院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

読書週間に寄せて・・安い麻雀解説本

2013-11-15 05:07:32 | 読書
 きのう、むかしは書物が高かったと述べた。専門書はとくに高価で、貧乏学生を圧迫した。同じ教科書なら古本で十分だ。学生街の神田に古本屋が発達したわけが、ここにある。


(アマゾンのカタログより。)

 学生時代に大流行していた娯楽に麻雀があった。けっこうルールが難しく、私はいまだに「符」という点数を数えられない。大学に入ったら、みなが当然のことのように麻雀をしているので、ルールを体系的に知る必要があると書店へ行った。だが、麻雀の解説本は高かった。

 ちょうどそのころ、名古屋駅前の名鉄デパートで「新本市」があった。なぜか古本でないのに安いのだ。そこに麻雀のルールの本が山積みになっていて、一冊たった50円だった。ルールならどんな解説書でも一緒だろうと、それを買った。

 あとになって、その本が安かったのは、別のルールが書いてあるからだと分かった。安物買いの銭失いとはこのことだと、当時ずいぶん自分を恥じた。

読書週間に寄せて・・市民図書館が「屋根つきの公園」になった

2013-11-14 04:58:15 | 読書
 私の大学生時代はちょうど大阪万博の時代である。物価はいまの5分の1程度だっただろうか?

 東海道新幹線にはいまでも「ひかり」と「こだま」があるが、当時は東京名古屋間で「ひかり」のほうが「こだま」より500円高かった。貧乏学生は、500円を浮かせるために、名古屋から東京に行くのにわざわざ「こだま」を使ったものだ。

 彼女(今の妻)とのデートでの食事は決まって350円の「鈴の屋の豆腐鍋定食」でアルコールなし。当時、日替わり定食が150円だったから、350円でもかなり奮発したのだ。

 「庶民の口にビフテキを」のスローガンのもと、ステーキの「あさくま」が名古屋から全国展開していった。その「あさくま」でもビフテキが食べられず、デートで清水の舞台から飛び降りるようなつもりで注文した「ハンバーグ定食」が800円。


(ステーキのあさくま、ホームページより。)

 すべてを5倍してみれば分かる。東海道新幹線で「ひかり」より「こだま」が2500円い安勘定になる。貧乏学生が「こだま」を選ぶのは当然の行動である。「あさくま」の「ハンバーグ定食」が4000円ということになるから、貧乏学生には清水の舞台から飛び降りるようなものだったのだ。

 数日前「名古屋のOL」の記事でアルバイト代が「一日弁当つき1000円」とはずいぶん安いと思われた方もあろうが、今なら日当5000円ということになるから、さほど安くはない。

 そのころ東大出版から「講座・心理学」が刊行された。2か月に1冊の配本で1冊880円だった。2か月に1回880円なら工面できた。だが途中で、1冊1500円に値上げされた。そこでギブアップ。後は市民図書館で読むしかなかった。

 本というものは高いものだった。高くて手が出せないから、そのために市民図書館はあった。市民図書館は経済的貧しさの所産としてまず存在していたのだ。

 その後、書物のインフレが起こり、けっこうな力作が1000円以下という(著者にとっては)バカバカしいような安値で買えるようになった。軽い啓蒙本なぞはすぐに古本屋の1冊100円のコーナーに放り込まれてしまう。そのような時代に市民図書館はもう貴重な存在ではなくなっていた。ママさん連中が赤んぼを連れてくる場所になった。

 現在、市民図書館には読む必要もない本が書架にぎっしり詰まっている。目の色変えて捜しに行く本なぞもうない。同じベストセラー本を何冊も置いたりして、市民図書館は「知の鉱脈」だったことを忘れてしまったようだ。

 こうなったのは、われわれが豊かになり過ぎたことにも一因はあるのだが・・。

オリンピックメダリストを厚遇せよ

2013-11-13 00:39:49 | スポーツ

The Vois of Russia より引用。ロンドン五輪での段違い平行棒金メダリスト、ムスタフィナ(ロシア))

