Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ニュピの夜 (2) -腕時計

2009年04月08日 | バリ
 ほら、ぼくの腕時計光ってるよ。ぼくはアナログの時計盤が光る時計が好きなのです。よくガムランのみなに見せびらかしているでしょう?「光るよ」って。ニュピの暗闇の中で、一度、懐中電灯を見失ってしまったとき、思わず時計のライトをつけたとき感動しました。だって、こんな小さな光が闇につつまれた部屋の中を照らすのだもの・・・。

ニュピの夜(1)-自己内省

2009年04月08日 | バリ
 昔は調査地の村で過ごすニュピの一日がもどかしかった。表に出れないだけでなく、火が使えない上、夜は電灯をともすことができないために7時前にはもう暗闇の世界である。必ず懐中電灯を手元に用意し、それでも懐中電灯を使うことは最小限にとどめなければならずに気をつかった。
 今回、久しぶりにニュピを調査地で過ごす。昔と何もかわらないようにみえるが、かつてなかった冷蔵庫のおかげで、とりあえず保存してあった生菓子だとか、ちょっとした贅沢ができるようになった。昼の間中、賭け事に興じたり、友人たちと話をしたりして過ごしていたが、日が暮れかかると徐々に会話が途切れるようになり、ついには真っ暗になって互いの輪郭すらわからなくなったところで、会話は完全になくなった。お互い存在していながら、沈黙が続く。健常者である人間は、暗闇の中で相手の姿が見えなくなったとき、言葉を失ってしまうのか?
 8時過ぎに部屋に戻る。本当に何も見えない。手探りしなければどこに何があるのかもわからない。とにかく失くしては困る懐中電灯だけは左手に握りしめた。まだ眠れない。8時過ぎだもの。そんな空間の中に身を置いていうちに、ふとニュピというのが一年に一度の自己内省の時なのではないかという考えがよぎった。一年に一度の瞑想の時とでも言おうか。若い時はできるだけ人の目を逃れて、電気をつけ友人と遊ぶことばかりに興じていたが、今、私はニュピのありがたさに気がついた。無音の暗闇、聞こえるのは自然の音だけである。その中に身を預けられる贅沢は、もはやこの一日、いや一晩しかありえないのではないだろうか?