社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「介護保険施設における看護師の実態と定着への課題」高橋優子(2009)

2019-06-15 15:16:10 | その他

副題:介護老人福祉施設と介護老人保健施設の看護職員の比較調査 『社会教育研究』第27号

 看護職が介護保険施設に定着しない原因について、郵送による質問紙調査を用いて明らかにしている。

介護職以上に離職率が高いと体感しているが、その調査結果はうなづくばかりであった。

 

引用

・調査結果より、施設に就業する看護師が抱える課題

→施設長と看護師間の認識のズレ(施設長は看護師に高い評価をしているが、看護師は評価は低いと認識している)

→施設看護の専門性があいまいであることから、看護師も施設長も、看護師の役割があいまいである

・施設看護師が知人に施設での勤務を薦めるか?の問に「薦めない」割合が高かった。その理由は…

→「業務の激務、責任の重さ、賃金の安さ、他職種との連携の難しさ」

 

 介護職の離職ほどにはクローズアップされないが、看護師の施設離れも早急な対応が求められる課題だと、日々の業務を通して痛感している。

本論文のなかで、看護職と介護職の連携が十分ではないため、チームワーク体制も不十分で、結果としてチームケアが提供できていない…というものがあった。

職種間連携を図る職種として、考えられるのは生活相談員もしくはケアマネージャーである。介護施設での先の職種は、基礎資格として介護福祉士を有している割合が高い。では介護福祉士は連携業務に長けているのか、もしくはそれを専門性として認識しているのかというと、やや疑問がある。

しかしながら中立的な立場で、ケアを円滑に遂行させるための業務とすれば、やはり生活相談員やケアマネージャーが介護職と看護職の仲介役となる必要があるのだろいうと考える。

 

 

 

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「選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子」 河合香織(2018)文藝春秋

2019-03-13 15:33:38 | その他
 出生前診断では「陰性」であったが、生まれたきた子どもはダウン症を患っていた。
医師の誤診と、生まれてきた子どもの「苦痛」に対する謝罪を求めて裁判を起こした家族への取材をもとにしたノンフィクション。進化する医療技術と、それに追いつかない生命倫理について、問題提起している。

引用
・急速に技術が進むなか、生まれる前に命の選択をする技術的なハードルは下がってきている。そして出生前診断を受ける人は増え続け、それは心の準備のためだと言う人も少なくない。だが新型出生前診断を受けた後、確定診断となる羊水検査で染色体に異常があると診断された妊婦のうち九割近くが中絶を選択しているという現実もある。どのような言葉と理由で装飾しようと、私たち社会が直面しているのはあまりに野蛮な問いなのだ。
 誰を殺すべきか。
 誰を生かすべきか。
 もしくは誰も殺すべきではないのか。

・胎児に重篤な疾患がわかった場合も、妊娠を継続し、出産後は積極的な治療をせずに安らかに看取るという取り組みは欧米で始まっており、「胎児の緩和ケア」と呼ばれている。
・産科医へのインタビューから→「胎児自身に選択の余地はないのです。障害を抱えて生まれたとしても、たとえ生命がわずかであったとしても、家族に見守れらながら生をまっとうするのが子自身の本望でしょう。医療は本来そのためにあるのです」


 子に障害があることを理由に中絶をすることは刑法の堕胎罪にあたるという。しかしながら多くは「経済的理由」ということを援用し、中絶手術を法を侵さずに受けている(もしくは手術を行っている)。これはあらためて活字で読むと、恐ろしく重大な事柄だと認識するが、今の日本では「あたりまえ」の逃げ道として成り立っている。
 子を育てることは本当に大変で、きれいごとではすまされない。だからこそ、障害がある赤ちゃんだと診断を受けたときに、生むのか/生まないのか(堕ろすのか)に、女性は苦しむのであろう。

本書では、生命倫理と法律の「詰めの甘さ」を様々な立場にある人への取材を通して、具体的にそして鋭く追求している。
選ぶこと、生むこと、育てること。選ぶこと、殺すこと、罪を感じながら生き続けること。
これからより一層、命の選択の機会は増えていく。どうか法律がきちんと整備されることを・・・。

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選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子
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文藝春秋
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「介護経営イノベーション」森一成、渡邊佑(2019)総合法令出版

2019-03-06 06:25:47 | その他
 離職率が高い特養において、コーチングとアメーバ経営を用いてその課題を改善(改革)。その手法をわかりやすく説明している。
 「そんなにうまくいくものだろうか?」と思う部分もあるが、従業員の立場から見ると、こういう経営者、管理職、組織であって欲しいと強く感じさせられる。

