社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「退院支援過程における退院調整看護師とソーシャルワーカーの判断プロセスの特徴」 石橋みゆき、その他9名(2011)

2017-02-13 21:32:54 | 看護学
『千葉看会誌』VOL17. No.2 2011.12

退院調整プロセスにおける両職種の共通点とそれそれの特徴を明らかにし、職種間協働のあり方を検討している。

引用
(退院調整看護師及びソーシャルワーカーへのインタビュー調査結果より)
 ⇒・看護師が語った事例は終末期にある患者の退院支援が多く、SWは複数の課題を抱える慢性疾患の事例を多く挙げた。
  ・とくにSWは、依頼者である院内スタッフが把握した情報に加え家族と本人の関係性を慎重に把握する特徴があった。

(インタビュー調査結果を受け、考察より…)
 ・問題解決へのアプローチにおいては、看護職がまず患者の身体的問題に着目し、医療的観点からの解決策を第一に求め、次に患者を取り巻く環境を整える順で支援を進めるのに対しSWは患者を含む家族員全体の関係性に着目し、問題点を見出し支援策を検討していた。


 退院調整を2職種で行う医療機関の多くは、業務内容を役割分担するのではなく、医療的なニーズが高いケースは看護師、複数の生活課題を抱えているケースはSWと分担しているようだ。
 退院調整に限定せず、チームとして支援を遂行していくなかで、業務を分担するのか。ケースに対する担当制(分担)にするのか。
 業務独占の部分は、もちろん業務分担はできない。しかし連携だったり、コーディネートだったり、社会資源の紹介だったり。どの職種でも対応できると言えばできるけど、質を求めるのであれば、専門に対応するスタッフがいたほうがいい。そう感じる業務もある。
 在宅医療の領域では、新しい認定資格が誕生してきている。多くの人が効果的に支援を受けられるのであれば、それは望ましい傾向だけれど、支援をすることの本質を置き忘れて、単なる話題作りで終わって欲しくないと願う。
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『保健医療福祉チームにおける「看護師の役割」とは-臨床看護師が自覚する役割の内容分析』原本久美子(2016)

2016-12-03 21:43:45 | 看護学
『関西国際大学研究紀要 第17号』

 保健医療福祉チームにおいて、看護師が「看護師の役割が発揮できた」と実感した事柄について、質問紙調査を実施。看護師自身が専門性を持って果たす役割をどのように捉えているのかについて、確認している。

引用
・保健医療福祉チームにおける「看護師の役割」…調査結果から
 ⇒5つのカテゴリーが確認された
  Ⅰ.患者・家族の思いを、医療チームへ繋げる役割
  Ⅱ.侵襲性の強い治療や処置に対応し、患者のこころとからだを支える役割
  Ⅲ.看護師の見解を伝え、患者に適正な指示がでるよう図る役割
  Ⅳ.入院から退院に向け、医療の場から生活の場へ向かわしめる要の役割
  Ⅴ.その人らしい人生を全うできるよう患者と家族を支援する役割


 上記、看護師の役割は、表現こそ違いはあるものの、ソーシャルワーカーが果たしている役割に置き換えることができると思った。
その役割のなかで、どの側面を重点的に担当するのかによって、各々の持つ専門性の違いを知ることができるのだろう。
 
 多職種連携は、各々の役割の住み分けが難しいけれど、適切に理解し合うことができれば、相互理解が進み、自身の専門性をより深く知ることができる。互いに気づき合い、気づかせ合えることにつながるのだと思う。

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「チーム医療を実践している看護師が感じる連携・協働」吾妻知美・神谷美紀子・岡崎美晴・遠藤圭子(2013)

2016-12-02 22:25:17 | 看護学
『甲南女子大学紀要第7号 看護学・リハビリテーション学編』

チーム医療を実践している看護師が困難と感じている事柄:連携・協働:について、質問紙調査を通して確認をしている。
チーム医療に関する先行研究を丁寧に取り上げており、知識の整理にも活用できる。

