院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

風評被害(1)(風評が支える民主主義)

2014-07-17 01:07:10 | 食べ物

(風評で売れなくなった福島産のきゅうり。朝日新聞 DIGITAL より引用。)

 広辞苑で「風評」を引くと「世間の評判」、「とりざた」とあります。議員を選挙で選ぶとき、議員の詳細をすみずみまで知って投票する人はきわめて少数で、ふつうは有権者の「風評」に基づく投票行動によって当落が決定します。つまり、議員とは「風評」の産物です。

 議員が農作物の風評被害を解消しようと、その農作物を食べてみせることがあります。風評被害を打ち消すのに、同じく風評で選ばれた議員がパーフォーマンスを行うという奇妙な図式ができあがります。でも、それが民主主義というものなのでしょうね。

「いつか来た道」とは何か?(2)(第一次世界大戦)

2014-07-16 00:00:21 | 歴史

(ウィキペディア「第一次世界大戦」より引用。)

 第一次世界大戦は、各国が総力戦を行った初めての戦争です。戦車、飛行機、毒ガスが初めて使用された戦争でもあります。犠牲者数は太平天国の乱に続く歴史上2番目という悲惨なものでした。

 この戦争に至る過程を「いつか来た道」と呼ばないのはなぜでしょうか?第二次世界大戦とは25年ほどしか離れていません。

 「いつか来た道」が問われないのは、日本が第一次世界対戦に勝ったからだと思われます。第二次大戦では負けたから戦前が反省され、指導者が責任をとらされたのではありませんか?

 企業でも成功すれば首脳陣が称えられますが、失敗するとボロクソに言われます。戦争も同じだったのではないでしょうか?

「いつか来た道」とは何か?(1)(国防婦人会)

2014-07-15 05:30:25 | 歴史
(新潮社刊。)

 上の本は30年近く前に出版されたものです。「いつか来た道」という言い方は当時からありました。そして、戦前は暗黒時代だったと言われていました。ところが上の本には、戦前だって暗くはなかった、娘たちは箸が転げたといっては笑っていた、とあります。著者はとうぜん戦前に大人だった人です。

 いま80代で、思春期に戦争を経験した人たちが「誤った戦争」と言っていることに、きのう私は疑問を呈しました。彼らは戦後の空気に迎合しているのです。戦後生まれの私たちは、戦争経験者が言うことを信じてしまいがちです。しかしながら、時代の空気に迎合する人たちがいつの時代にでもいることを、私たちは知っておくべきでしょう。

 戦時中、「国防婦人会」という団体があって、「ぜいたくは敵だ」という標語のもと(ぜいたくとされた)長い袖の着物で街を行く女性をつかまえて、はさみで袖を切って辱しめたのだそうです。その女性団体は当時の時代の空気に迎合していたのだと、私は思います。

思春期に先の大戦を経験した人たちの投書

2014-07-14 06:13:43 | 歴史

(空襲警報発令・警視庁玄関前。ウィキペディアが『警視庁百年の歩み』(著作権切れ)から引用したものからの孫引き。)

 このたびの集団的自衛権行使の賛否にからんで80代半ばの人たちの発言を、新聞が投書欄に取り上げています。

 80代半ばの人々は先の戦争を思春期に体験しています。彼らの意見の中でも、新聞は「先の戦争は悲惨で、誤まっていた」という見解をもっぱら採用しているようです。

 ところが86歳の私の母の感想は違います。東京大空襲を経験している母は、「とにかく大変だった」とは言います。しかし、「誤った戦争だった」とは言いません。母の意見は「戦争に正しいも誤ったもない」ということです。投書者の「誤っていた」という感想は、あとから教育で刷り込まれたものではないでしょうか?

 亡父が満州でロシア軍の捕虜になりシベリヤ送りになったことは 2008-08-13 に書きました。亡父はシベリヤでの抑留生活がいかに苛烈だったかを私に語りました。しかし、亡父もまた「誤った戦争だった」とは言いませんでした。

 亡父にとって、戦争とは勝つか負けるかのどちらかで、負けるとはこういうことかと亡父は骨の髄まで分かったそうです。負けたから「誤っていた」と総括されましたけれども、勝っていたら戦争に対する評価はまた違っていただろうと、私は推測します。

 「誤っていた」と投書した高齢者は、もし勝っていたら同じ口から戦争賛美の言葉を言ったことだろうと、私は思います。

※今日、気にとまった短歌

  前後の子等おのおの傘をさしていて母は合羽で自転車をこぐ  (横浜市)宇佐美伸子

動物愛護団体と肉食

2014-07-13 00:36:44 | 文化

映画 "Unser Taeglich Brot" (われわれの日々の糧)のHPより引用。)

 動物愛護団体の主張を私は知りません。知る機会がないからです。マスコミに取り上げられるシーシェパードのような過激な団体は目立ちますが、もっと普通の動物愛護団体の理念とはどのようなものなのでしょうか?

