亡き母と向き合った時間。

2011年10月13日 | 家族
 とんでもなく予定外はレースのカーテンの長さ調整。レースというよりも、薄いすける生地シフォンといいますかしら。前夜脚立を持ち出して吊り込みしてくれた夫に再度外してとは言えないから、吊ったままでの作業。

 長さを5cm縮める・・・裾には錘のワイヤーが入っているから、まあ古屋の造作みたいなもの。自室だし体裁よりも実でいくしかあるまい。

 待ち針をしてもこの化繊の薄い生地を中途半端の姿勢で縫うことは最初から無理のこと。

 私の年代は針の長さの表現はできないけど、縫うにはそれなりの針が必要と針箱を探す。嫁入り時に用意したまんまの針と糸・・・・絹用の針に、ミシン針にと今となってはどうでもいいような針ばかりが目に付く。ミシンは「おしめ」を縫った程度で壊れてしまったし、絹地の着物なんか縫う技量もなし・・・・と、あきれつつ時代遅れの裁縫箱をひっくり返した。

 それでもミシン会社からサービスでいただいた中に見つけていた針が入っていた・・・・・やっぱり仕事をするには、それなりの道具が必要なのよ。

 昔から使っていた金の指はめはどうやっても適当な場所に納まらず、娘の皮の指はめに登場を願ったがところで・・・これってどっちが上なのよ!!

 90歳まで針を持ち続けた母の指には常に指はめがはめられていた。

 あれは中1の夏休みの最後の日だった。何か作品を提出しなければならないから、枕カバーを作ろうとした私。母がしっかり待ち針までしてくれたのに、早いが取り柄とばかりに強引にミシンを踏んだ私。

 母に「本を読む女は裁縫が嫌い」という強烈な感想をもらった。

 その意地があったのかもしれない、高校を卒業した春から学生時代の長期の休みに、お針の稽古に通った。自分の頭の中では肌襦袢から単衣、そして次にはとシュミレーションができていたのに、なんと・・・・袷で挫折した。

 袷が袋になる・・・・今それをなんと表現するかわからないが・・・・母は評価はまとを得ていたらしい・・・・それ以来、母流に言えば本を読む女にあまんじたのである。

 だから今でも浴衣しか縫えない。

 レースのカーテンの裾上げはそれらの日々を思い出させてくれた。

 針仕事を通して母が言った縫い物の言葉の数々が思い出される。待ち針の打ち方も布の持ち方も糸の長さまでも・・・・。

 つい最近まで必要な縫い事は母に持ち込んで済ませていた私、運針も手縫いも縁のない何十年を過ごし、今こうして針を持ちながら亡き母と向かい合ったのだった。

                      依田美恵子

軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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