私たちが失ったもの。

2007年03月05日 | 信州の木材
昨日地域づくり講演会で、哲学者内山 節氏の講演を聞いた。「上流と下流を結ぶ家づくり」である。氏は1950年生まれだが35年前から群馬の上野村に年の半分住み、地域の中て農業と山仕事をしている。地方紙に私が気にし始めてからもう15年も連載している。今、世の中の変化に誰もが気がついている。これから先に不安を感じるのは私だけではあるまいと思う。

氏の話を聞いた時、その原因がここにあったのだと胸におちた。
氏は35年前上野村に移った頃の話から、かって家づくりは大工さんと一緒に建てていく息の長い仕事であり、地域の総合力で家が建っていた。
家には仕事空間・生活空間・接客空間が存在していた。しかし今仕事空間も接客空間も失われてき、さらに生活の場も個室による賄い付ワンルームマンションになり。その食事も五月雨式であると。家族と一緒に生活を共にする空間がなくなった。・・・・はたして家とは何だったのだろうか。

昔の縁側や玄関はある種の公共空間であり、留守でもそこまでは地域の人は入ってもいいという空間であった。接客空間のないことは、地域社会でコミュニーケーションが取れないということであり、これで地域といえるか。

少し前まで、山には人間・動物・神々がい、その生命の中で我々は生きている。その生命の中から木を貰って家を作っているという精神文化があった。かっての家には精神文化を共にした地域の暮らし方・地域の家・地域の木が存在した。

はたして家とはなんだったのだろうか。・・・それを回復していく作業・・・
それは山林修行(人間であることを捨ててしまうほどの修行、ぎりぎり追い込み再生させる)・・・自然こそが穢れていない。・・・・・すみません内山さんこの時すごい睡魔におそわれてよく理解できませんでした。
地元の木を使い、地域の暮らしをつくっていく、森があって川があって村があって支えあう暮らし。私たちが少しずつ回復していくには、どういう地域で暮らしているのか、その地域の暮らしの文化も必要なのだ。

日本の木を使わなくなったことで、いろんな虫も減ってきた。彼の体験によると35年前の1割程度だそうだ。虫が減ったということはその虫が暮らす環境が減ったということ。いままでたくさんの開発をしてきたのに今、日本の山林面積は明治時代初期、あるいは戦後初期と同じ程度だという。それは草原が無くなったということである。

木を伐らなくなった。間伐が主流である。(注 山の木を一斉に伐る事は次の植林や下草刈りにお金がかかるので最近はこの傾向で進んでいる)
そのために森が伐られたほうがいいものにとっては大変である。森が深くなれば草の種類は減る。そして草原がなくなると草原がないと暮らせない動物は圧迫されてくる。

動物たちは、人間が牛馬の草刈などの森林環境をかく乱することを前提にしているので、そのかく乱がなくなったので多様性が無くなってしまった。

放っておくと森林に戻ってしまう場所は森林地帯、それは田も畑も休耕田も草原も住宅地もその仲間である。その森林地帯の中で自分たちの生命を絶えず考えていく。

今反省してつくり直している時代なのだ。私たちは何を忘れてきたのか。何をやってきたか。根本から考え直さなければならない。
私たちが目指してきた社会とは、便利さを求め効率よく物を作り。経済の発展を求めてきたが、その結果人生そのものがつまらないものになっていないか。

例えとし、昭和25年生まれの彼は初めてテレビが家に来る日のわくわくした感動を語り、そして昨今の薄型テレビを購入しても、そのわくわく感がない。
旅行にしても1ケ月も前から楽しみにしていたのに、今は・・・・。

私たちが目指していたもののために、私たちはそのためにイライラしてきた、また社会でもいろんなことが起きている。それは森林だけではない、私たちは大きな間違いをおかしてきた予感がする。

反省として・・・伝統的なものは何か。過去がなぜ必要なのか(ぜったい戻れないから)過去があることによって過去のすばらしい文化や仕組に気がつく。これを何かヒントにする気づきの世界がある。と結ばれた。

15年前私は彼に1通の手紙を書いた。彼の連載を読んでの感想であった。
その頃彼の森林に対する考えが私たち森林に携わる物にとって切実なものであったから。
その頃から山の木は間伐されても80パーセントは伐り捨てにされていた。
外国から持ってきたほうが安いからである。1本でも多く市場に乗せたい。その気持ちをもって日々励んでいた私たちだが、現実は厳しかった。
出しても売れないから、何年たっても間伐というかたちをとり、全伐をすることのない方法がとられていった。

ロシアの材木もカナダ・米国の材木も日本に入りにくくなった。外材の高騰が続いている。日本中が地域材と言っている。少なくともその政策や気運が内山さんが警告していたあの頃だったらと思わずにはいられない。

4年ぐらい前談話室で地域の材木を使ってほしいと、日本の山の現実を書いたら、
洗濯機や冷蔵庫を安い中国産を買わないで、国内産を買うかという反論をいただいた。それとこれとは違うという問題ではないといわれて愕然とした思いがある。

地球温暖化など地球的規模で問題がおきている。私たちのまわりでも信じられない種類の犯罪がおきている。私たちは今生き方を見直さなければならない時がきている。

                               美恵子


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする