たった1枚の葉から。

2007年03月17日 | 日々のこと
 2年半前に呉服屋さんがイベント用の「はっぱから生える花木」をくださった。
事務所の窓辺でEj2メートルを越す大きさに成長した。元がたつた1枚の葉だつたので小さな鉢から出発したのだが、たちまち大きくなり1度は植え替えたものの今はもう恐くてできない。12本もの茎が乱立しているのであるから。

 名も知らない、沖縄産で3年たったら花が咲きますの言葉を信じて水遣りだけはかかさないがろくな肥料もないのにけなげなものである。

 そのせいか、たくましさに欠けるかもしれない。元の木を見ているわけではないのでなんともいえない。光を求めて、窓の上部にきたらかぜん横に伸び始めたのである。紐で支えて吹き抜けの上の窓まで誘導することにした。

 たった1ケ月で見事にたどり着いた。すごい生命力である。
どんな花が咲くのであろう。その花しだいで嫁入り先が増えるかもしれない。
たった1枚の葉から芽生えたわが事務所の期待の星である。
                         美恵子
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ケヤキの伐採

2007年03月15日 | 住まいづくり
 伐採のご相談を受け現場に。OBのお客様である。毎日のよう通っていたのにそこに自分の土地がある意識がなかったとのこと。

 道路脇の南側の斜面の30坪ばかりににケヤキの木と雑木が立っていた。ご他聞にもれず隣地に家が建ち、その葉の始末から始まったようである。
 寝耳に水・・・だった様子で、ご本人もびっくりなされていたが、知っていればもっと早くに手を打っていただろうと思うが。退職後にふるさとに戻られたので、長いブランクがあったのだ。

 伐りたくないというご希望でお聞きしていたが、現場を見れば伐ることをお勧めするよりなかった。
 別荘地もそうであるが、大きな木があると台風、大風の時に思いがけない災難がおきる。枝が落ち屋根や車を傷める。それが隣地のお宅であればなおさら話はむずかしくなる。
 別荘を建てさせていただく時、その点にもかなり留意する。実際住んでおられる方に伺うと300坪の敷地でもお隣の木がちょうどいい木陰をつくってくれるとのこと。だから自分のお庭には好きな木を植えてあまり大きくなさらないようにしているご様子。

 何本も寄せ集まったようなケヤキは時代は経ているものの、商品価値は見込めないのでかなりの持ち出しになってしまうだろう。
 道路脇で電線も多いさらに家が近い、重機屋さんの仕事になるがなかなか大変だ。たくさんの枝の処理も大変、マキストーブの人には喜ばれそうだが。
 もう木は水を吸い上げているので、伐るのは秋だろうな。
冬に逆戻りした日であったが、陽だまりの土手に[田植えぐみ」の花が咲いていた。2ケ月は早い。びっくりした・・・・。
                          美恵子
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若人に夢と希望を。

2007年03月14日 | 日々のこと
春闘の季節である。一昨日の朝NHKで評論家の内橋克人氏の話を聞く。
キャノンの派遣社員が国会の委員会で就業実態を証言した話である。派遣そして請負はバブル後から、日本経済を支えてきたのはその就業体制ではなかっただろうか。しかし、その体制が若者から夢と希望を奪っているのも事実である。

 5年程前だったろうか、夫が日経の記事を指しながら「やはりなー」といった。
そこには親世代が子供に生活資金を援助している実態が数字で表されていた。
成程わが身に重ねてもよく理解できる話であった。

 現在でもその数字は増えることがあっても減ってはいないだろう。しかしそれができるのも団塊世代からしばらくの親世代かぎりではなかろうか。 個人差はあろうが。

 ここにきて相続時精算課税の年齢が65歳から60歳になるのではなかろうかという憶測がうまれている。団塊世代の退職金狙いからすればそうなるだろうなと考える。

 息子が就職する時、夫とどこに決めようとも彼の判断に任せようと決めていた。
就職した話を社員にしたら、ラジオで社長さんが「人とごみは出さない」と言っていましたよ。と教えてくれた。私は社長さんの心意気に感動し息子の判断が間違っていなかったと確信した。