 最終的に私が知りたいのは、動物愛護団体の人たちは肉食をどのように考えているのだろうか、ということです。日本人は1,000年以上もの間、肉食を避けてきました。そのように生活すべきだというのでしょうか?

 野生動物は食べては(殺しては)いけないが家畜ならよい、という動物愛護団体もあると聞きます。また、動物園廃止運動を行っている団体もあるそうです。動物園廃止を訴える団体は、ペットを飼うことにも反対しているのでしょうか?

 肉を食べない(殺さない)までも、過密な養鶏場のニワトリのことをどう考えるのでしょうか?爬虫類や昆虫をどのように位置付けているのでしょうか?

(チーターがインパラを襲うのを否定する動物愛護団体はたぶんないでしょう。問題は人間を野生(生態系)の中でどう位置付けるのかが、愛護団体によって違うのだと思われます。)

ペットの介護

2014-07-12 00:15:27 | 文化

楽天より引用。)

 ペットの葬儀専門会社はむかしからありました。ペットは家族と同じだからでしょう。

 ところが、10年ほど前からペットの介護をする人が増えてきました。私が好きな文筆家の故池田晶子さんも、ペットの介護に忙殺されていたことを書き止めていました。

 そして最近、とうとう老いたペットを預かる介護施設ができました。飼い主も高齢化して、ペットの介護がままならぬようになったからだそうです。

 ペットが元気なうちに、ただ可愛がるだけではなく、ペットが老いると介護をする・・これがほんものの飼い主でしょう。保健所の殺処分に反対できるのは、こういう人たちだけだと私は思います。また、堂々と動物愛護運動ができるのも、このような人たちに限られるでしょう。

(ここまでやる人々が人間が食べられるものをペットに与えても、私は文句を言えません。)

ペットフードの隆盛

2014-07-11 00:09:39 | 文化

Nutram のHPより引用。)

 私が幼少のころ、飼い犬には残飯しか与えませんでした。ときおり肉屋からもらった骨を与えました。専用のペットフードがなかったこともありますが、そもそも犬畜生に人間並みの食べ物を与えるのは、ものすごい贅沢というか無駄なことという観念がありました。

 中国産の有毒ペットフード事件以来、2009 年には、わが国にもペットフード安全法が施行され、ペットフードは人間が食べてもかまわないように作られることになりました。

 人間が食べられるものをペットに与えるのは私には抵抗があります。なぜなら、世界には飢えた人々がたくさんいるからです。犬には残飯に味噌汁をかけたものでよいし、猫にはご飯に鰹節をかけたもので十分だと思います。

 ペット専用のバースデイケーキなぞは、やりすぎではないでしょうか?(ペットにバースデイケーキを与える感覚と動物愛護団体の感覚は、まったく同じではないでしょうが、微妙に通じているところがあるのでは?)

ペットのトリマーという仕事

2014-07-10 05:52:53 | 文化

( 日本ペットサロン協会ボランティアトリミングの風景。onebrand のHPより引用。)

 ペットのトリミングの仕事はテレビが白黒の時代からあったような気がします。たしか白黒テレビが「こういう仕事がある」と珍しげに報道していました。

 当時、近所をうろうろしていたノラ犬は雑種で毛が短くトリミングの必要はありません。うちの犬も大した犬ではなく、わざわざお金をかけて毛を刈るという発想が起こりませんでした。トリマーは仕事として成り立たないだろうと、そのころは思いました。

 だから、トリマーの専門学校ができるようになるとは思ってもいませんでした。わが国も、犬の理髪にお金をかけるほど豊かになったのだなぁと感慨にたえません。

※今日、気にとまった短歌

   この介護終わりし時の悲しみを日々覚悟して老老介護   (神戸市)池田弘

獣医師の免許

2014-07-09 00:34:54 | 技術

( 獣医学部の実習風景。ganbaruzine より引用。)

