今朝の信濃毎日新聞の1面のトップ記事は、「あさま山荘事件」だった。
あれから早半世紀。
半世紀たったことにも、事件のことにも感慨があった。
我が家から車で30分もかからない場所。
あの時も寒かった。
昨年、当時警視庁の機動隊員で、現場にいた方からその時の話を聞く機会があった。
まさしく前線で救出にあたっていた。
警官2人が死亡しているし、身代わりに人質になると言った方も亡くなっている。
亡くなったのは上司の方。
事件が起きてから9日もかかっている。
あの日、放水と鉄球が撃ち込まれるテレビの生中継を、会社の社員全員で半日見ていた。
午後会社をお休みにしてだ。
テレビドラマは2時間で終わるけど、現実は厳しい、みんな固唾をのんで見つめていたのが思い出される。
発生から終わりまで9日もかかったから、現場を訪れる人も多かったみたいで、軽井沢に仕事で行っていた義父は同僚と足を伸ばしたという。
そこで寒さに震えている機動隊員に、タオルでほおかぶりをすると、洋服1枚分暖かいと教えてきたと、嫁いできてから聞いたことがあった。
人質だった方が、救出直後「何をしたいですか?」のインタビューに「夫と旅行がしたい、遊びに行きたい」という旨のことを言ったのが、マスコミに流され、激しいパツシングにさらされた。
救出で死亡したり、怪我をした方のことを知らなかったのだろう。9日間もの恐怖の中で、そう思うことでなんとか過ごしてきたのだろう。
お気の毒であったと思う。
今回半世紀ぶりにその方が語った。と言っても本音の部分は載っていない、これまたバッシングにさらされる可能性もあるからだろう。
僅かな行間にその思いを感じた。
殉職なされた方に申し訳ない、今も毎年慰霊の碑にお参りを続けている。
今は事件を考えないようにしている、と。
辛い、無かったことにしたいのにできない半世紀だったと思う。
機動隊員だった方の話も、衝撃だった。
この事件の少し前に学生時代を送っていた私。当時の学生は大なり小なり学生運動の洗礼を受けていたと思う。
卒業して30年も経った頃、学生時代の友人と当時を思い出し語ったことがあった。
もっと世の中のことが明らかになっていたら、学生運動も変わっていただろうね、と。
連合赤軍などなかったかもしれないね、と。
そんなことがつらつらと思い出された朝でした。
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