引用
・多くの人は幹や枝、葉や花しか見ようとしませんが、本当に大切なのは普段は見えない部分、土の中にある根っこなのだということです。
・コーチングでは、企業の仕組みや従業員の業務改善などには言及しません。対話によるコミュニケーションを重ねることでクライアント(企業の場合は幹部や従業員)の目標達成に必要な考え方や視点などへの「気づき」を促し、自分で考えさせ、自発的な行動の手助けをしていきます。


 コミュニケーションの大切さ、自発的な行動を促進させる働きかけ・・・もっともなことであるが、ほとんどできていないのが現場の本音なのかもしれない。それは「時間がかかるから/手間がかかるから」。
私の身近な管理職を見ていると、離職率を下げる特効薬ばかりに目をつけ、中・長期的な目標は設定していない様子がうかがえる。確かに、今日の夜勤がいない。明日の遅番がいない。という問題には早期解決が必要であり、時間の猶予はない。
しかしその穴埋めをするのと並行して、中・長期的な目標への動きがないと、まさに自転車操業であり、解決は永遠に来ないような印象すら受ける。
 職員養成、人材確保のためには、現場との兼務ではもはや限界があり、そのための専門要員が必要なのだと痛感している。


介護経営イノベーション
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総合法令出版
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「単身要介護高齢者に対するケアマネージャーによる在宅継続支援の実態と課題」(2016)

2019-02-03 17:16:44 | その他
 中島民恵子、沢村香苗、山岡淳『社会保障研究』2016,vol.1,no.1

 ケアマネージャーに対して、個別ヒヤリング調査、フォーカスグループ面接を実施し、単身要介護高齢者の支援に関する実態と課題を整理している。
 フォーマルサービスには限界があることから、共助、自助の重要性が叫ばれている昨今、「そうは言っても難しい!」という現場の声が反映されていた。

引用
・単身用要介護高齢者に必要な支援
 ①日常生活を維持するための手続き面支援(銀行の振込、通帳の記帳、電気代等の各種支払いなど)
 ②日常生活を維持するための生活面支援(季節ごとの衣服の入れ替え、電球の交換など)
 ③日常生活を維持するための医療面支援(通院介助、服薬管理など)
 ④安否・安全を確認するための見守り支援(誰かが1日に1回は訪問できるようなプランにする、民生委員による見守りなど)
 ⑤インフォーマルな支援への目配り(家の仲間でのインフォーマルなサービスはある程度の利害関係がないと動いてくれない、金銭目的で関わる人から大きな危険を被らないように見守っているなど)

・(担う人が誰もいない、でもやらなければ生活やサービスが立ち行かなくなる・・・という現状から)「ケアマネージャーが擬似家族にさせられて、ケアマネージャーがキーパーソン化していく傾向がある」



 「主介護者が緊急入院をしたので、明日から緊急でショートステイお願いします!」勤務先の特養では、先月、こういった問い合わせが多くあった。そして必ず確認するのが「夜間に救急搬送をした場合、対応はどなたがしますか?」「残薬がなくなった場合、どなたが持参されますか?」ということである。今や、息子、娘が他県に住んでいることは珍しくなく、「どんなに頑張っても娘さんは新幹線で4時間かかるので、それまでは私(ケアマネ)がつなぎをします」と緊急対応時を担うことを嫌がらないケアマネージャーさんもいる。そこまでしないと、支えられないのが現状なのだ。
 地域包括ケアシステムにおける施設サービスはなにか?なにができるのか?
 自分たちだけのリスク回避だけを提案、解決しているようで、なんともやりきれない・・・。
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「ヤングケアラー-介護を担う子ども・若者の現実」 澁谷智子(2018)中公新書

2019-01-30 14:45:42 | その他
 介護を担う子ども・若者に焦点をあて、先進国のイギリスの取り組みを紹介。また、日本での現状と課題について詳細にまとめている。
 福祉職以外にも、もちろんのこと、教育を専門とする方にもおおいに役に立つ本。

引用
・ヤングケアラーとは、家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子ども」と定義。
・(日本における調査結果から。学校生活との両立について)ヤングケアラーたちは、最初のうちはがんばっていても、ケアが長期化するうちに、これ以上は無理だと学校生活を諦めていく場合が少なくない。
・子どものサポートにあたっては、何かを見るちう視線が重要になるといる。ヤングケアラーではない、被虐待児ではないか、障がい児ではないか、貧困問題を抱えていないか、といった視線である。
・ヤングケアラーや若者ケアラーは、その知識や経験や人間関係がまだ限られているために、自分の状況を言葉として認識すること自体、難しくなっている面もある。
・(イギリスヤングケアラー支援者のコメントより)私が福祉専門職に対してよく問うのは、「もし、ケアを要するその人が一人暮らしだったらどうするの?」という質問。もし一人暮らしだったら、ありとあらゆるサービスをつぎ込むはず。子どもがいるというそれだけの理由で、未成年の子どもを「ケア・パッケージ」のなかに入れて考えるのはおかしい。