 あれから5年、息子の給料が大幅に増えたという話は聞かない。でも雇用を優先している限りそれはありうることだから社員も納得しているだろう。
しかし暖かい社風の中で息子は充実した日々を送っている。
 たまに嫁に「生活大丈夫?」と聞きはするが、さりげない援助だけに心がける。
収入の範囲の中での生活の習慣をつけて欲しいから。

 これから先を担う日本の財産である若人が、生き生きとして生活できるような雇用をつくらなければ日本の未来はない。
 グローバル化の中の低賃金との競争があったかもしれない。大企業の前代未曾有の収益も国内ではなく海外で稼いだものという話もあろう。

 それでも今決断の時ではなかろうか。
                          美恵子
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セミナー終わってしまったんですか、にお答えして。

2007年03月13日 | 住まいづくり
 セミナーはもう終わってしまったのですか。また、伺えなかったので。というお電話を今日いただきました。すみません、少ないスタッフでやり繰りしていますので、現場も比較的時間に余裕がもてる1月から3月の間にセミナーは開催しています。

 この後は5月12日土曜日にお客様感謝祭を開催します。OBのお客様と建築中の方、それとこれからお建てになりたい方にご案内をさせていただいています。
もちろん飛び込みも歓迎です。

 お客様感謝祭は毎回、私たちスタッフはバタバタしていてゆっくりお話できない場合もあるのですが、みなさんお客様同士でとても和やかに情報交換をなされておいでです。
 もしよろしかったらお出かけください。ただ今いろんな企画を練っているところですが、今年は小さなお子様向きにミニ動物園を誘致しました。
 当社の社員とパートナー会社の皆さんがスタッフですが、パートナー会社の皆さんはお客様とみんな顔見知りですから、お話も弾みます。

 イスや机を作ったり工作、どじょうのつかみどりはお子さんや昔のお子さんにも人気です。
 スタッフ手作りのそばや豚汁・おにぎりをほおばりつつ、大工さんが砥いでくれる包丁の出来上がりを待っていただいています。

 お出かけいただくときは必ず包丁持参してくださいね。トマトがスパツときれると感動物です。

 モデルハウスはいつでも見学可能です。定休日の場合もお電話をいただければご案内しています。
 実際にすんでおられる方のお話をお聞きしたいという方には、「いつでもどうぞ」とおっしゃつていただいているお客様かいらっしゃいますので、あらかじめお電話・メールでご連絡ください。

 完成内覧会はその折々開催しています。ご希望の方にご案内をお送りしています
ので連絡先をお知らせください。
それではお待ちいたしております。
                          美恵子
 
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セミナーを終えて。

2007年03月12日 | 住まいづくり
今年3回目のセミナーと完成見学会を昨日開催いたしました。モデルハウスで説明をしながら、まだまだ家づくりの根本にたどり着いていらっしゃらないお客様がおいでで残念です。

見栄えがいいから、モデルハウスが素敵だったからだけでそれだけで飛びついて
いってしまう方がなんと多いことでしょう。

当社のモデルハウスはただ今築10年です。華美でも豪華でもないごく普通のお家です。
それは百聞は一見にしかずと、体感してもらうことが一番と思い「宿泊体験ハウス」を平成3年に1棟目を建てたのに引き続き現在のは2棟目です。

実験棟も兼ねていますので、時々リューニアルはしていますが、今は10年たってもこの性能。と体感をしていただいています。

親戚のお家に泊まっていただくような感覚でと、料理もしていただいています。
子供さんの落書きもあれば、お茶碗割っちゃいましたという話もよくあります。

押入れのお布団が干したてのようでと、ご自宅の押入れと比較して感動される方もいらつしゃいます。

ですからハウジングパークの坪100万円のモデルハウスと同じ感覚でお越しの方はがっかりなされるかもしれません。私の説明も耳に届かない感じで、そくさくとお帰りになる方にはいい家造りにたどり着けることを祈るばかりです。

3回のセミナーを通して多くの新しいお客様と出会うことができました。皆さんのいい家造りのお手伝いをさせていただくことが出来れば幸いです。

セミナーでお話をしていただきましたOBのお客様本当にありがとうございました。私たちも大変参考になるお話をいただきました。
これから家を造られる皆さんには「目からうろこ」と大変参考になったというお話もいただきました。これからもよろしくお願いいたします。
                          美恵子

