYOKAI」とありますので、この雑誌を編集されていた方も柿は「クヮキ」だったでしょう。

小学生の頃、卒業式に向けての学校からの文書には保護者の服装が「華美」にならないようにする旨が必ず書かれていましたが、この「華美」は現代ではもう死語ですね。世の中皆さん数十年前と比べればそれはハデになりましたから。昨今はお店に行けば店員さんはみんなニコニコ作り笑いをしていますが、昔は「ニヤけるな!」なんて言う人もいました。

作法で言えば、人前や室内では帽子を脱ぐのは当たり前でしたが、最近では平気で帽子をかぶったままの人がいます。まぁいろいろ事情がおありの人もいらっしゃるでしょうから、一概にマナーがよくないとは言えないでしょうけど。帽子をかぶったまま演奏する失礼なギタリストもいますが、仮に彼が上手く弾いて「あなたのギターの腕には脱帽です」なんて言うと何のことか訳がわからなくなります。

昔は「ウチの課長はよく切れる人だ」と言うと、その課長さんはとても頭がいいという意味ですが、現代ではよく怒る人という意味になります。昔は「この車はよく走る」と言えば、加速がいいとかコーナリングがいいという意味で使っていましたが、今では燃費率がいいという意味で使う方が多いようです。

10年ひと昔とは言いますが、実際は10年ではまだまだ大した変化ではありません。それが30年40年50年となるともう決定的に、それこそ連続線が見られないくらい世の中は変わりそれにつれて言葉も変化していくものです。

俊寛と有王

2021年03月18日 15時17分44秒 | ローカルネタ
またテレビや週刊誌が渡辺直美のことでどーだこーだ言って女性蔑視だと騒いでいます。渡辺直美に対して侮辱?(芸人だから意に介していないかも)になることが、女性蔑視にまた「すり替わって」います。どうせなんかの政治的な動きでしょうから、まぁこんな話に乗らないことです。

今日はジムがお休みですが天気がいいので少し外へ散歩に。無目的に歩くのはつまらないので、近所の有王塚と俊寛塚を見に行きました。これらは近鉄益生駅すぐ近くにあります。駅近くのヒルカワ商店さんの壁に「有王塚俊寛塚20m」という表示がありますが、20m先には何もありません。(笑)

50mくらい南に進み右に曲がりますとすぐ左手に有王塚があります。



写真左手の駐車場になっている空き地には以前は家が建っていました。その家の住人が掃除などの世話をしていたのでしょうか。今はどうなっているのかと思い先に進んでみますと、



今でも花を手向ける人がいらっしゃるようで安心しました。ろうそくやお線香も置いてありました。左側の花活けが転がっていましたので、元のところに戻しておきました。

俊寛塚は先ほどのヒルカワさんの壁の表示から同じにように南進しますが、今度は左に曲がり道なりに50mくらい行ったところにあります。



有王と俊寛の話は平家物語に出てきます。鹿ケ谷の陰謀の罪で鬼界が島(鹿児島の南方約50kmの火山島で現在の薩摩硫黄島と言われています。現在の喜界島ではありません)に島流しになった藤原成経、俊寛僧都、平康頼でしたが、後日成経と康頼は恩赦で都に帰ることができました。しかし俊寛は恩赦されずひとり島に取り残されてしまいました。

それを知った俊寛の弟子、有王は主人の安否を確かめに苦難の末鬼界が島にたどり着きますが、やっとのことでやせ衰えた俊寛に出会うことができました。

しかし俊寛は「おのずからの食事をとどめ、偏に弥陀の名号をとなえて、臨終正念をぞいのられける。有王わたって廿三日と云うに、その庵のうちにて遂におわり給いぬ」

有王は主人を島で荼毘にふし、その遺骨を高野山奥の院に納骨し高野聖となって諸国を行脚しましたが、現在の益生駅がある付近にあった寺で客死したということです。なお、桑名市教育委員会文化財ホームページには「平家物語に有王という侍童は述べられていない。潤色されて有王が登場するのは後代の俗書である」とありますが、私が読んだ「意訳で楽しむ古典シリーズ平家物語」(字も大きいし簡単に読めます!)にはちゃんと有王の話は出てきますが。

「すり替わり」その3、クルマ編もうひとつ

2021年03月17日 20時14分48秒 | 日々のこと
クルマ編をもうひとつ。

以前フォルクス・ワーゲン(VW)ディーゼルエンジンインチキ排ガスチェックが問題になりました。それまではヨーロッパではクリーンエンジンの代表格とされていたディーゼルがこれを境にパッタリと勢いをなくしました。