 昨日、器械体操の選手がサーカスに行くことは、明るい話とは言えないと書いた。

 それでは、オリンピック出場まで登りつめた選手はどうか?メダリストでさえその後を厚遇されているとは言えない。

 プロ野球の松坂選手が大リーグに行くとき、契約金が61億円なら金メダリストに1億円やれ、といつぞや書いた。(本当は松坂選手自身が61億円をもらったのではないらしいが、私はスポーツ経済について詳しくない。)

 体操の森末慎二はモリスエの名前を平行棒と鉄棒の技に残した。いまはコメディアンのようなことをしている。彼は落語家であり歌手でもあるらしく、その道で成功したと言ってもよいが、体操抜きで彼がタレントとして成功したかどうかは怪しい。

 西川大輔は高校時代から体操競技で飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、いま顔を見ない。一時コメディアンになりたかったようで、体操技を用いたコントやプロレスなぞをやっていたが成功しなかった。

 いずれにせよ、オリンピックのメダリストが、その後タレントして成功しようがしまいが、オリンピック同様に脚光を浴び続けようとすると、どこか侘しい気分が残る。だから、せめて北朝鮮のように、家を与え一生年金で生活できるようにしたらどうか?61億円はかからないだろう。

 森末、西川を知らない世代の人は、内村航平が芸人になって再登場することを想像すればよい。

サーカスについて

2013-11-12 04:30:30 | スポーツ

(ボリショイサーカスのホームページより。)

 私が小学校3年生のとき、ボリショイサーカスが来日した。後楽園球場で公演するというので、見に行く予定日を指折り数えて待っていた。ところがその日に限って熱発し、見に行けなかった。

 残念がる私を不憫に思ったか、後日、父親が日本のサーカスを見に連れて行ってくれた。だが、面白くないのだ。その理由を父親は「団員に笑顔がないからだ」と私に語った。

 医学生時代、教授に「自分は小さいころサーカスに売られた」という強固な妄想をもっている人がいた。(妄想があっても医学部教授にはなれるのだ。)子どもをさらってきて芸を仕込むといった暗いイメージが、むかしのサーカスにはあった。

 現在、サーカスの団員になる人は体育大学出身者が多いらしい。だから、現在のサーカスには「子どもをさらってきて・・」という暗いイメージはないのだが、かと言って明るくもない。体育大学で器械体操をやっていた人たちは、みなオリンピックを目指していたに違いない。オリンピックには出られなかったが、いまサーカスには出られる、というのは私の偏見かもしれないが、必ずしも明るくはないのではないか?

 今の日本のサーカスは、みな笑顔である。むかしのように、仏頂面で宙返りやジャグリングをやっていないことが救いである。

動物園は面白くなかった

2013-11-11 05:36:36 | レジャー
 小さいころ、上野動物園には親に何回か連れて行ってもらたが、面白くなかった。クマは檻の中で往復運動をしているだけだし、ヒョウは寝てばかりいた。子供の足には上野動物園は広すぎて、毎回歩き疲れた。園内に売店がなく、買い食いの楽しみもなかった。キツネの臭い檻の前で紅ショウガが入った弁当を食べたことが、むしろ妙に悲しい想い出として残っている。


(外務省外交資料より。ネール首相が上野動物園を訪問。6年前に寄贈したインドゾウ、インディラと再会。)

 小学校2年生の時、インドのカリスマ的指導者ネール首相が来日した。上の写真には写っていないが、同じ時刻同じ場所に私はいた。日の丸の小旗を持たせられ、ネール首相に向けて振った。ゾウよりも初めて見るインド人に興味を覚えた。

 私の幼少時にはイルカショーはまだなかった。初めてイルカショーを見たときには、私は人の親になっていた。すでに大人だったからか、イルカが芸をしても面白くもなんともなかった。むしろ侘しかった。

 すでに人の親になっている息子に聞いてみたら、幼いころの動物園もイルカショーも面白かった記憶がないという。珍しい動物を見るのは、本当は大人にとっても子どもにとっても面白くないということか?子どもなら喜ぶだろうと、大人が勝手に考えているだけか?


