いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

治外法権と沖縄と非生産性。 extraterritoriality

2010-05-20 19:30:35 | 日記
 (1)普天間基地移設先問題が、どうしてこうなったのか。ひとつが、①日米安全保障条約
の存在、ふたつめが②米軍基地優先の治外法権(extraterritoriality)政策、三つ目が③
沖縄の悲劇、そしてこれらを日本政府が④的確に情報公開せずに、できずに、政策実行の
基盤整備もない「架空の理想論(県外・国外移設)」で国民に過度の期待を抱かせた、帰結。

 普天間基地移設先問題は、今はありもしない架空の理想論の上げては消える打ち上げ花火
の余興話の暗い足元で、現実論としての治外法権優先政策による米軍の意向だけが存在して
いた訳だ。

 (2)日米対等の協力関係とか言って(それはそれで正しい)、これまで日本政府はその牙城、
治外法権に切り込む外交努力はしたと言いたいのだろうが、米国とどんなタフな交渉をしたの
か、切り込む外交努力をしたのか一向に情報開示もなく、国民には伝わってこない。米国に
言ったのは「trust me」。

 結局、政権交代前の現行案(辺野古埋め立て)に回帰する政府方針を見れば、日本政府の
主張は国内向けのメッセージ(lip service)であって、米国には問題にもされなかった訳だ。

 (3)日米安全保障にかかる重要政治課題が、国内問題としてのみクローズアップされている
うちでは、現状を抜本的に改革するような方向には絶対に向かわない。

 ①日米安全保障条約では、日本の安全、極東アジアの安定を視野に入れて相互に協力して
安全保障体制を維持する。このため、日本は米国に基地の提供と財政支援で全面協力を果た
す。
 基地の提供では、使用する米国の意思が優先し、尊重される。安保体制では、日本領域内
(territory)にありながら、②米軍基地は日本の主権が及ばない聖域、治外法権(extraterritoriality)
で、近年までは米軍関係犯罪者の引き渡しも容易でなかった。

 米軍基地再編成問題は、日米による安全保障条約の見直しが優先となる政治課題だ。ここ
をクリアーして、日本が国内(域)での主導権を維持できる政治環境が整備されなければ「日本
の意思」は米国に届かない。

 (4)③沖縄の悲劇は、長く米国に占領された歴史。沖縄返還にあたっても密約で多大な財政
上の国民負担が押し付けられて、軍事上のアドバンテージ(advantage)も都合よく操作された。
 治外法権の80%が集中する沖縄で、主権回復のための市民運動は当然。しかし、問題解決
には回復、クリアーしていくステップの順番(order)もある。

 日本政府は、そのためのステップと向き合わず、解決の基盤整備から外れた架空の理想論
を振りかざしたところに沖縄の悲劇があり、前政権も含めた政治責任論がある。
 治外法権と沖縄の全面対立という、沖縄の悲劇に向けて時間も限られてくる。

 (5)①安保条約の見直し、②日本の基地主権(主導権)の回復、③基地の国外移設という
基本的なオーダー(order)のクリアーという政治課題へのプログラム開示とあわせて、早急
な取り組みがこの問題の解決には避けられない。

 (6)データからは景気回復基調というが、地方自治体調べの1~3月期の完全失業率が4.7%
(前年比較0.8%増)と増加した。10年度は、企業の半数近くが新規採用を見送り、大学卒業
者の就職率も80%と低迷し、この傾向は来年度も続く見通し。

 大学では、学生の就職内定が遅く、就活に時間を取られて授業が成り行かない科目もある
という。安定不況の時代に入って、将来への不安も大きく、就活も重要なテーマだが、まず
は高度な教育、授業を履修しての自己能力開発。課題克服のオーダー(order)を間違えて
は問題解決にならないことを「沖縄」に学ぶべきだ。

 ポストドクター(院博士後期課程修了者)の就職も総じて厳しい。高度な専門的研究を修
めても、機能社会の研究開発に活かせない現代社会。能力ベクトルが相互に引き合う社会
構造が、非生産的だ。

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口てい疫とブランド牛。 FMD and beef cattle brand

2010-05-19 19:32:57 | 日記
 (1)家畜伝染病の「口蹄(てい)疫(foot and mouth disease)」。「牛や豚のような前後の
足の指が2本、4本と偶数の動物に感染するウィルス性の伝染病(資料)」と感染形態も複
雑で、人には感染しない。
 宮崎県一帯の畜産農家で110余りの感染症例が発生し(5月8日現在)、8万5千頭余
りが処分対象(同)となっている。

