継続は力なり・・・・がわかるのは。

2009年02月10日 | 日々のこと
少し早めにリタイアした友人から、習い事三昧の日々を過ごしている話を聞いて、心底うらやましい・・と思った。「仕事が面白かったら、それが一番よ」と言ってはくれたが、長い老後を考えると助走段階に入っていなければならないはずなのだが・・・・。これがダメなのである。

 1ケ月ほど前、子供の同級生のお母さんから「お茶のお稽古どう?」と誘われてかなり心が動いた。「でもねえ、この年から入ると、お道具とおへべの世界に突入で恐いわ・・・・」と濁した。

 何をやりたいのか、自分でもわからない。多忙な日々に中断したお稽古事が悔やまれる。何事も継続が一番なのだ。

 その昔卒業して佐久に帰ってまもなく友人にお茶の稽古に誘われた、まもなく友人は止めてしまい、私はたった一人の弟子となった。

 そのたったひとりの弟子のために、花を生け、書をかざり、菓子を用意し、湯を沸かして待つ身も大変だったろうが、こちらは右も左もわからぬ身である。

 それはそれは厳しい師であった。自分の持っているものすべて授けるような気迫
で、作法のみならず、あらゆるものの知識を求めた。

 そんな日々の積み重ねで、奥の深いお茶の入口に入り始めたのだった。

 友人は短歌の添削指導を受けていたが、私はこれだけは手が出せなかった。文字の中に生身の自分をさらけだすことが、どんなに苦痛であるかを知り始めていた頃だったから、かたくなに拒否していた。

 2年も経たぬうちに、師は病に倒れ、たったひとりの弟子は本当に最後の弟子となってしまった。
 同門の方に誘われて、お稽古は続けたが、育児が始まった中でいつのまにやら、意気地なくやめてしまった。

 いつでも再開できると思ったのは甘かった。稽古を始めるのは私の意志だけではどうにもならないことを思い知るのだ。
 それでも公民館の稽古に顔を出しても、流派の違いに加えて、どうしても心満たされないのは、最初の師との緊張したあの日の思いがあるからだとこの頃思っている。

 そんなこと言っているけれど、本当は根気と体力・・・・いやいや佐久流に言えばズクがなくなったということなのかもしれないね。

   依田 美恵子

    軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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