 私たちは車の免許がなければ公道を走ってはいけないですよね。また、二種免許がなければお金をとって人を乗せてはダメです。こういう免許を「業務独占」といいます。

 一方、「保育士」は「名称独占」といって、保育士免許がないお婆さんが近所の子どもたちを有料で預かってもいいのだそうです。ただし、「保育士」と名乗ってはいけません。

 獣医師は医師と同じく6年制の大学を卒業する必要があります。それなのに、獣医師が名称独占と知って驚いたのは、つい最近のことです。つまり、動物に注射したりレントゲンを照射するのに獣医師の免許は要らないのだそうです。「獣医師」と名乗りさえしなければ、動物を治療してお金をとってもよい。なんかヘンだなと思います。

 なお、獣医学部卒業生で、臨床獣医になる人は3割だそうです。あとは、保健所の公務員や研究所の職員になるのだといいます。(保健所や研究所は「獣医師」と指定して募集しますから、いくら動物の治療ができても免許がなければ応募できません。)

※以上の記載に誤りがあれば、ご指摘ください。

どら焼き考

2014-07-08 00:35:41 | 食べ物

文明堂のHPより引用。)

 最中はあんこを味わわせるお菓子ですが、どら焼きのほうは皮にもっと存在感があります。幼いころ私は最中を好みました。けれども、どら焼きも決して嫌いではありませんでした。

 名古屋で学生生活を送っていたころ、名古屋にはどら焼きがないんだなと思いました。似たお菓子に両口屋是清という菓子店の「千なり」がありました。このお菓子は、どら焼きよりも小ぶりで皮が厚く、そのためどら焼きよりあんこが少ない感じがしました。

 「千なり」がどら焼きと決定的に違っていたことは、「千なり」のあんこには白あんや紅あんなどがあったことです。両口屋是清は江戸初期から徳川家にお菓子を納めていた老舗ですが、どら焼きに慣れた者からは「千なり」のあんこはもの足りなく感じました。(あんことして認められるのはせいぜい白あんまでで、紅あんとか抹茶あんは、あんことして認めたくありません。)

 名古屋では「千なり」をどら焼きと呼ぶことはありません。「千なり」は「千なり」でした。東京では文明堂のどら焼きを(商品名である)「三笠山」と呼ぶ人がいましたが、万葉集も古今集も知らない幼い私でもキザに聴こえました。

※今日、気にとまった短歌

  妣(はは)のこと思はざる日はなかりしに娘(こ)の逝きてよりそは薄れゆく (三重紀北)庄司まさ子


デパートの食堂の「ホットケーキ」

2014-07-07 05:35:11 | 食べ物

食ベログより引用。)

 幼いころデパートの食堂で食べるホットケーキが、なぜムラなくきつね色に焦げているのか不思議でした。家のフライパンでは必ずマダラになってしまうからです。

 亡父の話では、分厚い銅板で焼くからとのことでした。確かに文明堂のどら焼きの実演販売では、分厚い銅板にヒシャクでタネを流し、正確な円形とムラのないきつね色が実現されていました。

 ホットケーキにかける蜜ですが、普通の砂糖から作った蜜と明らかに違います。今ならサトウカエデからとったメープルシロップだと知っていますが、当時、母はそれを知らなかったので、家では実現できない蜜でした。

 ホットケーキは良い香りがするのですが、添えられている蜜が少なくノドにつかえて食べにくいものでした。いま、パンケーキとしてカフェにあります。パンケーキはもっと薄く小さく作られていて蜜も多く、むかしのホットケーキよりずっと食べやすいです。

 私が大学に入ったころは、まだパンケーキとはいわず、幼いころのと同じ分厚いぱさぱさしたホットケーキ(写真)がまだ喫茶店で出されていました。その、ぱさぱさ感は懐かしかったのですが、わざわざ感傷に浸るほどのお金はなく、食べやすい小倉トーストをもっぱら注文していたのでした。

「たい焼き」はなぜおいしいのだろうか?

