Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

お洒落に

2009年04月06日 | 
 帰りの電車でワインを開けた。ひねれば開くようなキャップではなくコルクで、ちゃんとワイン・オープナーを準備してきている。電車でワインは初めての経験である。
 山の景色を眺めながら、ワイングラスで乾杯とまではいかないまでも、プラスチックのコップで乾杯!
 

帰りもYahtzee

2009年04月06日 | 
 帰りの電車は踊り子号でスーパービュー踊り子ではなかった。この違いはかなり大きい。なぜなら4人のボックス席にしてしまった場合、机がないためYahtzeeができないのである!
 しかしおじさん達のYahtzeeへの想いはとめどもなく熱く、机がないくらいで諦めてしまうようなことはない。すでに車内のゴミ箱に捨てた弁当箱をふたたびゴミから回収して、きれいにふいてサイコロをころがす箱に再利用し、机がないので旅館でもらった紙袋を土台に、Yahtzeeの場が作られる。
 そして車内で始まったのである。今度は非現時的な時間から現実的時間へと戻っていくプロセスの中で、それを知りつつサイコロをころがすことに熱中する。風景はもう山から街へと少しずつ変わろうとしている・・・。

カモメ

2009年04月06日 | 
 下田湾で黒船に似せて建造された遊覧船に乗ってみた。無計画な旅行であるが、なんとなく誰かが「遊覧船に乗ってみよう」と言い出すと誰も反対しないのである。
 まだ午前中のせいだろうか日曜日だというのに乗客はまばらである。船の二階は料金が高いために全員、一階に座って動き出した船の中からぼんやり外を眺めた。遊覧船は最初のうちはほとんど波のない内海をゆっくり進むのだが、防波堤を出るや否や、「これマジかよ」というくらいの波で船が揺れるのである。遊覧船なんていうレベルにはなく、これはバリ島からロンボック島にいくフェリーを彷彿させる。これが続くとやばいことになるぞ・・・。
 そんなことを思いながら船尾を見ると、すごい数のカモメを発見。乗客の一人が100円で買った餌を食べようとカモメがあたかも船を襲うように飛んでいるのである。それにしてもカモメをこんな近くで見たことはない。なんだか飛ぶというより、針金で吊り下げられた鳥の模型のように動いているようだ。動物学には説明できるのだろうが、こうして見てみると、なんで鳥はほんのわずかな羽の動きだけで、こうも猛スピードで、空中に浮遊しているように飛ぶことができるのかと不思議でならない。
 

Yahtzeeは何語か?

2009年04月06日 | 
 Yahtzeeは何語なんだろうかと、酔いの回ったおじさんたちが話しを始めた。
おじさんA「ヨーロッパ言語ですね。」
おじさんB「チェコとか、ハンガリー語じゃないですか?」
おじさんA[ようするにヨーロッパ言語です。」
おじさんC「ヘブライ語なんて可能性もあるかもしれませんね。」
おじさんD「ユダヤ人のゲームかもしれません。」
 もう言いたい放題、話は拡散するばかりである。
 ちなみに帰って調べたところ、イギリス起源だそうである。でもおじさんAの方向性は間違っていなかったということ。

Yahtzeeで夜はふけて

2009年04月06日 | 
 Yahtzee(ヤッツィー)なるゲームをご存知だろうか?説明するのは面倒なので、ご興味のある方はネットで調べてもらいたいのだが、とにかく、数人で有意義に時間を過ごすためには実に有益なゲームである。
 おじさんたちは、ウィスキーのロックを片手に目をギラギラさせながら、五個のサイコロ振りに夢中になり、時を忘れてゲームに熱中する。時には悲鳴をあげ、時には落胆のため息をつく。ある者は喜びの余り机を両手で叩き、ある者は、こぶしにサイコロを握り締めて祈る。
 もうここには日常は存在しない。非日常的時間が流れ、日常を離れたいわば「聖なる空間」に身を置いているようだ。
 

非日常的時間への旅立ち

2009年04月06日 | 
 土曜日から一泊二日でガムランの友人たちと伊豆下田に旅行に出かけた。この仲間とは数年前まで一年に一度、バリ旅行を敢行していたのだが、とにかく皆が多忙で海外にいくための休暇をとることがままならず、とうとう国内の温泉旅行になったのであった。
 この旅行、とりわけ合意しているわけではないが、「ダラダラする」「計画的ではない」「飲む」という重要な三項目のもとに実施されている。ということでまずスーパービュー踊り子号の席につくやいなや、窓に並べたものがこれ。ビールで乾杯のあとは、日本酒、ウィスキー、そして白ワインと取り揃え、もう小さなバー状態である。こういうおじさんたちの横に座ったりしたら嫌でしょう?もう酒臭いしね。
 旅に向かう電車は日常的時間と非日常的時間への橋渡しのようなもの。こうして不思議な空間を演出しつつ、われわれは現実社会から隔離されていく。