・多様な介護者をひとくくりにして、介護にかける時間が長い人を優先的にサポートしていくシステムでは、いつまで経ってもヤングケアラーにサポートは届かない。ケアを担う子どもや若者の置かれている状況を、中高年や高齢者のケアラーを基準に測ってしまうことには、注意が必要になってくると思われる。


 介護離職ゼロを掲げ、国は介護支援体制の整備に躍起になっているが、現場から見ると全く状況は変わっておらず、「まずは介護職離職ゼロだろう」と言いたくなる。
 高齢者が増え、必然的に介護の担い手が必要となる。そしてそれが学齢期に子どもにまで影響が出てしまっていることに、本当に唖然としてしまう。
 限りなく広がる可能性を持つ子どもたちの未来をどのように保障してあげられるのか。いろいろと考えさせられた。


ヤングケアラー―介護を担う子ども・若者の現実 (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社
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「医療的ケアを必要とする子どもの在宅介護を担う母親の状況」櫻井浩子・西脇由枝(2008)

2018-10-29 06:24:43 | その他
『立命館人間科学研究 17』

 在宅介護を担う母親にバーンアウト調査を通して、要医療的ケア児の在宅介護を担う母親の状況とその関連要因、改善のための援助を中心に考察している。
 少し前の論文ではあるが、母親が置かれている状況を数値で分かりやすく提起している。

引用
・(母親の)一日の平均睡眠時間は5.5時間、子どもが体調不良時の平均睡眠時間は3.2時間、平均睡眠中断回数は2.6回。
・子どもから離れられる時間は、一日平均201.6分、外出時間は138.1分、医療行為時間は7.4時間。
・母親の身体的心理的精神的疲弊を見ると、臨床的うつ群6.6%であった。
・バーンアウト群と臨床的うつ群の合計は子育て中の母親では10%であるが、要医療的ケア児の母親では28.3%と子育て中の母親の約3倍であった。
・要医療的ケア児は医療機器の充電や定期的なケアが必要なため、行動範囲や外出時間に制限がある。


 母親への過度の負担、少なすぎる社会資源…知っていたことではあるが、具体的に数字で示されるとより一層その重みが伝わる。
 「母親」という肩書は、そこまで多くのことを背負わなければならないのかと、しみじみ思う。

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「障碍児への組織的対応としての地域支援のあり方についての一考察」 榊原 剛(2018) 『名古屋女子大学紀要64』

2018-10-17 10:13:34 | その他
 地域包括ケアシステムの構築がすすめられているなかで、児童への対応は充実しているのか?という点から、筆者の専門である教育学の視点から考察をしている。

引用
・小児等は成長・発達していく存在であり、ライフステージに応じてかかわる施設・機関や職種が異なる。したがって、施設・機関間を調整するコーディネーターが必要不可欠であるが、今もってその存在が不明瞭である。
・地域包括ケアシステムは高齢者の医療と介護、認知症対策などを目的に推進されてきた取り組みであり、現時点では小児等についての枠組みがない。
・(吸引等が必要な児童への保護者への)付き添い要請については「障害者差別解消法」に違反しているとの見方もあり、学校等における医療的ケアを誰がどのように実施するのかについては、小児等に対応する地域包括ケアシステムのあり方 
 のなかで、今後十分に議論していく必要があるだろう。


 医療的ケア児と呼ばれるこどもたちが年々増えていくなかで、その子供と家族を支援する取り組みが急務の課題となっている。しかし筆者も指摘しているように、高齢者は身近な存在であるがゆえに課題に着手されやすく、医療的ケア児はまだまだ「他人事」の域にある。
 介護保険制度下の介護支援専門員のように、医療的ケア児とその家族をサポートするためには、コーディネーターは必須である。その担い手をどこに配置するのか。特別支援学校か、役所か、地域の子育て支援センターか…。まだまだ課題が山積みのこの領域に、少しでも陽が当たればと切に願う。
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「きょうだいリスク」平山亮・古川雅子(2016)朝日新書