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お客様は正しい・・・・恐縮の限りです。

2007年03月09日 | 日々のこと
 11日のセミナーの用意でスーパーに買い物。そこは主婦アボガドを見たとたん「おじいちゃんが喜びそう」とつい手をのばす。スーパーの商品の並べ方には特徴があって平積でなく、斜めのところに特に今日は芸術的な積み方をしてあった。

食べ時の色があつて、今日食べようと思えばそれなりの色を選ぶ。3つ目を取った時、その芸術的な山が崩れ下に落ちた。

色は悪いが、柔らかめだったようでしっかりへこみが出来た。
とても元に戻す勇気はないので4個目としてかごに入った。

特売日であったため、レジ係は急いでいたらしい。私のアボガドをレジ台から床に落としてしまった。「すみませんお取替えします」と。すると彼女も私が落とした物も傷んでいると見たらしい。「すみませんそれは私が落としたので」「いいえこれもお取替いたします」・・・恐縮のかぎりであった。

教訓1・・・お客様は正しい。・・・例のスーパーマーケットの話。
教訓2・・・売値110円で原価なんぼかで、どんな広告を打つよりファンを
      増やすことができた。
 きっとあのアボガドはお惣菜売り場のカリフォルニア巻きになったのだろうな。
長野県佐久市中込原の「つるや」というマーケーットです。お野菜も一番良いものを売るというお店です。
                          美恵子
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花粉症70歳で卒業?

2007年03月08日 | 家族
16年前ゴールデンウィークが明日から始まるという日に祖父が倒れた。突然意識が無くなったということで、電話で駆けつけた時まだ救急車もきていなかった。

実は次の日が親子4人のヨーロッパ旅行出発の日だったのである。この日のための準備も怠りがなかっただけにキャンセルには辛いものがあった。

高1だった娘は学校で「ヨーロッパに行ける人」から急に「行けなくなった可哀想な人」になってしまったといったが、彼女には曽祖父の容態が心配で、キャンセルも意に介さなかった。

祖父を診察した先生が私になぜ鼻汁がこんなに出るのですかと聞かれた。花粉症のアレルギーです。というと、先生はびっくりして「普通70歳を過ぎると反応しなくなるものなのですが、お若いですね」その時祖父90歳。日頃100歳まで生きるのは簡単と言っていた。

先生に旅行に行っても大丈夫と言っては貰ったが、救急車じゃあねえ。
1週間いろんな検査をしたが、何もありませんと無事退院。
キャンセル料は軽自動車1台分だった。

今思えばあれは孫夫婦とその子供までが、飛行機に乗ることへの不安であったかもしれない。

普通人なら70歳になれば花粉症から解放されると思っていたのに、この頃83歳の母が目の痒さが止まらないと病院へ。結局アレルギー性とのこと、83歳で発病ですか。・・・うーん。70歳では卒業できないということか。
                        美恵子
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雛騒動

2007年03月07日 | 家族
雛祭りもいよいよ近くなった2月下旬、嫁いだ娘の雛をあわただしく飾った。若かり日は2月11日を飾る日ときめていたのに・・・・。
いよいよ2日になって母が夫の妹の雛を飾りたいという話になった。ところがどこにもその雛がないという。この前飾ったのは確か7~8年前のこと。いやな予感。その頃シンプルライフを目指して、家・小屋に離れと片付けまくったのは私。まさか自分では捨てた記憶はないけれど、みんな私が捨てたと思っているのだろうと。

家中ここぞと思えるところはみんなで探した。挙句の果ては電話で雛の主にまで尋ねる始末。

小さい頃から人形が大好きだった。今でも自分の手にした人形の一つひとつを覚えている。おぶったりだつこしたり着物をつくって着せたりと大事にしたものだった。

 自動車の免許を取った時、今は住んでいない家の土蔵にしまってあった自分の雛を持ちにいった。しかしそれはもうねずみの被害を受け見る影もなかった。
泣きましたよ。ものすごく。母が新しいお雛様を買ってくれるからとなだめる位。

