院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

市川團十郎と成田屋

2013-11-25 06:58:05 | 歴史
 歌舞伎が趣味ではないが、市川團十郎の一門をなぜ成田屋と呼ぶのか気にかかっていた。成田屋のホームページもそのいわれは書かれていない。

 江戸時代、江戸の寺が秘仏を大衆に見せて金儲けをすることがあった。これを開帳という。ばくちの「ご開帳」の語源である。これによって善男善女が押し掛け、江戸の寺はずいぶん儲けた。

 地方の寺は開帳をやっても見に来る人が少なく、商売にならなかった。そこで、地方の寺は秘仏をわざわざ江戸に持ち込んで開帳をすることがあった。これを「出開帳」という。

 千葉の成田山新勝寺も出開帳をやりたかった。このとき、成田山を手引きして江戸で出開帳をやらせたのが、初代市川團十郎である。この縁で成田山が成田屋の語源になったようにも思うが、ちゃんとしたことは知らない。先日の十二代目市川團十郎の葬儀は仏教ではなく神道で行われた。成田山の「な」の字もなかったので不思議に思った。


(Wikipedia より。)

 上の図は市川家の役者文様である。「かまわぬ」を図柄にした洒落である。これを江戸の粋だという者がいるが、なに下手な駄洒落に過ぎない。私はなんの感興も呼び起こされない。

 成田山新勝寺は出開帳の昔から商売上手で、明治時代の電気鉄道ブームに乗って、鉄道を東京から成田山まで引くことに成功し(今の京成電鉄)、参拝客を何十倍にも増やすことができた。


(Wikipedia より京成電鉄。)