(鴨川シーワールド、ホームページより。)

入浴は健康に悪いことかもしれない

2013-11-10 03:48:02 | 文化
 チベットでは赤ちゃんが生まれても沐浴しないと下の本にあった。だから、4,5歳になっても、胎児期の皮膚がカサブタのように付いている子どもがいるという。

 新生児の体についている胎脂には、新生児の体を外界から守る重要な成分が含まれていて、沐浴でこれらを洗い流してしまうのは、新生児にとって不健康な習慣なのだと著者はいう。



 もっともだと思う。普通、人体についているもので余分なものはない。「皮脂より優れたクリームはまだ発明されていない」と皮膚科の授業で習った。体を石鹸で洗うのは生物としての人間にとってよいことなのだろうか?

 私の幼少時、風呂を薪で沸かしていたころには、東京では風呂には毎日は入らなかった。名古屋へ来てから、名古屋人は毎日風呂に入るので驚いた。名古屋の風呂がガスになったのは、東京よりも早かったらしいが・・。

 沐浴がいけないように、もしかしたら毎日の入浴というのも健康によくないかもしれない。温泉地に来て一日に何度も温泉に入るのは健康に悪いとは、すでに言われている。

 むかしはアトピーとか花粉症なんて日本になかった。それらの原因を、寄生虫やばい菌など汚いものをすべて駆逐してしまったことに帰する研究者もいるくらいだ。文化はしばしば生物の摂理に優先する。

テレビが新聞紙を放映してどうする!!

2013-11-09 06:59:06 | マスコミ
 中学2年生の時の学校からの帰り道、いっしょに歩いていた友人が、将来、新聞社に入りたいと言った。

 そのころ全所帯に白黒テレビが普及していた。カラーテレビが出てくる前夜だった。

 私はテレビの速報性にかねがね驚いていた。たとえば、小学3年生のころ、名古屋を伊勢湾台風が襲って何千人という犠牲者が出たが、伊勢湾台風の「実況生中継」を私は東京で見ていた。

 洪水の中をボートで取材に出たテレビのクルーが、「また遺体が流れてきました!少女の遺体です!」と絶叫していたのが未だに耳に残っている。

 伊勢湾台風のニュースが新聞に載ったのは、その翌日だった。この遅さでは、新聞はとてもテレビには勝てないと思った。

 だから、帰り道をいっしょに歩いていた友人に「新聞はもう古いんじゃないの?これからは放送の時代じゃないか」と答えた。このころ、私はまだマスコミ嫌いではなかった。


(TBS「サタデーずばっと」より。)

 それから幾星霜、朝のテレビ番組では「お出かけ前の朝刊チェック」と題して、パネルに朝刊が張り付けられ、記事を読んでキャスターが解説している。

 テレビの速報性はどこへいったのか?テレビに新聞紙を映して解説するという莫迦なことを誰が考えたのだろうか?放送局はまだ新聞社に追いつけないのか?

 中学校から一緒に帰った友人は、けっきょく新聞社にも放送局にも行かなかった。そして先ごろめでたく、マスコミとは無関係な会社の定年を迎えた。

日本料理は素材の味を生かすと言うけれど

2013-11-08 06:30:36 | 食べ物
 むかし、フランスのある宮廷料理人が「私はここにある鞄でも料理してみせる」と豪語したそうだ。鞄は牛や豚の皮でできているから、それを煮たり蒸したりすれば、それなりの料理になるということだろう。

 日本人は、このようなセンスを嫌う。日本料理は素材の味を生かしてこそ本物の料理で、鞄の皮に強引に手を加えるようなのは邪道だと、たぶん日本人なら言う。

 日本料理がこのほど世界遺産に推挙されたのは、素材の味を殺さぬようになるべく手を加えないところが売りになったのだろう。

 だが、よく考えてみれば、素材の味を殺す料理なんて、あり得ないのではないか?