 4月上旬に1例(1頭)類似症状が発覚したが、「症状が軽く」(報道)獣医の診断の結果、
経過観察としている内に症状が伝染拡大して、11日後の4月下旬になって口てい疫の感
染疑いと確認された。
 1例1頭だけの症例だったとはいえ、結果として専門家の判断の誤びょう(見誤り)が初期
初動対応の遅れとなり、感染が拡大した。処分対象は20万頭を見通して、宮崎県は非常
事態を宣言して、人の移動自粛、イベントの中止を求めた。「鳥インフルエンザ」伝染症以来
のことだ。

 (2)「鳥インフルエンザ」の事例が生かされなかった。この時、九州地域で発生した鳥イン
フルエンザが、野鳥が媒体となったか北上して京都に感染が及んで、すでに高速道路を使
った鶏の輸送経路で東海地区に感染が拡大した。
 高速道路網が整備され、産地と需要先の距離、時間が大幅に短縮された現代社会の側面。

 牛、豚の口てい疫の場合、初期の封じ込め対応で感染の拡大は狭い範囲で防ぐ可能性が
高かっただけに、判断の見誤りによる初期対応の遅れは致命的であった。1例1頭だけの症
状では判断はむずかしかったとの政府関係者の意見もあるが、症状は伝染病口てい疫の類似
例だっただけに、伝染症状では、疑わしきはまず防止策との専門的な洞察、見地からの周到
な決断、対応が望まれる、感染スピード化の現代社会環境だ。
 結果論だけではない、鳥インフルエンザの伝染症の被害拡大の経験だ。

 (3)牛、豚、動物も生命体だ。相互に影響し合って存在する生物多様性の目的(食肉用)外
での短期間内の無計画な、途方もない感染防止のための大量の殺傷には、方法も含めてさ
すがに心痛めるものがある。被害拡大前に防ぎたいものだ。

 (4)今回の件、食肉牛の業界事情もわかった。宮崎県は全国の食肉牛の子牛産地の中心地。
牛肉ブランド(beef cattle brand)の「松阪牛」、「飛騨牛」も、元を正せば宮崎産の牛。「餌のや
り方や管理の仕方の違い」で成育した地域のブランド名がついて高値で販売される。
 餌の素材、内容、与え方によって、肉質、味覚に独自のブランド(brand)の品質管理効果はあ
るだろう。が、味覚もともなっての牛肉ブランドは、ブランド独自の牧場でブランド牛を親として生
まれ成育した銘柄牛だと、うっかり認識していた。

 (5)子牛からフルコースで成育するには設備投資のコスト負担が大きく、コスト抑制のため子牛
は別途、専門の子牛産地県で生産して全国各地に配給する経済効率システムなのだ。
 ちょっと、ブランド牛への想いも、あれっと認識を変えなければならないと思いつつ、結局、ブラ
ンド(brand)は人間が創作したイマージュ(image)に過ぎず、どこのブランドでも牛は牛だったと
あたりまえのことを再認識させられた。

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休刊と電子書籍。 suspend publication and electron books

2010-05-18 19:27:04 | 日記
 (1)またまた、月刊誌の休刊(suspend publication)。半世紀以上続いた「スイング・ジ
ャーナル(swing journal)」、ジャズの専門誌ながら妙に脂っぽく濃くなく、シンプルで、
紹介記事もジャンルに捉われずに高い専門性と音楽のプリンサパル(principal)を実感で
きる音楽専門誌の休刊。

 (2)最近の本屋に行くと、二つの特徴がある。だだっ広いブックセンター様式に閑散とし
た客の数。ちょっと目的のジャンル本を探すのにも苦労する広いエリアと、おびただしい種
類の書籍の数々。
 日本は、かっては自然資源に恵まれた森林文化が盛んで、製紙業も全国に展開して
文字活字文化(printing type culture)にも大いに寄与していた。印刷業も中小企業中心
ながら、技術力もありいたるところに見かける産業だった。
 そうした産業環境の名残りなのか、企業の互助関係なのか、とにかくおびただしいばかり
のジャンル本の出版氾濫状況。

 (3)製紙業は、自然保護、環境維持や、パラドックス(paradox)としての山林開発の近代化
の中で衰退したが、資源の再利用(reuse)で紙財は豊富だ。
 書籍出版業界の再販制度、買い取り制、リユース、資源循環活用等、利益保護の仕組み
(frame work)はあるようだが、あの飽和状態の、書店を占める書籍の粗製乱造は、書籍の
デフレ現象で、書籍の価値を自ら低下させて費用対効果をなくして、事業を後退させている。
 現代人の多様な関心に応えているつもりなのか、それにしても購買キャパシティ(capacity)
をはるかに超えての競争力低下による廃刊、休刊。

