院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

読書週間に寄せて・・市民図書館が「屋根つきの公園」になった

2013-11-14 04:58:15 | 読書
 私の大学生時代はちょうど大阪万博の時代である。物価はいまの5分の1程度だっただろうか?

 東海道新幹線にはいまでも「ひかり」と「こだま」があるが、当時は東京名古屋間で「ひかり」のほうが「こだま」より500円高かった。貧乏学生は、500円を浮かせるために、名古屋から東京に行くのにわざわざ「こだま」を使ったものだ。

 彼女(今の妻)とのデートでの食事は決まって350円の「鈴の屋の豆腐鍋定食」でアルコールなし。当時、日替わり定食が150円だったから、350円でもかなり奮発したのだ。

 「庶民の口にビフテキを」のスローガンのもと、ステーキの「あさくま」が名古屋から全国展開していった。その「あさくま」でもビフテキが食べられず、デートで清水の舞台から飛び降りるようなつもりで注文した「ハンバーグ定食」が800円。


(ステーキのあさくま、ホームページより。)

 すべてを5倍してみれば分かる。東海道新幹線で「ひかり」より「こだま」が2500円い安勘定になる。貧乏学生が「こだま」を選ぶのは当然の行動である。「あさくま」の「ハンバーグ定食」が4000円ということになるから、貧乏学生には清水の舞台から飛び降りるようなものだったのだ。

 数日前「名古屋のOL」の記事でアルバイト代が「一日弁当つき1000円」とはずいぶん安いと思われた方もあろうが、今なら日当5000円ということになるから、さほど安くはない。

 そのころ東大出版から「講座・心理学」が刊行された。2か月に1冊の配本で1冊880円だった。2か月に1回880円なら工面できた。だが途中で、1冊1500円に値上げされた。そこでギブアップ。後は市民図書館で読むしかなかった。

 本というものは高いものだった。高くて手が出せないから、そのために市民図書館はあった。市民図書館は経済的貧しさの所産としてまず存在していたのだ。

 その後、書物のインフレが起こり、けっこうな力作が1000円以下という(著者にとっては)バカバカしいような安値で買えるようになった。軽い啓蒙本なぞはすぐに古本屋の1冊100円のコーナーに放り込まれてしまう。そのような時代に市民図書館はもう貴重な存在ではなくなっていた。ママさん連中が赤んぼを連れてくる場所になった。

 現在、市民図書館には読む必要もない本が書架にぎっしり詰まっている。目の色変えて捜しに行く本なぞもうない。同じベストセラー本を何冊も置いたりして、市民図書館は「知の鉱脈」だったことを忘れてしまったようだ。

 こうなったのは、われわれが豊かになり過ぎたことにも一因はあるのだが・・。