リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

俊寛と有王

2021年03月18日 15時17分44秒 | ローカルネタ
またテレビや週刊誌が渡辺直美のことでどーだこーだ言って女性蔑視だと騒いでいます。渡辺直美に対して侮辱?(芸人だから意に介していないかも)になることが、女性蔑視にまた「すり替わって」います。どうせなんかの政治的な動きでしょうから、まぁこんな話に乗らないことです。

今日はジムがお休みですが天気がいいので少し外へ散歩に。無目的に歩くのはつまらないので、近所の有王塚と俊寛塚を見に行きました。これらは近鉄益生駅すぐ近くにあります。駅近くのヒルカワ商店さんの壁に「有王塚俊寛塚20m」という表示がありますが、20m先には何もありません。(笑)

50mくらい南に進み右に曲がりますとすぐ左手に有王塚があります。



写真左手の駐車場になっている空き地には以前は家が建っていました。その家の住人が掃除などの世話をしていたのでしょうか。今はどうなっているのかと思い先に進んでみますと、



今でも花を手向ける人がいらっしゃるようで安心しました。ろうそくやお線香も置いてありました。左側の花活けが転がっていましたので、元のところに戻しておきました。

俊寛塚は先ほどのヒルカワさんの壁の表示から同じにように南進しますが、今度は左に曲がり道なりに50mくらい行ったところにあります。



有王と俊寛の話は平家物語に出てきます。鹿ケ谷の陰謀の罪で鬼界が島(鹿児島の南方約50kmの火山島で現在の薩摩硫黄島と言われています。現在の喜界島ではありません)に島流しになった藤原成経、俊寛僧都、平康頼でしたが、後日成経と康頼は恩赦で都に帰ることができました。しかし俊寛は恩赦されずひとり島に取り残されてしまいました。

それを知った俊寛の弟子、有王は主人の安否を確かめに苦難の末鬼界が島にたどり着きますが、やっとのことでやせ衰えた俊寛に出会うことができました。

しかし俊寛は「おのずからの食事をとどめ、偏に弥陀の名号をとなえて、臨終正念をぞいのられける。有王わたって廿三日と云うに、その庵のうちにて遂におわり給いぬ」

有王は主人を島で荼毘にふし、その遺骨を高野山奥の院に納骨し高野聖となって諸国を行脚しましたが、現在の益生駅がある付近にあった寺で客死したということです。なお、桑名市教育委員会文化財ホームページには「平家物語に有王という侍童は述べられていない。潤色されて有王が登場するのは後代の俗書である」とありますが、私が読んだ「意訳で楽しむ古典シリーズ平家物語」(字も大きいし簡単に読めます!)にはちゃんと有王の話は出てきますが。