榑松久美子、黒田裕子『日本看護科学誌』Vol.31,No.1 2011
第三次救急に搬送された重症意識障害患者を持つ家族に対して、半構造化面接等を用いて、その認識プロセスの把握を試みている。生死をさまよう段階、生を保証された段階、障害が確定した段階…その場面場面での家族の心理的な葛藤と現実と向きあうプロセスが、丁寧に分析されている。
引用
・救急・集中治療を要する重症意識障害患者に対する認識プロセスの中心現象⇒<意識障害患者とのつながりに対する希望と落胆の共存状態>…嘘と本当の公叉、生きていてくれればいい、もとに戻って欲しい、もとには戻らないかもしれない、変化の受け入れ…の4つの位相から構成されている。
・突然最愛の人が倒れ、あるいは、交通事故に遭い、瀕死の状態かたたとえ命が助かったとしても意識障害の状態は免れないという事実を認識していくプロセスには、、医師や看護師、家族、そして患者との相互作用が不可欠である。
何か困難を抱えている人に対して、適切なケアを提供することは援助者として当然の姿勢である。しかし、抱えている困難やその背景にあるものへの理解が不十分であった場合、それは専門家が提供するケアにはならない。同じ医療機関であっても、場面によって患者・家族のニーズは異なり、画一的なケアを提供することはあってはならない。
救急医療の「いま運ばれている」場面から、「意識障害が確定した」場面まで、家族が求めるケアのニーズは異なる。
本論文は、その理解を助け、援助者にとって必要なものを示してくれると感じた。
第三次救急に搬送された重症意識障害患者を持つ家族に対して、半構造化面接等を用いて、その認識プロセスの把握を試みている。生死をさまよう段階、生を保証された段階、障害が確定した段階…その場面場面での家族の心理的な葛藤と現実と向きあうプロセスが、丁寧に分析されている。
引用
・救急・集中治療を要する重症意識障害患者に対する認識プロセスの中心現象⇒<意識障害患者とのつながりに対する希望と落胆の共存状態>…嘘と本当の公叉、生きていてくれればいい、もとに戻って欲しい、もとには戻らないかもしれない、変化の受け入れ…の4つの位相から構成されている。
・突然最愛の人が倒れ、あるいは、交通事故に遭い、瀕死の状態かたたとえ命が助かったとしても意識障害の状態は免れないという事実を認識していくプロセスには、、医師や看護師、家族、そして患者との相互作用が不可欠である。
何か困難を抱えている人に対して、適切なケアを提供することは援助者として当然の姿勢である。しかし、抱えている困難やその背景にあるものへの理解が不十分であった場合、それは専門家が提供するケアにはならない。同じ医療機関であっても、場面によって患者・家族のニーズは異なり、画一的なケアを提供することはあってはならない。
救急医療の「いま運ばれている」場面から、「意識障害が確定した」場面まで、家族が求めるケアのニーズは異なる。
本論文は、その理解を助け、援助者にとって必要なものを示してくれると感じた。