ディーゼルではダメなんだそうです。ヨーロッパではディーゼルエンジン搭載車が激減しているそうな。でもよく考えたらダメなのはVWであってディーゼルではありません。それがいつのまにか「ディーゼル=悪」論にすり替わってしまったような感じがします。

でも当のVWは、今度の新型ゴルフ8ではディーゼル車も用意されているらしいし、他のヨーロッパメーカーもディーゼルエンジン車をラインナップしています。でも中国の会社の影響が強いボルボはディーゼルを止めてしまったそうです。

実は私もディーゼル車に乗っていますが、燃費がよく低速トルクもあってとても走りやすいです。日本では三菱が1車種、マツダは全車種に投入して力を入れていますが、がんばってもらいたいですね。

Easy Baroque Pieces (11)

2021年03月16日 19時42分41秒 | 音楽系
ロストックの写本にこんなページがあります。



「リュート作品選、ヴルテンベルクのルイーズ王女閣下のための」とあり、この先はこんな感じの初級用の作品が続きます。



上の曲はニ短調のメヌエットとその変奏ですが、教育的な配慮が行き届いた「エチュード」という感じです。モダン楽器だと上達に応じて段階的により難しい曲に取り組んでいく道筋が確立されていますが、リュートではなかなかそういう風には行きません。でもさすが王女様は違います。専任のリュートの先生がいて、その方は王女様用のオーダーメイドの曲を作り指導していたのだと思います。

時にはこんなやりとりもあったかも知れません:

「私は、先週父上の館でヴァイスが演奏したファンタジーが弾いてみたいものじゃ」
「おそれながら、それはちょっと難しゅうございますゆえ、まずはこの曲はいかがでしょうか」

(パラパラと弾いてみる)

「おお、そちはなかなかいい曲を作るのう。ほめてつかわす」
「ははーっ」

王女様のための曲集は、しばらく見ていくとタブではなく五線譜のページが続きます。そこにはそれまでに書かれたソロ曲のバスが書かれています。



リュートの先生がそれを見て通奏低音を演奏し王女様と合わせていたのかも知れません。あるいは、先生クラスならタブからでも通奏低音はできますので、誰か別の人にチェロやガンバを弾いてもらうためのものだったのかも知れません。さすが女王様のレッスンは豪勢です。

「すり替わり」その2、クルマ編

2021年03月15日 18時39分27秒 | 日々のこと
クルマ編を書こうと思っていましたら、そういやリュートのガット弦でもよく似たことがあるなと思い書き始めたら、妙に膨らんできて「その1」として書いてしまいました。

さて先日の新聞に、電気自動車(EV)が「(日本は)欧州や中国に比べて普及が遅れている」という表現がありました。私はこの表現に少し違和感を感じました。「普及が遅れている」という書き方は、例えば昔、「カラーテレビの普及が遅れている」みたいに言うことがありましたが、この場合は、世の中にカラーテレビが間違いなく増えてくる、あるいはすでに増えつつある状態で、まだ普及していないときに「普及が遅れている」と言うわけです。

これからEV一色になるの?他の選択肢は?お値段高いしそれで距離は走れないし。ハイブリッド(PHEV、HEV)は?燃料電池車は?など、新聞記事はこれらの疑問や他の選択肢をばっさりと切ってゴールをすり替えてしまった印象を受けます。もうEVに替わっていくのは間違いないみたいな言い方です。

よく売れ筋連発の某出版社が、「なぜ人はリュートを弾くとハンサムになるのか」みたいな題の本の宣伝をしますが、意外な因果関係を断定的に言うと、ホンマかいな?と思いつつも人はそれにひきつけられます。EVの普及が遅れている、と断定されると、ホンマか、ヤッパリなぁ、などと思って記事を読んでしまいます。いろいろなことが複雑にからんでいてはっきりしないことや関係がよくわからないことを断定すると人は引きつけられます。でもこういうのって少し危ないですよね。さらに件の新聞記事はは断定的な印象も受けないので、ある意味ちょっとタチが悪いです。

「すり替わり」その1、ガット弦編

2021年03月14日 16時38分17秒 | 音楽系
リュートにガット弦を張るととてもいい音がするのは事実ですが、いつのまにか弦を張ること自体が重要である、というふうにすり替わってしまうことがあります。