引用
・調査結果より…【職種を越えて連携・協働する】が困難。具体的には「目標や価値観の一致が困難」「専門職間の壁を取り払うことが困難」など。
・チームの連携・協働とは、チームとして意思決定を行い、責任は全員で負い、情報がチームの中で共有され、仕事の重なりをもちながらも専門性を発揮することである。


 職種の違いから、目標や価値観の一致が困難という回答があったという。
 それが困難であることは至極当然のこと。でもそのすり合わせそのものに、手間暇を掛けられる職種がいたら?
 私はそれがソーシャルワーカーの専門性だろうと考えている。
 支援者そのものを社会資源と捉え、客観的に理解し、支援者が構成する集団を少し離れた場所から確認できる。
 
 連携や協働は、支援者であれば誰でも遂行している。質や量に差はあるだろうが…。
 そのちょっとしたズレや行き違いのような部分に気づき、切り込んでいけるのは、ソーシャルワーカーだと思っている。
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「我が子を死産で亡くした父親の心の整理のきっかけ」植村良子、中新美保子(2015)

2016-02-16 11:27:37 | 看護学
『川崎医療福祉学会誌』Vo.l24 No.2 

死産で我が子をうしなった父親の心の整理のきっかけを明らかにすることを目的に、半構造化インタビューを実施。5名の対象者の声を基に、分析をしている。

引用
・平成23年の死産率は出産千人あたり23.9である。
・前回の妊娠が死産に終わり、その後の妊娠でPTSDと診断された妊婦は29%である。
・供養に関しては、夫婦で取り組めたことや、一つひとつ終わらせていくことが、心の整理のきっかけに繋がっていた。
・(死産の手続きや棺の準備等)我が子のために意思決定できる事が、我が子の死を受け入れを助け、心の整理につながると感じている。
・父親の心の整理のきっかけは、悲しみの共有、周りからの言動、供養への取り組み、夫婦相互の理解、次子の誕生があった。


家族を喪うことは、何とも表現し難い苦痛や苦悩や悲しみをもたらし、特に喪ったのが子どもであれば、それは究極のものであるかもしれない。
姿を見ずに喪ってしまった場合、声を聞くこともできずに喪ってしまった場合。それは闘病の末に家族を喪うこととは、また別の側面を有するであろう。
何をその子の形見とするのか。何をもってその子の短い命の存在意義を見出すのか。

男性と女性とでは、感情の表し方が違うことも多い。表し方の違いを「悲しんでいない態度」と捉えることがないよう、周囲の人は理解を深めなければならないと感じた。
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「病気の妻を亡くした認知症高齢者のグリーフワークへの支援」渡邊章子、諏訪さゆり(2015)

2015-05-30 17:07:41 | 看護学
『認知症ケア事例ジャーナル』 第7巻第4号

有料老人ホームでの事例報告。
対象者が表出する言葉や行動について、グリーフワークの先行研究に示されている様態と丁寧に照合されている。

引用
・記憶障害が配偶者の師の受け入れを困難にし、つらい死別体験に何度も直面する苦悩が明らかになった。
・ホームにおいて認知症高齢者のグリーフケアを遂行するには、当事者混乱の時期への適切なかかわりと、ホーム入居者が阻害要因となった場合の対応策の検討が必要であることも明らかとなった。


 高齢者が集団で生活をしている施設等では、ピアサポートが期待しやすい一方で、他の入居者がグリーフケアの阻害要因となることが指摘されていた。
特に互いに認知症があれば、何気ない言葉には悪意はないことも多いであろう。当事者を支援することと同時に、他の利用者への働きかけもまた、大切となってくる。
集団生活がもたらす各々の影響を、今一度整理する必要があると感じた。


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「グリーフを生きる人々へのケアのありかたー看護の立場からー」山智子、浅野美知恵

2014-10-03 14:13:43 | 看護学
『上智大学紀要』(2014)

グリーフとは、グリーフケアとは、その対象者は?等、基本に部分を整理し、それを踏まえて現代のグリーフケアの現状と課題を提示している。
多くの論文を紹介しているため、グリーフをめぐる各研究者の立ち位置を確認することができる。

