院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

「民意」、「市民感覚」とは何か?

2014-07-02 00:14:25 | 社会

(ドラクロア画「民衆を導く自由の女神」。ウィキペディアより引用。)

 戦後の民主主義はだいぶ成熟してきました。私の領分で言えば、むかしはノイローゼの患者に「原因」を詳しく教えることはありませんでした。「原因」はしばしば患者が聴きたくない内容だったからです。いまは教えます。聴いても患者が耐えられるようになったからです。これは民主主義の成熟と並行してるように思われます。

 ついせんだって私が大学生のころには、患者は薬の名称を教えられませんでした。病院は薬のシートの薬剤名の部分を、わざわざ切り取って患者に渡しました。薬剤名も横文字で印刷されていました。カタカナ表記になったのは最近のことです。

 「医者からもらった薬がわかる本」という解説本がよく売れて、薬剤名をブラインドにする意味がなくなりました。薬局は薬の説明書をつけるようになりました。ここまでは、よかったのです。

 そのうちに患者が薬剤名や病名について生半可な知識をもつようになりました。医療は文字情報だけでは足りず、表情、肌の色、レントゲン、脳波などを総合的に判断して行われる必要があります。レントゲン写真ひとつ読むにも大変な習練を積まなくてはなりません。ところがネットの文字情報だけで、一般の人が病気のことが分かったような錯覚に陥るようになりました。

 2014-03-05 の記事でも述べましたが、素人が玄人に意見をするのは、いかがなものでしょうか?民主主義も行き過ぎるとこうなります。近ごろ「民意」とか「市民感覚」という言葉を耳にしますが、玄人の世界にそれらを持ち込むことはできません。物理学の研究に「民意」や「市民感覚」を持ち込むことができないのは明らかですが、医療のようなボーダーラインの領域にはじわじわと持ち込まれているようです。

 たとえば「裁判員制度」というのは、どうなのでしょうか?この制度を拡張すれば「人民裁判」に行き着くと考えるのは考えすぎでしょうか?