リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ことばは世につれ

2021年03月19日 20時49分42秒 | 日々のこと
リュートソングの歌詞をよく読んでみると、現代の発音では韻を踏まない箇所が出てきます。当時はちゃんと韻を踏んでいたはずですが、発音が変化してしまった結果韻を踏まなくなったわけです。400年も経てば発音はかなり変わるということでしょう。タイムマシンで戦国時代に行ったら多分日本語の発音の聞き取りに相当苦労するでしょうね。

小さい頃、近所のおじいさんが柿のことを「クヮキ」と言っていたのを聞いたことがあります。中学生の頃買ったギター専門誌「ギター音楽芸術」(関西ギター芸術協会出版)の背表紙には「KWANSAI GUITAR GEIJUTUKYOKAI」とありますので、この雑誌を編集されていた方も柿は「クヮキ」だったでしょう。

小学生の頃、卒業式に向けての学校からの文書には保護者の服装が「華美」にならないようにする旨が必ず書かれていましたが、この「華美」は現代ではもう死語ですね。世の中皆さん数十年前と比べればそれはハデになりましたから。昨今はお店に行けば店員さんはみんなニコニコ作り笑いをしていますが、昔は「ニヤけるな!」なんて言う人もいました。

作法で言えば、人前や室内では帽子を脱ぐのは当たり前でしたが、最近では平気で帽子をかぶったままの人がいます。まぁいろいろ事情がおありの人もいらっしゃるでしょうから、一概にマナーがよくないとは言えないでしょうけど。帽子をかぶったまま演奏する失礼なギタリストもいますが、仮に彼が上手く弾いて「あなたのギターの腕には脱帽です」なんて言うと何のことか訳がわからなくなります。

昔は「ウチの課長はよく切れる人だ」と言うと、その課長さんはとても頭がいいという意味ですが、現代ではよく怒る人という意味になります。昔は「この車はよく走る」と言えば、加速がいいとかコーナリングがいいという意味で使っていましたが、今では燃費率がいいという意味で使う方が多いようです。

10年ひと昔とは言いますが、実際は10年ではまだまだ大した変化ではありません。それが30年40年50年となるともう決定的に、それこそ連続線が見られないくらい世の中は変わりそれにつれて言葉も変化していくものです。