(文教堂書店ホームページより。)
あまり大きくない書店は、ある意味、気楽な商売だった。「取次ぎ」が持ってくる本をそのまま並べておくのが仕事だった。売れなければ「取次ぎ」に返品すればよい。
その代わりに、店に並べられる本は「取次ぎ」に言われるままになった。書店が自らの好みによって本を選ぶことはできなかった。
書店にとって客から本を注文されるのは、じつはさほど嬉しいものではなかった。それらは「取次ぎ」がもってきた本ではないから買い取らなくてはならない。もし客が本を引き取りに来なかったら、まるまる書店の持ち出しとなる。
書店は嬉しくない注文を引き受けたものだから、熱心になれない。書店が熱心でないから、出版社も熱心でなく、本という商品は注文すると2か月待たないと届かないというのが相場だった。2か月待って、「すでに絶版になっていました」というアホな回答しか得られないことがしばしばあった。
アマゾンなどのネット書店が急進した理由に、古本も同時に売っているということがあった。ここなら待たずに、必ず希望の本が手に入る。2か月待って「絶版でした」というストレスはありえない。アマゾンは翌日来る。宅配便の機能をフルに使って、送料はただである。
良心的な書店から、「取次ぎ」は嫌われていた。「取次ぎ」は「日販」と「東販」の2社しかなく、書籍市場を支配していたからである。
アマゾンの進出によって、「取次ぎ」は市場のかなりの部分を失った。
だが、なんだかんだ言ってもすぐに電子書籍が発展してきて、アマゾンなどもこれまでのような宅配便を駆使した商売はできなくなるだろう。むろん「取次ぎ」は廃業するだろう。
まったく栄枯盛衰が早すぎる。私はアナログな世界にいてよかったと心から思う。