2017-08-08 14:01:21 | その他
 「親」という防波堤を喪った後に、きょうだい間での支え合いはどうなっていくのか?
貧困、家族、絆といったキーワードを柱に、介護や扶養等について論じている。専門用語の使用を極力避けている印象で、広く一般書として読みやすくなっている。

引用
・「依存状態」にあるきょうだい(*非正規雇用で収入が不安定で仕送りが必要なきょうだい等)を丸抱えし続けることは「家族が支え合う」の実践ではない、ということです。それはただ、きょうだいを支配し、従属させ続けること。それは「支え合う」からイメージされる対等性からは程遠い存在です。
・「ケア=女性の責任」とする性別分業の構造のもと、いまだに家族に介護を頼らざるを得ない制度的状況が、親が子どもたちの間に持ち込む差別‐性差別、生まれ順差別、そして「子どもの出来」による差別‐の背景にはあります。依存先が家族に限定されるからこそ、親は生存をかけて子どもたちの関係に介入し、自らの依存先を確保しようとするのではないでしょうか。


昔は当然のことであった、家族間での支え合い。それは戦後の経済成長、核家族化によって様相が変わり、いまとなってはきょうだいが「重荷」に感じることさえある。
そんなことを事例を入れながら、学術的な先行研究を交えながら、紹介していた。
私的には、未婚のオジが3人おり、70代に突入する。姪の立場でどこまで介入をすべきか、しなければならないのか…そんなことを考えながら、読み進めた。

きょうだいの存在、つながりがあまりない親戚の存在、疎ましく感じるのか、心配な存在として感じるのか。ありきたりだけど、幼少期の関わりや親との関わりなど…それまでの生きようが影響をあたえるのだと、
しみじみ思った。


きょうだいリスク 無職の弟、非婚の姉の将来は誰がみる? (朝日新書)
クリエーター情報なし
朝日新聞出版
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「死にゆく親を看取る子どもを支える」久野美智子、石田智美、三浦絵莉子、小澤美和(2016)

2017-06-30 09:54:34 | その他
『保健の科学』第58巻第8号

 死にゆく方、その周辺にいる方々へのケアをしている実践者たちの報告。特に子どもに焦点をあて、年齢別の死の捉え方、悲嘆の表出について整理している。

引用
・(子どもへの対応がわからないがゆえに、ケアの対象とは見られにくい現状に対して→)周囲の大人が勘違いをして子どもに伝える情報を操作することなく、子どもの力を正しく理解した上で子どもが自分の意志を持ち、それが尊重されるような対応であれば孤立感はなくなる。
・まずは子どもの気持ちを受容、尊重し「驚いたね、困ったり聞きたいことがあれば声をかけてね」と、突然に非日常が始まり、病院という慣れない場所での緊張感と混乱に寄り添う。
・自立前の子どもにとってもっとも辛いことは、孤立することである。子どもの側にいる誰かが、子どもの存在を意識する行動をしていただければ、まずは十分なのである。


方法が分からない、自分には出来ないのではないかと自信がないケアに対しては、とかく消極的で「あえて注目しない」策をとる専門家も少なくないだろう。
でも本論文では、まずはその存在を認識してあげることが大切と説いている。何かをしてあげよう、わかりやすい形で提供してあげようとかまえる必要はないのだろう。
以前、米国のホスピスに見学に行った際にチャプレンにその役割を尋ねたら、「一緒にいる」という答えが返ってきた。話さなくとも、触れなくとも、ただ側に座っている。時間を共有するだけの時もあると言っていた。
そこまでたどり着けるのは、もしかしたら究極のスキルが必要なのかもしれないが、まずは認識する、そして声を掛ける。それはすぐにでもできそうなことだと思った。
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「生まれてくるはずだった命の死を受け止める‐「お空の天使パパ&ママの会」の試み‐」石井慶子(2016)

2017-06-27 07:04:32 | その他
『保健の科学』第58巻第8号

 流産、死産、新生児死を経験した親を支援する団体の活動報告と、それらの死を経験した人たちのグリーフの概況を報告している。

引用
・体験者たちが不快に思う言葉に、「お気の毒」や「かわいそう」がある。こららの言葉から、憐れみを感じ、「見下された感覚」を味わうという。子どもを亡くす喪失では、「ちゃんと産めなかった」「育てられなかった」「他者にあるもの(=命)が、自分にはない」という不全感とスティグマが根底に存在することが多い。


 本論文で報告されていたように、医療技術が進歩し、救われる命が多くなった。故に、それを防ぐことができなかったという無力さが、当事者を襲うのだろう。
亡くしたことそのものへの悲しみに加え、自責の念が特に強いのが、この死(喪失)の特徴なのかもしれないと思った。
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