唐松集成材

2007年06月29日 | 信州の木材
マツミハウジングさんの「北海道産唐松を求める旅」の映像を興味深く拝見した。自慢にもならないが北海道は行ったことが無い。話しにきいていた、大根を蒔く様に平地に植えられた唐松というのが、長野県から見た北海道の植林事情だ。

 昭和30年代から長野県から唐松の苗木が、北海道、東北に運ばれ、戦後荒廃していた山々が唐松の人工林となった。15年前位まで、唐松の先進地である長野に北海道から視察に見えた。今の長野の悩みはいずれ北海道の悩みになりますよ、と申し上げた記憶があるが、ところが先の植林事情である。広大な土地である北海道はわりあい平地の植林が多く、出材コストが安い、そこへさらに人件費が安いという事情があり、長野県はそのために大いに苦しんできたが、消費地に近いという利点で輸送コストと小回りで生きてきたところである。

 いったん植林という人工の手を入りた以上、その後も間伐という手を入れていかねばならない。そうでないと映像でもあったとおり台風の強風で一面になぎ倒されてしまうのだ。山は木を育てるだけでない。水源地でもあり、さらに海の魚にだって影響を与えているのは、昨今は知られている。あわせて京都議定書以来の二酸化炭素も絡み、もう待ったなしの所へ来ている。

 一番の問題は需要なのだ。唐松は建築用材ではなく土木用材として使われている。だから公共事業が減ってこの唐松の間伐材のはけ口が極端に減った。幸いといえるかどうかだが、ロシア唐松の輸入も少なくなったが。

 建築材も世界の資源の流通事情もここへきて大きく変わった。さらに円安にユーロ高で外国からの輸入コストは嵩み、良材も少なくなつてきた。

 国産材に目が行き始めたのは当然のことである。ところがあまりにほおって置かれすぎた。供給体制がついていかない。もっともみんなが国産材といったら、山はたちまち禿山となろう。木を伐るコストよりも、その後植林し手を入れていくコストのほうが高いのではないかと思う。だから何十年経っても間伐という形でしかできないのが、現実ではなかろうか。

 唐松の現場で30年私が得た結論から言えば、建築材は最終的には集成材である。無垢では絶対量がないのだ。自国の資源を無駄なく使い切るためにも。強度は無垢材よりも勝る。これからの国産材の花形となろう。

 私は唐松が好きだ。戦後先人たちが険しい山々の峰まで植えた唐松。その思いを大切にしたい。1本でも多く市場にのせることが、その心に報いることと思って
唐松を扱ってきた。地元では昔から唐松の柱や桁が使われてきていたが、輸入材が入るようになって使う人がいなくなっていた。

 脱脂乾燥の技術の進歩が、唐松の建築材への道を開いてくれたのである。
10年前建てた当社の事務所もその表徴的なものである。
その土地で育った木はその風土にあう。
                        美恵子
 唐松を語ると長くなる。読んでいただいてありがとうございました。

 
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