2014-07-06 00:29:52 | 食べ物

(ウィキペディア、「たい焼き」より引用。)

 幼いころ「どんどん焼き」というお好み焼きのようなものを食べました。これはメリケン粉(小麦粉)を水で溶いて、ネギ、サクラエビ、紅ショウガなどを混ぜ込んで、そのまま焼いた食品です。ウスターソースをつけて食べました。

 「どんどん焼き」は明治時代からあったそうですが、関東大震災のおり、焼け跡で鉄板の上でメリケン粉を焼いて非常食としたものが広まって、現在のお好み焼きに発展したという説があります。

 同じく明治時代ころからメリケン粉にあんこを入れて焼いたのが「今川焼き」です。愛知県地方では「大判焼き」といって今でも主要な駅で売られています。「今川焼き」を鯛の型に入れて焼いたのが「たい焼き」です。

 同じ材料でできているのに、幼い私には「たい焼き」のほうが「今川焼き」よりもおいしく感じられました。子どもだったから形にごまかされたのかと思ったのですが、現在でも「今川焼き」より「たい焼き」のほうがおいしいのです。

 「たい焼き」以外にも大福やおはぎ(ぼたもち)がありましたが、なぜか食べて一番うれしかったのは「たい焼き」でした。お菓子としての完成度は落ちるのにもかかわらずです。どら焼きもありましたが、これはもっと格が上のお菓子でした。

 きのうお話しした「小倉トースト」ですが、これも関東大震災のころには、すでにあったそうです。名古屋はものすごく喫茶店が多い街ですが、喫茶店が爆発的に増えたのにともなって、「小倉トースト」も広まったのだそうです。

(「今川焼き」よりも「たい焼き」のほうがおいしいのは、「たい焼き」のほうが皮が薄いからかもしれません。)

名古屋の「小倉トースト」

2014-07-05 05:10:45 | 食べ物

47club より引用。)

 昭和44年、私は大学入学のために単身、名古屋におもむきました。生まれて初めての一人暮らしでした。まず、困ったのが食事でした。6畳一間の下宿で、おかずなしでトーストを食べたりしていました。

 すぐに胃の調子が悪くなるタチで、いつも食欲がなく丼物一杯が完食できませんでした。そんなとき喫茶店で「小倉トースト」に出会いました。量が少なく、かつ甘党の私にはうってつけの一品でした。好んで食べました。

 いま「小倉トースト」は名古屋の悪食の象徴みたいに言われています。でも、若年の私の食生活を彩った大事な食べ物だったのです。こんなに胃が弱くて、医者の激務に耐えられるだろうかと不安でたまらなかった19歳の私でした。

 そのころは、いま名古屋飯といわれている「あんかけスパゲティ」や「手羽先」は、まだ影も形もありませんでした。

欧米的援助より中国的援助を!

2014-07-04 00:39:10 | 経済

(Wikipedia, "TED" より引用。)

 ザンビア出身の女性が表題の主張を、アメリカの意見表明ショウ「TED」で行っていました。

 ザンビアは70%が貧困層で、いち早い資本の投入が必要だそうです。しかしながら、欧米的援助は必ず民主主義の導入とセットになっており、民主主義的な発展を待っていては100年かかってしまうと彼女は言います。

 それに引き替え、中国的援助は民主主義を条件としないから、スピード感があるのだそうです。中国自身が民主主義でないから、かえって急速に発展できた事実をザンビアや他のアフリカの人々は知っていて、それに倣いたい気持ちがあるようです。

 私たちは中国には言論の自由がないとか、アフリカに見返りを求めた援助しかしないと中国を批判しています。しかし、一刻も早く貧困から抜け出したいアフリカの人々は、能書きよりも実利が欲しいようです。先進国も少し考えなくてはならないでしょう。

致死遺伝子

2014-07-03 00:00:18 | 生物

(つるなし朝顔。楽天市場より引用。)

 上のアサガオにはツルがありません。こういうアサガオを「つるなし朝顔」と言います。このアサガオは、種子の皮が硬くて自力で発芽することができず、人間が皮に切れ目を入れてやらなくてはなりません。つまり、人間が手を加えない自然界では生きていくことができないアサガオです。

 高校のとき致死遺伝子というものを習いました。子の遺伝形質は1:2:1となるはずなのに、1:2にしかならない植物があって、それはなぜかと考えた学者が、消えた部分の子孫は葉緑素を欠いているので育たないことを発見しました。葉緑素がない形質が発現するのは、致死遺伝子によると定義されました。

 つるなし朝顔の種子の皮が硬いという形質は致死遺伝子によるものと言ってよいでしょう。絹糸を作るカイコの場合、自然界で生き抜ける品種はすでにないそうです。カイコは人間が世話をすることによってやっと生き延びています。

 豚はどうでしょうか?犬なら放置すると野生化しますが、豚は野生化できるのでしょうか?野生化できないとすると、人間は残酷だなぁと思わずにはおれません。