 (4)それじゃ、文字活字文化への関心はないのかと言えば、中、高生の読書への関心が
近年盛り返してきているのがデータ上あきらかになって、また人気作家の「1Q84」連作本
は発売前から何十万部の予約がある。

 (5)歴史ある書籍の廃刊、休刊の背景には、①書店書籍のデフレ現象(おびただしいジャ
ンル別書籍の氾濫)と②相乗する書籍の「質」の低下だ。
 書店に行っても、失礼を承知でそのほとんどが立ち読みで十分な内容本で、購入欲を満た
すものはない現況。

 書籍本の利点は、常時携帯してどこでも開く、読める即応性、記録、記載可能なマテリア
ル(material)性、学習性、資源性、時には物置き、足台として用途以外の多様な使用も可
能だ。

 (6)文字活字文化も、電子書籍(electron books)の時代に入る。常時携帯の利点は、携
帯端末の「iPad」がとって代わる。本の収納量、検索の多様さ、速さは無類のマテリアル。
 こちらは「iPad」1機能でのジャンル自由で即応性のある選択なので、書籍のデフレも解
消だ。

 そのうち画面への記録、記載も可能となって、環境適応型の次世代社会に向けては、電子
書籍(electron books)が主力(main force)となる。
 著作権(copy right)の問題も、開発解消するだろう。

 

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民意と真意の間。  among the public opinion and motive

2010-05-17 19:49:01 | 日記
 (1)内閣支持率が前回調査から10%下降して23%。不支持率がその10%上昇して62%
となった。と、今更騒ぐまでもなく、重要政治課題(普天間基地移設先問題・政治とカネ)
での政治決断、政策調整能力、責任論の発信力不足で、すでに内閣、政府として機能してい
ないことが、国民周知のものだからだ。

 (2)普天間基地移設先問題で、首相がくり返し表明していた5月末決着は不可能になり、
その政治責任も明確にできない。政府内からは今になって、そもそも5月末決着にこだわら
ず抜本的な解決に向けて時間をかけるべきだという、「目くらまし・ごまかし論」まで出る有り様。

 確かに前政権時から日本の首相が短期内に次々と交代する異常事態は、内外政治情勢に不
安定を発信して好ましくはない。しかし、それ以上に首相、内閣、政府が機能していない不利益
(disadvantage)の方が大きくて、早期に原点回帰(recur to the foundation)して出直すべきだ。

 5月末の政治情勢を「目くらまし・ごまかし論」で通り過ごしても、このまま行けば夏の参院選
での大敗で、与党の代表者(首相)への責任論は必然だからだ。そこまでいっての進退問題
の方がはるかに政治的ダメージが大きく、及ぼす影響力も多岐になる。
 重要政治課題の5月末決着が不可能なら、首相はすみやかに「ふさわしい」責任をとるべきだ。

 (3)内閣支持率低下にあわせて、政党支持マップが混沌としてきた。民主党が前回調査から
5%減少の19%、自民党が1%増加の15%、みんなの党は1%増加の9%で、また夏の
参院選に向けた投票行動では、民主党が22%(前回調査比較△7%)、自民党18%(同
△3%)、みんなの党15%(同+3%)で、7%の間のボーダーライン(borderline)の中に3党
が拮抗して接近。

 (4)みんなの党には失礼だが、それ程の政党理念、政策課題、政策・政治手法が明確に発信
されているとは考えられず、行く先のない国民の意思の安全パイとなっているのだろう。
 参院選後は、政権政党のあたらしい代表者と自民党を除く第3党間での連立政権となる可
能性が大きい。
 英国政治情勢も、先の選挙で少数支持政党が乱立で、政治理念、政策の共有性では連立も
かなわず、数合わせがプライオウリティ(priority)の政治状況になってきた。
 日本の政治情勢も同様の政治マップ。政治が、数合わせのゲームになって、国民の不利益
は促進される。

 (5)普天間基地移設先問題で、5月7日に移設先のひとつとみられる徳之島3町長が東京で
首相、政府関係者と会い、移転反対の「民意(public opinion)」を伝えた。その後、政府は徳之
島3町長との話し合い継続を求めて、ひとりを除く2町長は移転反対の民意を盾にこれ以上は
会う必要もないと拒否の構え。

 (6)「民意(public opinion)」にも、その中身は多岐にわたる。その中で移設反対が多勢を占め
て「民意」の収れんをはかる(1票でも過半数を上回ればそれも民意)。少数ではあっても、それ
以外の民意を政治運営の中でどう活かして理解を求めるのかは、首長の役割。