(CooPa ホームページより。素材の味を生かす日本料理。)

 私は辛いのが苦手で、麻婆豆腐や担担麺が食べられない。同様にキムチも苦手だ。だが、このほどキムチも世界遺産に推挙されるという。

 キムチにはいろいろな種類がある。白菜のキムチは定番だが、大根のキムチ、キュウリのキムチというのもある。私はいずれも食べたことがあるが、白菜と大根とキュウリの区別がつかないということはなかった。

 つまり、キムチのような辛い料理でも(辛くないキムチもあるらしいが)、素材の味が分からないということはなかった。どこの国の料理でも、わざわざ素材の味を消したりはしないのではあるまいか?

 日本料理が特に素材の味、素材の味と言い募るのは、日本人の我田引水というか自己満足ような感じがしてならない。季節感を重視するのは日本独特かもしれないが・・。

高級食材偽装問題

2013-11-07 00:24:42 | 食べ物
 安い材料を使って高い材料の名称を謳った有名レストランがやり玉に上がっている。

 だが、たぶん私は「クルマエビのテリーヌ」と「ブラックタイガーのテリーヌ」の区別がつかないだろう。どちらのエビもクルマエビ科だそうだ。

 エビ天はむかしはクルマエビと決まっていた。エビフライもそうだ。昔と言うのは私が大学を卒業する昭和50年くらいまでのことである。

 エビフライを初めて食べたのは昭和35年ころの三丁目の夕日の時代、渋谷の洋食屋においてだった。凄くおいしいと思った。まだマヨネーズがハイカラな食べ物だったときに、タルタルソースには驚いた。

 同じころ名古屋でもエビフライが流行り始め、名古屋育ちの妻の家庭でもよく母親が作ったという。このころの都市部では、おしなべてエビフライが普及したのであって、タモリさんが「名古屋のエビフリャー」と揶揄したけれども、別に名古屋がエビフライの発祥地ではない。

 このころのクルマエビはすべて天然で、養殖が始まったのは昭和43年である。さらにずっと遅れて、ブラックタイガーが東南アジアで養殖されて、大量に日本に入ってきた。

 ちょうど、ブラックタイガーが出始めたころからエビ天やエビフライが小ぶりになり、味も淡泊になったように思うのだが、気のせいかも知れない。ブラックタイガーはクルマエビよりもむしろ大きいからだ。味のことはわからない。


(クルマエビ。(有)上野水産ホームページより。)


(ブラックタイガー。楽天市場より。)

 馴染みの寿司屋に聞くと、寿司ネタのエビは「ギアナのアカタン」と業者の間では呼ばれている冷凍の輸入モノだそうだ。何のエビだか知らないが、ブラックタイガーではないことは身の質と味から分かるという。

 また冷凍エビでは「レアのエビ天」が造れないとも言っていた。そんな気もする。

 別の寿司屋で、ブラックタイガーを解凍して、ナマのまま寿司ネタにしていたので仰天したことは、いつぞや書いた。その寿司屋が大繁盛していることもあまりに不思議なので、そのときに書いた。 

ドラマは幸せな人が見るものだ!

2013-11-06 00:07:33 | 芸能
 現実の世界が十分に苦しいならば、ドラマは見ていられないのではないか?特に悲劇や人が死ぬような劇は、現実の世界が同じなら、わざわざ買って出てまで見ることはできないのではないか?

 1964年にドラマ化された「愛と死を見つめて」は、なぜあんなにヒットしたのか分からない。(若い女性が、顔にできた軟骨肉腫のために死んでしまう悲恋ドラマだ。)

 ちょうどそのころ、小学校6年生の妹が病死した。中学3年生だった私は、同時に放映されていた「愛と死を見つめて」を正視できなかった。このドラマは歌まで大ヒットした。


青山和子さんの歌でヒットしたレコードジャケット。)

 同じような境遇だとよく共感できるというがウソだ。最悪の境遇は共感できない。

 NHKの連続テレビ小説「おしん」が発展途上国でヒットしているという。発展途上国の人には「おしん」のような境遇が自分自身のこととして理解しやすいからだと説明する者がいるが、それは表層しか見ていない。

 同じような悲惨な境遇なら見られないはずだ。途上国の人は「おしん」よりは上を行っているから見られるのだ。現に、そこに放送局もテレビも存在する程度にはその国は豊かなのだ。

 ドラマは「ドクターX」や「半沢直樹」のようにナンセンスで、人が死なないようなのがよい。

参考:現代の生活格差

ウソでしょ?図書館がオンライン化されていないって?

