3週間前に図書館はどんどん電子化されて、司書の仕事も変質するだろうと書いた。図書館は勉強したい者にはいくらでもお膳立てをしてくれるとも書いた。だが現在、図書館はネット化の波に乗り切れず、その役割を自ら狭めていることが分かった。
(母校の図書館のサイトより。)
このほど、ある論文が読みたくて母校の図書館に連絡して驚いた。図書館はその論文をPDFファイルとして持っているが、閲覧は図書館のパソコンでやってくれという。
遠方だから行けない。よって、貴図書館と当方をオンラインで結ぶにはどうやったらいいのか尋ねた。答えは外部とのオンライン化はしていないという。必要ならコピーして郵便で送るという。
そりゃぁ著作権があるだろうけどさぁ、コピーして郵便で送るってどういうこと?
実は図書館同士もオンライン化されていないという。図書館同士での蔵書のやりとりは全部郵便でやるのだという。ウソーー!30年前と同じじゃないか。
それじゃぁ、アメリカの図書館にしかない論文を見たいときはどうするの?昔みたいにアメリカから郵便でコピーを送ってもらうわけ?このネット社会で、それ本気?図書館は論文の発表者の著作権を守っているのではなく、「出版社の著作権」を守っていることになる。
論文は読まれてナンボである。論文の発表者は、広く自分の思想や発見を伝えたいだけである。論文の出版によって金儲けしようなぞとは毛ほども考えていない。
学術論文の電子版の無料配布を著作権を盾にして妨げているのは、電子版を出して儲けている出版社であることがこれで分かる。
出版社が、研究者たちが血みどろになって研究した成果を"有料で"配布しているのだ。研究者は一文も貰えないどころか、ページ数によっては掲載料を取られる。今や、出版社は研究成果の自由な往来を妨害する存在になっている。だから、出版社にたよる論文の発表形式は、もうじき終わるだろう。
アメリカの数学者ド・ブランジュがリーマン予想の肯定的証明を、学術雑誌に頼るのではなく、いきなりインターネット上に発表したのは正解だった。この方式が今後普及するだろう。そして出版社が潰れ、ネット上に学術論文の分類検索会社が栄えるだろう。当然、図書館もすたれることになるだろう。
(母校の図書館のサイトより。)
このほど、ある論文が読みたくて母校の図書館に連絡して驚いた。図書館はその論文をPDFファイルとして持っているが、閲覧は図書館のパソコンでやってくれという。
遠方だから行けない。よって、貴図書館と当方をオンラインで結ぶにはどうやったらいいのか尋ねた。答えは外部とのオンライン化はしていないという。必要ならコピーして郵便で送るという。
そりゃぁ著作権があるだろうけどさぁ、コピーして郵便で送るってどういうこと?
実は図書館同士もオンライン化されていないという。図書館同士での蔵書のやりとりは全部郵便でやるのだという。ウソーー!30年前と同じじゃないか。
それじゃぁ、アメリカの図書館にしかない論文を見たいときはどうするの?昔みたいにアメリカから郵便でコピーを送ってもらうわけ?このネット社会で、それ本気?図書館は論文の発表者の著作権を守っているのではなく、「出版社の著作権」を守っていることになる。
論文は読まれてナンボである。論文の発表者は、広く自分の思想や発見を伝えたいだけである。論文の出版によって金儲けしようなぞとは毛ほども考えていない。
学術論文の電子版の無料配布を著作権を盾にして妨げているのは、電子版を出して儲けている出版社であることがこれで分かる。
出版社が、研究者たちが血みどろになって研究した成果を"有料で"配布しているのだ。研究者は一文も貰えないどころか、ページ数によっては掲載料を取られる。今や、出版社は研究成果の自由な往来を妨害する存在になっている。だから、出版社にたよる論文の発表形式は、もうじき終わるだろう。
アメリカの数学者ド・ブランジュがリーマン予想の肯定的証明を、学術雑誌に頼るのではなく、いきなりインターネット上に発表したのは正解だった。この方式が今後普及するだろう。そして出版社が潰れ、ネット上に学術論文の分類検索会社が栄えるだろう。当然、図書館もすたれることになるだろう。