Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

リアル=リアリズム舞踊

2008年10月28日 | 大学
 まるで写真の魚は「ホンモノ」のような魚である。たぶん本物の魚の写真をプリントした縫ぐるみなのだから、リアルに見えるのは当たり前である。これは、器用なガムランのメンバーの作品であり、実はこの作品、舞踊の小道具として製作されたものだ。
 といっても本来、バリではこんな小道具は使用しない。沖縄ガムラン独自の発想である。この小道具を使おうとしてしている舞踊は、《漁師》とよばれるもので、1958年に創作された現代的な香りのする作品だ。この時代以前のバリ舞踊は、日常生活を描写した舞踊というのはなく、神話や物語の一部を舞踊としてデフォルメした舞踊作品だった。ところが1950年代後半、スカルノ大統領が共産主義に接近していく文脈の中で、現実主義的な舞踊が次々に創作されていったのだった。日常生活や労働を描写したリアリズム舞踊とでもいえよう。
 《漁師》は三人の漁師が登場する舞踊作品で、投網や船漕ぎなどリアルな表現が多い。魚を手にとり魚篭にいれるような所作まで現れる。しかし、本来の舞踊では「見えない魚」である。しかし、その「見えない魚」を「見える魚」にしてしまったのが我々のグループだった。つまり、この方法は本来、「反則」行為なのだが、もともと、この舞踊そのものが1950年代の「反則」作品なのである。「反則」どころか、当時のバリ舞踊の常識に対する「冒涜」により、レッドカード一発退場レベルなのである。共産主義の「赤」が、レッドカードをカモフラージュしてしまったのかもしれない。
 そう考えると、リアルな魚の小道具の使用は、リアリズム舞踊をもうちょっとリアルにしているだけのことであり、超リアリズム舞踊、リアル=リアリズム舞踊への展開なのであって、決して黄色や赤のカードを掲げられるような行為ではないと思うのだ。