お雛さまに寄せる娘ごころはわかるだけに、本当に探しまくりました。

出てきました。3日探して。離れの古いタンスの中から。
そのタンスの前には私のベルト式の歩行機の重いのがあって、開けられなかったのでした。もうそこっきやないと思ったとか。

誰も口には出さなかったけれど思われていただろう疑いが晴れて、私はほっとしたのでした。
この位家中をかき回せば、私の片付けたいという欲求が目ざめました。
5月の連休は毎年私のお片づけデーです。今年もやるぞー。懲りずに。
                        美恵子
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森林整備の実態。

2007年03月06日 | 信州の木材
先日の講演会の前にNPO法人による森林事業の取組の事例発表があった。これが今の長野県の森林事情を象徴していると感じた。
田中知事に替り公共事業の減少を建設業の森林整備事業への参入で森林組合は解体状態になった。たぶんIターンで森林組合に勤めていた彼らも辞めざるを得なかったのだろうと思った。

NPO法人を設立しただ今専従職員4名で若干の機械とトラックを所持し後はリースで賄い、17年度の収入が1200万ちょつと。森林整備と森林教育による収入である。今年度は森林教育の部分を増して収入の増加を図ったといっていたが、それでも昨年度と大差が無い途中の数字が並べられていた。
収入をまるまる4人で分けたとしても、ほめられる給料にはならない。

県が発注している森林整備事業の実態はあくまで森林整備である。彼らが1年間に素材生産した木材は96㎥だったからである。たぶんその素材が桧であったから、出したということなのだろうと想像した。

昨年の9月に森林管理署のシステムの関係で素材が12月まで入ってこないという危機を感じ、県の林務課(当時は田中知事だったので横文字の部署であった。)
に県の発注している森林整備でどの程度の木材が市場に出回っているのかうかがったことがあった。

その日担当者は在席していなくて、あちこちから森林整備に関係のある人が集まって話をきいてくれた。その時20000㎥出ていますという話に驚いてしまった。
20000㎥という数字が本当ならばはこの佐久地方で年間使えきれないほどの数字だからである。

現実はその殆どは出されていない、ほとんどが伐り捨てである。建設業が進出するようになり、市場に木材を出せば赤字ということで、伐り捨てがより進んだということである。

私たちがそれを強く責められないのは、もしその間伐された木材が全部市場に出たら、供給過多になり木材の価格は暴落するだろうし、需要がないかぎりどうしょうもないことがわかつているからである。安ければ何でも良いと言うわけにはいかないお山の事情なのだ。

たとえ山の木がただにしても、素材の生産費・運賃は木材の価格より高いのである。だから先のNPO法人の皆さんの森林整備の費用が1000万円でも100㎥の木材しか出てこないのである。それであっても彼らの年収がそれまでであることを考えれば、日本の森林の未来がどの位おぼつかないものの上にあるのか、お分かりいただけるでしょう。

県も知事が替わったが、世界の木材事情が変わってきた今、今までのような入札を変えていかねばなるまいと思う。一番出しやすい里山でも出さないままきているのを今後は木材を出すことを条件に入れなければなるまいと思う。
                       美恵子
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私たちが失ったもの。

2007年03月05日 | 信州の木材
昨日地域づくり講演会で、哲学者内山 節氏の講演を聞いた。「上流と下流を結ぶ家づくり」である。氏は1950年生まれだが35年前から群馬の上野村に年の半分住み、地域の中て農業と山仕事をしている。地方紙に私が気にし始めてからもう15年も連載している。今、世の中の変化に誰もが気がついている。これから先に不安を感じるのは私だけではあるまいと思う。

氏の話を聞いた時、その原因がここにあったのだと胸におちた。
氏は35年前上野村に移った頃の話から、かって家づくりは大工さんと一緒に建てていく息の長い仕事であり、地域の総合力で家が建っていた。
家には仕事空間・生活空間・接客空間が存在していた。しかし今仕事空間も接客空間も失われてき、さらに生活の場も個室による賄い付ワンルームマンションになり。その食事も五月雨式であると。家族と一緒に生活を共にする空間がなくなった。・・・・はたして家とは何だったのだろうか。

