昨年の10月7日から、週1回信濃毎日新聞に掲載されている、林材ジャーナリストの赤堀楠雄氏の「信州カラマツを宝に」を興味深く読ませていただいている。
信州カラマツは、私の仕事の8割方を占めていたと言っても過言ではない。
平成20年に製材工場部門を閉め、木材の流通と建築の仕事に特化するまでの40年間、このカラマツと共に生きてきた。
誰よりもカラマツを愛し、先人が苦労して植林したカラマツを1本でも多く市場に載せたいと。
紆余曲折がありました。
今回の赤堀さんの連載を読みながら、その過去を思い出しました。復習していました。
興味のある方は、私の「信州の木材」のカテゴリーをご覧ください。
製材工場部門を閉めるには、あまりにも先の見通しがない国の方針もありました。
それで後継者に、木材と建築の仕事のどちらをやりたいかを選択させ、5年計画で工場を閉める計画だったのですが、結局3年前倒しになりました。
そこまでに持っていくには並大抵でない、水面下の準備が必要でした。
一番は社員です。
公にした日、仕入れ先に社長に同行して挨拶に伺い、そこで社員を雇ってもらうようお願いをしたのです。
「お宅で勤めていた社員なら」と仕入れ先から2つ返事をいただきました。
そして、社員に発表して、仕事先の確保はしたので、それぞれ自分が行きたい会社を選んでもらうようにしました。
これが一番心配でしたが、製材工ってある意味貴重なのですね。
製材機の音がなくなって、その静けさになれるまで2年かかりました。
工場を閉めてから、カラマツを取り巻く環境が大きく変わり、その変わりように驚きます。
それでも、日本の山の将来を考えると、これでいいのかと不安も感じます。
いえいえこんなことを書くつもりではなかったのですよ。
お読みいただきありがとうございました。
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