 そういう多岐の意見が政府と首長間の話し合いの中で開示されているのか不明だが、伝わ
ってくるのは「民意は絶対反対で、これ以上会う必要もない。」というものだ。52%の得票率で
当選の名護市長も同様。

 「民意」は政治の原点。だが、「民意」がこのようにあまりに絶対視され、強調されるとまして
そのためもう会う必要もないという拒絶反応を見ると、民意にも色々あるだろうにと、首長の
民意の重しにも、考えさせられる。

 (7)まして、首長が民意を代表して移設反対の意思表示をしているものを、政府ともあろうもの
が民意の少数意見者と別途話し合うなどとは、意図も不明で、あってはならないことだ。
 首長も首長、政府も政府の無分別な泥仕合いの様相。米国の手管(てくだ)にはまっている。

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命と命の間。  study a bonds of life

2010-05-16 19:25:00 | 日記
 (1)①自ら生命を絶つ人が12年連続で3万人を超えた(09年統計32,845人)。②教員
(公立学校)の休職者数が右肩上がりで増加して08年統計で8600人、内、精神的疾患
で休職した教員が5400人で、共に過去最多。

 (2)自ら生命を絶つ人が国民全体の0.03%を少ないとか多いとかではなくて、自ら生
命を絶つ人が一人でもいることは、あってはならない社会現象とすれば途方もない数字だ。
 自ら生命を絶つ人の告白、相談から、動機は失業、苛酷な労働条件が主なもので、前年
比較70%も増加した(データ)。世界同時の経済不況が拍車をかけている。

 近年は20代、30代の「自ら生命を絶つ比率(10万人比較)」の増加が特徴だ。本来は、
人生やり直しの効く年代での「自ら生命を絶つ比率」の増加には、現代社会の構造的問題
がある。

 (3)誰もが20代、30代では一度や二度の挫折は経験する。むしろ思い通りいかないのが、
独り立ちするプライマリー(primary)人生のオリエンテーション(orientation)という共通認識
の社会行動の中で、そういう未熟さが普通(ordinary)という自己評価に立って、多様な経験
則から解決策(solution)を引き出して成長を実感する。

 20代、30代で将来のことなど、身近なものとして考える者など、昔も今もほとんどいないは
ずだ。将来への不安なんて本来ない年代での、人生への絶望感というのは、現代社会の抱
える構造的背景があらわれている。
 ①視野の限られた自己中心の論理構成、②受動的(人まかせ)な自己評価、③共有意識、
共通観の欠落、④孤立感と、「社会性(sociality)の欠如」に起因する。

 社会(適応)性とは、広い「関心」と、異質なものを受け入れる「度量」、「思考」し行動する力
を相互に「機能(比較、分析、選択)」する能力。

 (4)20代、30代というと、たとえば車にぶつかってもくたばるものではないという体力、気力
のバイタリティがあった年代だ。
 まして、人間「ひとり」生きていくのに、なんとでもなると思って生きることに意欲のある、
ある意味無責任で楽観論が支配する年代だった。

 (5)支援策としては、①短期的なものと②長期的な視野に立ったものとの混成(composite)。
 ①失業、苛酷な労働環境が起因しているデータに基づけば、ハローワークの就職支援の窓
口に生活相談支援コーナーを新設して、広く周知し、雇用のあてのない失業者に継続して相
談、対応にあたる。
 ②長期的視野に立ったものとしては、教育改革がある。

 そういう自ら生命を絶つ人が20代、30代中心に増加(前年比較1.8%増)している傾向、
社会性の欠如とは、家庭を含めた教育環境に起因する現代社会の構造的問題だ。
 
 (6)基礎教育(primary education)の学校(小、中学校)は、かっては「勉強に行く」ところだ
った。主体が生徒で、目的意識に共有性があり、学校に行けば仲間がいる能動態の場所だ
った。家庭以上に、学校で仲間といることに安心感があった。

 基礎教育にも課外教育(塾)が浸透して、学校は「教育を受ける」ところに、受動態に変化
する。基礎教育は、正課教育と課外教育とに二極化して、人的財産も含めて学校教育の質
そのものが変化した。

 能動態(active)から受動態(passive)に変わった基礎教育(primary education)を受けた
年代が教員になって、精神疾患過去最高の5400人の休職者数。
 基礎教育は、「教育を受ける」ところから「勉強に行く」ところへ、受動態から能動態へと
人的財産も含めての教育改革が求められる。
 家庭教育もシンクロ化して、目的意識を共有化し実践するのは、将来にわたって20代、
30代がふさわしい体力と気力を持ち合わせるためには当然のことだ。

 人間は、どうしたって「命」と「命」の間を生きていく。

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