昔の縁側や玄関はある種の公共空間であり、留守でもそこまでは地域の人は入ってもいいという空間であった。接客空間のないことは、地域社会でコミュニーケーションが取れないということであり、これで地域といえるか。

少し前まで、山には人間・動物・神々がい、その生命の中で我々は生きている。その生命の中から木を貰って家を作っているという精神文化があった。かっての家には精神文化を共にした地域の暮らし方・地域の家・地域の木が存在した。

はたして家とはなんだったのだろうか。・・・それを回復していく作業・・・
それは山林修行(人間であることを捨ててしまうほどの修行、ぎりぎり追い込み再生させる)・・・自然こそが穢れていない。・・・・・すみません内山さんこの時すごい睡魔におそわれてよく理解できませんでした。
地元の木を使い、地域の暮らしをつくっていく、森があって川があって村があって支えあう暮らし。私たちが少しずつ回復していくには、どういう地域で暮らしているのか、その地域の暮らしの文化も必要なのだ。

日本の木を使わなくなったことで、いろんな虫も減ってきた。彼の体験によると35年前の1割程度だそうだ。虫が減ったということはその虫が暮らす環境が減ったということ。いままでたくさんの開発をしてきたのに今、日本の山林面積は明治時代初期、あるいは戦後初期と同じ程度だという。それは草原が無くなったということである。

木を伐らなくなった。間伐が主流である。(注 山の木を一斉に伐る事は次の植林や下草刈りにお金がかかるので最近はこの傾向で進んでいる)
そのために森が伐られたほうがいいものにとっては大変である。森が深くなれば草の種類は減る。そして草原がなくなると草原がないと暮らせない動物は圧迫されてくる。

動物たちは、人間が牛馬の草刈などの森林環境をかく乱することを前提にしているので、そのかく乱がなくなったので多様性が無くなってしまった。

放っておくと森林に戻ってしまう場所は森林地帯、それは田も畑も休耕田も草原も住宅地もその仲間である。その森林地帯の中で自分たちの生命を絶えず考えていく。

今反省してつくり直している時代なのだ。私たちは何を忘れてきたのか。何をやってきたか。根本から考え直さなければならない。
私たちが目指してきた社会とは、便利さを求め効率よく物を作り。経済の発展を求めてきたが、その結果人生そのものがつまらないものになっていないか。

例えとし、昭和25年生まれの彼は初めてテレビが家に来る日のわくわくした感動を語り、そして昨今の薄型テレビを購入しても、そのわくわく感がない。
旅行にしても1ケ月も前から楽しみにしていたのに、今は・・・・。

私たちが目指していたもののために、私たちはそのためにイライラしてきた、また社会でもいろんなことが起きている。それは森林だけではない、私たちは大きな間違いをおかしてきた予感がする。

反省として・・・伝統的なものは何か。過去がなぜ必要なのか(ぜったい戻れないから)過去があることによって過去のすばらしい文化や仕組に気がつく。これを何かヒントにする気づきの世界がある。と結ばれた。

15年前私は彼に1通の手紙を書いた。彼の連載を読んでの感想であった。
その頃彼の森林に対する考えが私たち森林に携わる物にとって切実なものであったから。
その頃から山の木は間伐されても80パーセントは伐り捨てにされていた。
外国から持ってきたほうが安いからである。1本でも多く市場に乗せたい。その気持ちをもって日々励んでいた私たちだが、現実は厳しかった。
出しても売れないから、何年たっても間伐というかたちをとり、全伐をすることのない方法がとられていった。

ロシアの材木もカナダ・米国の材木も日本に入りにくくなった。外材の高騰が続いている。日本中が地域材と言っている。少なくともその政策や気運が内山さんが警告していたあの頃だったらと思わずにはいられない。

4年ぐらい前談話室で地域の材木を使ってほしいと、日本の山の現実を書いたら、
洗濯機や冷蔵庫を安い中国産を買わないで、国内産を買うかという反論をいただいた。それとこれとは違うという問題ではないといわれて愕然とした思いがある。

地球温暖化など地球的規模で問題がおきている。私たちのまわりでも信じられない種類の犯罪がおきている。私たちは今生き方を見直さなければならない時がきている。

                               美恵子


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