2013-11-05 06:15:24 | 学術
 3週間前に図書館はどんどん電子化されて、司書の仕事も変質するだろうと書いた。図書館は勉強したい者にはいくらでもお膳立てをしてくれるとも書いた。だが現在、図書館はネット化の波に乗り切れず、その役割を自ら狭めていることが分かった。

(母校の図書館のサイトより。)

 このほど、ある論文が読みたくて母校の図書館に連絡して驚いた。図書館はその論文をPDFファイルとして持っているが、閲覧は図書館のパソコンでやってくれという。

 遠方だから行けない。よって、貴図書館と当方をオンラインで結ぶにはどうやったらいいのか尋ねた。答えは外部とのオンライン化はしていないという。必要ならコピーして郵便で送るという。

 そりゃぁ著作権があるだろうけどさぁ、コピーして郵便で送るってどういうこと?

 実は図書館同士もオンライン化されていないという。図書館同士での蔵書のやりとりは全部郵便でやるのだという。ウソーー!30年前と同じじゃないか。

 それじゃぁ、アメリカの図書館にしかない論文を見たいときはどうするの?昔みたいにアメリカから郵便でコピーを送ってもらうわけ?このネット社会で、それ本気?図書館は論文の発表者の著作権を守っているのではなく、「出版社の著作権」を守っていることになる。

 論文は読まれてナンボである。論文の発表者は、広く自分の思想や発見を伝えたいだけである。論文の出版によって金儲けしようなぞとは毛ほども考えていない。

 学術論文の電子版の無料配布を著作権を盾にして妨げているのは、電子版を出して儲けている出版社であることがこれで分かる。

 出版社が、研究者たちが血みどろになって研究した成果を"有料で"配布しているのだ。研究者は一文も貰えないどころか、ページ数によっては掲載料を取られる。今や、出版社は研究成果の自由な往来を妨害する存在になっている。だから、出版社にたよる論文の発表形式は、もうじき終わるだろう。

 アメリカの数学者ド・ブランジュがリーマン予想の肯定的証明を、学術雑誌に頼るのではなく、いきなりインターネット上に発表したのは正解だった。この方式が今後普及するだろう。そして出版社が潰れ、ネット上に学術論文の分類検索会社が栄えるだろう。当然、図書館もすたれることになるだろう。

名古屋のOLの品定め

2013-11-04 06:13:09 | 社会
 大学生時代の夏休みに名古屋のビジネス街で、いろんな会社に文房具(おもに注文のゴム印)を配達するアルバイトをやったことがあった。弁当付きで日当千円。

 各会社ではOLが応対に出た。ほとんどのOLはゴム印を届ける小僧(私)なぞに見向きもしない。同僚とおしゃべりしながら当方には一瞥もくれずに受領書をよこした。

 私にとってOL生活を観察する絶好の機会だった。地元のブランド校、K女子大出身者は意外に応対が悪いななぞと、ひそかに品定めをした。OLがどこの大学出身なのかは、一緒に回った正社員の運転手がなぜかよく知っていた。名古屋のビジネス街は駐車ができないので、運転手が車に残り私が配達したのだ。

 2人だけ感じが良いOLがいた。一人の会社は忘れたが、私の目を見て笑顔でご苦労様と言ってくれた。もう一人はシティバンク名古屋支店のOLだった。すごく美人で感じがいいので、私はシティバンクに配達するのが楽しみだった。

 掃除婦など、底辺で働く人に対してほど気を配れというのは、当時の総理大臣、田中角栄の言葉だった。


(朝日新聞デジタルより。)


