いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

正直と無責任とはぐらかしと。  honesty and irresponsibility

2010-05-10 19:42:55 | 日記
 (1)民主党政権の政治主導の「中身」、政策論議の「精度」が問われている。「子ども手
当」、もらう側からも予算一括、社会資本インフラ整備への投資の方が効果的と見られて評
判が悪く、また、果たして意図どおり受給者が使用するのか、最低使途がどうあっても生活
費の補足に真面目に対応できれば意味もあるが、無作為に浪費されることがないという保障
もない。そういう事例も見てきた。

 (2)ところが、問題はマニフェストで約束した政策ということで、原資が日本国民の投資(税金)
でありながら、受給の対象を国外に居住する外国人家族にまで拡げて、ほとんど場当たり的
な無原則状態で制度を開始してしまったことだ。ご機嫌とりのバラマキ手当である。

 博愛精神もいいが、原則限度というものがある。子ども手当は、他の政策同様に法案が国
会で審議されて、条件、条文も精査されての成立、施行のはずだ。

 (3)ところが、ことは外国人国内居住者が国外に残した家族(子ども)にも支給することになっ
ていたので、尼崎市では、養子縁組をしたとかで554名分の子ども手当の支給申請が公然
となされた。さすがに、実態とかけ離れた申請内容の照会で、これを不適切として受け付け
拒否となった。

 政策の趣旨、目的、資格要件の設定の精度の低さを逆手に取られた。国会審議の過程でも
こういう問題の指摘はあった。

 (4)この度、行政刷新担当大臣が子ども手当の「対応を間違えた。日本に住んでいる方が
基本だった。日本国籍もなく外国に住んでいる方への支給は理解が得られない」と今更なが
ら釈明して、政策の誤りを認めた。

 ①民主党政権の今や特徴でもある、担当大臣以外の大臣が、内閣としての政策の付け合わ
せもなく勝手に政策の有り様に意見を述べて反対表明する、閣内不一致(不統合)観には、
うんざりするほど恒例で改善もされないこと、しかも②国会で審議した政策(法案)の中身をこの
期(ご)に及んで自ら失政として釈明するに及んでは、この内閣は真面目に政治、政策実行に
取り組んでいたのか、きたのか不可思議な感情に捉われる始末だ。
 政治では、こういうのを「正直(honesty)」とは言わない。ただの「無責任(irresponsibility)」。

 (5)国民の貴重な投資(税金)のいかし方は、まず日本国民への効果的な「還元」が原則
で、政府は国民の生命、財産、生活を守る命題(proposition)責務を負っている。
 国民の子育て、成長を支援する子ども手当となれば、憲法の生存権保障にかかわる基本問
題で、国民の基本的人権の問題。日本国民以外への博愛精神とは一線を画して当然の、基本
中の基本ともいう政策だ。

 今更「外国に住んでいる方の支給~」はの釈明もない。政府は、日常を精度の高い政策推進
に向かって努力、学習、検証していないのが、よくわかる。国民の立場(目線)に立った情報公
開が原則でスタートした政権だったはずだが。

 (6)こちらの問題でも変な声が出始めた。普天間基地周辺の危険解消なら、昨年12月末での
早期決着が求められていた訳だし、今更5月末での戦略なき、合意なき決着にこだわるもので
はないのはもちろんだが、しかしそれを宣言、設定したのは首相だ。
 政府内から、首相の政治責任(進退)を棚上げして、5月末にこだわらず本格的な交渉決着の
ための問題継続をという「はぐらかし論」というのも、これまた無見識で無責任だ。

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栄ミナミ音楽祭。  nagoya music days

2010-05-09 20:50:21 | 日記
 名古屋・栄(さかえ)ミナミ音楽祭。名古屋は、ひとの動線が近年、栄地区から名駅前に
集中していて、5月8,9日の両日にかっての中心街の栄地区が再び集客を呼び込もうと街
中が音楽のステージとなって、街中に音楽が溢れる一日の恒例の音楽イベントが開催され
た。
 デパートの角々、そこらじゅうの街角での路上ライブが開催されて、音楽が街中に溢れで
る一日。若いミュージシャン中心に150組のアーティストが参加した。