ガット弦を張っていても、ケバが出ていたらその弦は使い物にならないし、出てくる音はナイロン弦の方がずっとマシでしょう。そもそもナイロン弦でもいい音を出せない人は、どっちみちガット弦を張ってもいい音が出ないことに変わりはありません。調弦は合成樹脂弦の方がしやすいと思いますが、きれいに調弦できない人がガット弦を張った楽器を使うと、さらに音は合いません。

ガット弦を張れば自動的にいい音になるわけはなく、弦が何であろうといい音を出すための力をつけなくてはなりません。でもすり替わった論理が入ってしまうと、音が死んでいる古い弦を平気で使うし(ガット弦だから仕方がない)調弦も狂いまくり(これもガット弦だから少々は仕方がない)ということになり、こんなことなら「音が悪い」合成樹脂弦とか金属巻き線を使った方がよほどマシですというもの。アマチュアの方で以前合成樹脂弦+金属巻き弦を使っていてその後オールガットに変更した方で、変更前の方がずっと綺麗に演奏しているという方を何人も知っています。

私も以前ガット弦で運用していたことがありますし、何人かのプロの方もガット弦中心で録音やコンサートをしています。でも実際プロであってもなかなか大変であることは事実です。ガット弦を使うにはそれなりの覚悟は必要ですし、力量もつけなくてはならないでしょう。

すり替わってしまった論理のせいで、的確な判断ができなくなることは他のジャンルにもあります。次回はクルマ編で書いてみましょう。うまく書けるかな。(笑)


歴史講座

2021年03月13日 21時28分03秒 | 日々のこと
愛知県の某市で行われた歴史講座に行ってきました。ひょんなことからここで桑名の歴史的文化施設に関する講座があるということで、どういう話をされるのか興味があったので出掛けました。

内容は、桑名市について(これはさすがに知っています)、かつての所有者について、から始まり現在の施設の歴史や様々な活用の現状など多面的に紹介されました。

桑名市民である私も知らなかったこともいくつかありました。私がそこで企画を担当しています春と秋のバロック音楽コンサートは「ロケーションを利用した活用1」に位置付けられていました。

理念として「文化財を地域振興・観光振興などに活用していくには、その価値が損なわれないように適切な管理をすることが必要であり、「活用」を繰り返すことで文化財の価値が減退してしまっては本末転倒」とうたっていますが、最近は運営主体が変わったせいか、一般的なサロンでやってもいいのにわざわざ歴史的文化施設でやる必要があるのかと感じる講座がちょくちょくあったり、広報活動が縮小したりしています。昨年あたりからどうもやっていることが理念と外れる方向に進んでいるみたいです。

講座終了後、講師先生と少しお話をする機会がありましたが、某市の職員の方にさえぎられたりして、ちょっと後味悪かったです。突っ込みどころがまずかったのかなぁ。ちゃんと名乗ったし・・・それがいけなかったのかも知れません。(笑)

Easy Baroque Pieces (10)

2021年03月12日 12時06分49秒 | 音楽系
ドイツの北方、バルト海に面する港湾都市ロストックはハンザ同盟の主要都市として栄えた街です。そこの大学図書館に膨大な量のバロック・リュート曲を収めた写本があります。これらはドイツ南西部の連邦国家ヴュルテンベルクの皇太子である、フリードリヒ・ルートヴィヒとその娘であるルイーゼ・フリーデリケ(1722-1791)に由来するものです。

ドイツの南端に住んでいた人の写本が現在は北端にあるわけです。薩摩藩の古文書が津軽藩に残されているみたいですね。



実は王女ルイーゼは1746年からメクレンブルク皇太女になり、1756年から1785年までフリードリヒ1世公爵と結婚していました。メクレンブルクはバルト海を臨む地方でそこの一番大きな都市がロストックです。この関係で膨大なリュート曲がドイツ大縦断をしたのでしょう。ルイーゼがメクレンブルクに移ったのは彼女が24歳の時ですから、そっちに行ってからリュートを始めた可能性もありますかが、まぁなにせ王女様ですからヴュルテンベルク時代からリュートを習っていたと考えるのが妥当でしょう。

その王女様の肖像画がこちら。



少しお歳を召されてからの肖像ですが、小さめながら美しい手をしています。まさにリュートを奏でる手ですね。右手の親指の爪が伸びているようにも見えますが、断定はできません。原画を見れば多分わかると思います。ではこの王女様はどんな曲を弾いていたのでしょうか。