アクセス地・ベスト8

2013-11-03 08:02:12 | その他
読者のみなさまのアクセス地・ベスト8

東京都  1500名
名古屋市  550名
大阪市   270名
豊橋市   115名
北九州市  110名
京都市    90名
つくば市   65名
福岡市    60名

やはり人口が多い都市からのアクセスが多いですね。
地元の豊橋市が意外に少ないです。

特筆すべきは、北九州市と福岡市のみなさまの滞在時間が
圧倒的に長いことです。ありがたいことです。

解析はグーグルアナリティックスによります。

「うつ病」という病名を廃止しよう

2013-11-03 06:02:19 | 医療
 「うつ」とは「憂鬱」の「うつ」であって、人間の沈んだ気分、心理状態を表す。だから、必ずしも「症状」ではない。

 試験に落ちても失恋しても、人間は「うつ」になる。風をひいても怪我をしても「うつ」の気分になる。これらは病気ではない。逆に試験に受かったり得恋したりすると、「喜び」の気分となる。

 症状としての「うつ」は、元来、原因を問わない。「腹痛」が原因を問わないのと同じことである。「腹痛」の原因は、胃腸炎だったり虫垂炎だったり胆石症だったりする。

 「うつ病」でももちろん「うつ」の気分になる。一般の人たちはここで混乱する。つまり、試験に落ちて「うつ」になっているのを、「うつ病」になったと混同してしまう。

 「腹痛病」という病名はないから、「腹痛」それ自身はいろんな原因で出てくることは、一般の人にも理解しやすい。ところが「うつ」という気分は非特異的なのに、「うつ病」という病名があるから、一般の人には分かりにくくなってしまうのだ。

 この際「うつ病」という病名を廃止して、別の病名を考えるべきだ。いまのところ「単極性障害」という用語があるが、これは「双極性障害」(躁うつ病)との対比において作られた病名なので適当でない。

 いっそデプレッションの頭文字を取って「D病」とでもしたらどうか。

 (でも、もともとデプレッションは「うつ病」という意味と「うつ」という意味が両方ある。原語からしてすでに混乱している。またデプレッションには低気圧の意味もあって、日本語の「うつ」よりもかえって意味空間が広い。)


(フリー画像サイト flickr より。Zyllan 作。この人物は落胆しているだけであって、「うつ病」なのではない。)

参考:別の病を「うつ病」と報道したNHKのミス

滋賀医大・ディオバン臨床試験問題

2013-11-02 06:06:24 | 学術
 滋賀医大のディオバン臨床試験について、同大の調査委は「論文のデータの10%くらいがカルテの数字と一致しない」と発表した。しかし、調査委のこの発表には疑問が残る。


毎日JPより。謝罪する滋賀医大・馬場学長(手前)。ただし、馬場氏は不正があったことについては謝罪していない。「世間を騒がせたこと」を謝罪しているのだ。)

 なぜなら、この欄で再三言ってきたように、データが書かれているカルテが、ディオバン投与群のカルテか、非投与群(対照群)のカルテか、調査委には絶対に知りえないからだ。知りえないことを発表するとは、こんどは調査委がでっちあげをやっていることになる。

 もっとも、柏木病院長がこの臨床試験の「元締め」をやっていたそうだから、柏木氏がデータを調査委に渡した可能性がある。そうだとすると、同じデータについて柏木氏と調査委の解釈が違ってきたことになる。

 柏木病院長がデータを調査委に提出したとしたら、柏木氏は善意である。そのデータを調査委が黒と判定したなら、柏木氏が怒るのは当然だろう。

 同じデータなのに解釈が分かれる事態は科学論争でしばしば生じる。それを解決できるのは、本当は歴史の風雪しかない。

(調査委はデータを柏木氏からもらったのなら、その旨はっきり世間に公表するべきだ。そうでないと、私のような疑問を持った者たちは、調査委がどうやって問題のカルテを同定しえたか、ずっと疑いを持ち続けるだろう。)