引用
・グリーフを生きる人々へのケアは、レジリエンスを感化してしなやかに生きることを支援することである。
・レジリエンスは元々ストレスとともに物理学の用語であった。(中略)精神医学では、Bonannoが2004年に「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」と定義した。
・(エンゼルケアは)生から死に移行した瞬間、そこに立ち会う人々の心に寄り添う大事な時である。遺族が死を受け入れていくには長い年月を要するが、死別直後の時間もまた死の受容へのよりどころをつくる重要なときであり、まだ温もりののこる体にその人の存在を見て、触れて感じることのできる貴重な時である。


以前読んだ、死産を経験した母親を対象とした研究で、亡くなった我が子と対面した人、しなかった人を比較すると、対面をしなかった人のほうが悲嘆が複雑になったり、強く出ることが多いといったものがあった。
死をリアルなものとして受け止めるためには、その姿/存在を確認する時が必要ということであろう。

ケアの入り口はひとつではなく、皆同じものとは限らない。むしろ、全員が異なる入り口をもつであろう。
その入口が、生から死への移行の瞬間である人、亡くなった姿を見た時の人さまざまであろう。
人が持つ力を信じて、支援する側は、寄り添い、見守り、時には働きかけ…。
そういった時間を費やせるケア提供者側の環境もまた、重要と考える。

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「ご遺体のケアを看護師が家族と一緒に行うことについての家族の体験・評価」山脇道晴(2013)

2013-05-25 21:27:55 | 看護学
『遺族によるホスピス・緩和ケアの質の評価に関する研究2』日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団』

ホスピス・緩和ケア病棟から退院した患者の遺族から、「ご遺体へのケア」を一緒に行った家族の体験と評価を明らかにするため、質問紙調査を実施。その結果を報告している。ご遺体へのケアへの率直な思いを知ることができる。

引用
・看護師からご遺体へのケアを行うか声を掛けれられ、行った家族…81%
・看護師と一緒に「ご遺体のケア」を行った場面のことを思い出して、時々つらい気持ちになることがある
 …「どちらともいえない」+「そう思う」+「とてもそう思う」31.9%
・見送ることへの心の準備ができた…「そう思う」+「とてもそう思う」…74%
・看護師と一緒に行っている時に、さらにつらい気持ちになった…「どちらともいえない」+「そう思う」+「とてもそう思う」…41.1%

・考察⇒家族は「うれしさ」や「良かったこと」として、「良い思い出」になったと感じられているが、悲しみが癒されたり、気持ちの整理がつきやすくなったりした、とまではいえない。
・結論⇒家族の満足度に起因するご遺体へのケアは、故人の容姿の穏やかさと尊厳および家族の意向が聞き入れられることである。


調査結果において、「やせた(むくんだ)体をみているのはつらかった」「体の傷や腫瘍、治療の管が入っているところは見たくなかった」「陰部は見たくなかった」等の項目があり、各々「どちらともいえない」+「そう思う」+「とてもそう思う」の数値が半数を超えていた。しかしもしかしたら、長期的に在宅介護をした家族であったら、この数値は違いがあるかもしれないと思った。

湯灌は亡くなった本人よりも、遺された家族のために行う…ということが多いようだ。そしてまた、湯灌は日本独特の風習であると別の書物で読んだことがある。
病院死が一般的になる以前、自宅で介護をしそして看取ることが日常であった時代、湯灌もまた多くの家庭で行われていたそうだ。
在宅での看取りが見直され、そして推進されている現在、湯灌もまた見直されて来るのかもしれない。
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「死後のケアに対する看護師の意識と行動の変化~死後家族と共に入浴を行うことによる影響~」

2013-04-05 15:14:38 | 看護学
大井陽江(2004)『榛原総合病院学術雑誌』

脳神経外科病棟での実践報告。
患者の死後、家族とともに行う入浴行為が家族にどのように影響し、さらにその過程において、看護師の死後ケアに対する意識がどのように変化したのかについて調査している。

引用
・(病棟の性格上、入浴をする前に事故等で搬送され亡くなるケースがある。それを踏まえて)
 「お風呂が好きな人で、なくなってから看護師さんと一緒に入浴介助ができてよかった」「入浴を介助したことで心が落ち着いた」
 ⇒死後入浴は家族のグリーフケアにつながった
・「感染症の患者さん以外は、予防衣やマスクや手袋をせずに介助に入るようになった」
 ⇒(看護師の意識の変化)生死に関係なく一患者として、看護にあたるようになった。


「死は汚いと思っていた」という看護師の声が紹介されていた。これは今の多くの日本人が抱いている感覚かもしれない。
汚いとまではいかなくても、「触れてはいけない」「直視できない」対象であることは、多くの研究者や実践者たちが指摘している。
残された家族が死に向き合い、受け入れていくためのプロセスとして、死後入浴は効果があるのかもしれない。

また死後入浴を実施する際に、感染症患者の対策を整理することで、看護師の取り組む姿勢を後押ししたと述べている。
根拠と対策がきちんと提示されていれば、取り組みに躊躇している実践者たちをサポートすることができる。
実践者たちのための研究と、それにアクセスできるための取り組みは、どのテーマにおいても重要である。


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「在宅における死後の処置に関する調査ー訪問看護ステーションを対象にしてー」滝下幸栄、岩脇陽子等

2012-10-01 11:22:37 | 看護学
『京府医大医短紀要,9』1999

 訪問看護ステーションを対象に、死後の処置の方法、家族への声かけ、今後の課題等を調査している。
14年前の論文であるため、現状とはことなる現象もあるが、死後の処置を巡る歴史的プロセスをしるためには大変役に立つ。

引用
・(病院死が一般的になり)死は次第に家族から遠のき、湯灌のもっていた社会的、文化的な意味が看護者に十分理解されないまま、死後の「処置}として看護業務に組み込まれ、家族が手出しできにくいものとしてとらえられるようになっていった。

・調査結果より⇒「自宅での死後の処置はどうすればよいか」について、「葬儀社に委ねたほうがよい」という意見が2番めに多かった。その理由は、訪問看護ではコストがかかる、葬儀社のほうが上手、入浴までしてくれる、夜間も対応してくれる…など。

・調査結果より⇒「死後の処置は単なる処置の一つ、医療側の援助は死亡前のケアに絞るべき、訪問看護で必ずしもしなくて良い」という意見もあった。

・死後の処置は物理的なリアリティと別れの手続きを確認する場であると位置づけるならば、家族に死後の処置の主導権を返していくことも今後は必要なのではないかと考える。



今でこそ、家族と一緒に着替えをさせる、清拭をするということは死後のケアとして浸透しているが、過去には看護師サイドでも疑問視している声があった…ということに驚いた。
グリーフケアの側面としての死後の処置。それはここ数年で急速に広まった認識なのかもしれない。先駆者たちの取り組みを整理することで、その必要性と普及の鍵を見いだせるだろうと思った。
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「死後のケアに関する意識調査-<処置><ケア>を超えて-」小林祐子

2012-09-05 10:20:59 | 看護学
『ホスピスケアと在宅ケア』Vol.12 No.13 2004

 死後の処置について、看護職はどのように捉えているのか。半構造化インタビューを通してその思いを抽出し、課題を提示している。

引用
・死後のケアの中心となる担い手は誰が適切かという問いには、人の看取りの視点で考えると看護師が望ましいと全員が回答していた。
・(患者さんの整容を通しての看護師の心情)亡くなるまでの苦痛が強かったほど苦痛から解放されてよかったと捉える傾向が強かった。
・(死後のケアは看護師にとって)死を認識するというよりも看護を振り返る場となっていた。


 死後のケアを通して、家族は死の認識を始め、看護師は看護を振り返ることができる。とてもデリケートな場面に、多くの思いが交錯し、そして多くの学びや気づきが存在する。奥が深いとしみじみと感じた。
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