 かっては、栄地区に集客が集中していた名古屋では、名駅地区に集客を促進しようと「エ
キトピア」という名駅地区野外イベントを開催した。その後、名駅地区にはミッドランド・スクエ
ア、タワーズと高層ビル群が次々と建設されて、駅前というロケーションにも恵まれて高島屋
デパ、トヨタの東京本社機能の移転により、いっきに名古屋の中心点、ランドマークが名駅地
区に移行していた。名古屋の中心街が名駅前に移っても、野外イベント「エキトピア」は、今も
継続されている。

 立場が逆転した栄地区では、五月の栄みなみ地区街全体を音楽で埋め尽くすイベントで集
客を呼び戻そうと、栄ミナミ音楽祭を開催している。
 栄地区は幅100メートル道路が中央を貫いており、名駅よりも空間に余裕があり、名駅地
区に人の動線の重心が移っても、かえって市民には過ごしやすい、こころ安らぐ快適な生活
ゾーニング(zoning)となってきた。かっては激しかった車の渋滞もお陰で緩和されている。

 そこで、五月晴れのキラキラした深緑の光の中で、メインステージのひとつの矢場公園の
特設ステージでは5月9日に奥華子、ブレッド&バター、杉山清貴他のコラボレーション・
コンサートが開催されていた。
 各ミュージシャンがそれぞれの本番前にリハーサル、音合わせを入念に行って本番コンサ
ートに臨んでいた。ひとり、ブレッド&バターだけは、湘南オールドボーイズの自然体でサポ
ートギターとのスピーカーのコンポジット(composite:混合音)を確認、アジャスト(adjustment)
したまま、リハーサルのはずがそのまま「湘南ガール」をフル・スコア(score)歌い切ってしま
って、すっかりいつしか本番コンサートに突入してしまっていたのが、彼ららしかった。
 「ホテル・パシフィック」、「あの頃のまま」、「ピンク・シャドウ」、「ファイン・ライン」と名古屋の
熱い五月の街に湘南の風を吹き込んできた。

 栄地区みなみ街中がステージの中、五月晴れの好天にも恵まれて、音楽に彩られた自由と
個性と多様性が躍動する、街のエネルギーを体感した。
 名駅前地区の商業ゾーニングと栄地区の生活文化ゾーニングとのすみ分けも、いいのでは
ないのか。市民の市場、文化の選択肢が明確で、多様で豊富な街づくりもいい。

 
 

 

 

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(逆)風,と共に去りぬ。  gone with the contrary-winds

2010-05-08 19:54:33 | 日記
 (1)「風と共に去りぬ」。米国南部ジョージア州アトランタの大自然と南北戦争を背景に
富豪女性の伝統家系を精神として守り通す、強い南部女性の愛の生涯を、歴史的叙事詩
(epic:ありのままの姿の表現)あふれる映像として描き切った長編映画。

 正直で、真っすぐな何不自由なく育った、育ちの良さがそのまま大人になった勝気で、
無垢な女性、スカーレット・オハラ(scarlett o'hara)が、動けば動くほど想いを遂げられずに、
ラストシーンでは人生のすべてを身の回りから失い、ひとりぼっち南部ジョージアのアトラ
ンタの大平原の大木の脇に立ち、「明日は明日の風が吹く」(原訳では「明日はまた別の明
日」)と、それでも力強く生きていこうとする姿がドラスティック(drastic)なラストシーンだった。
 スカーレット・オハラを演じた希代の英国女優の末世、その後を暗示するかのようなラストシ
ーン。

 英国育ちの気品あふれる、個性豊かな気質で、超美系女優のヴィヴィアン・リーが激情型
の気質の強い米国南部の富豪女性、スカーレット・オハラの内面描写、豊かな表情も含めて
演じ切ったのが見事だった。

 「明日は明日の風が吹く」(原訳では「明日はまた別の明日})という、人間の低力(そこぢ
から)の持つエネルギーがあふれでるラストシーンのセリフ(台詞)が、印象的だ。

 (2)08年のリーマンショックに端を発した世界同時不況以来、工場縮小、リストラ、リコール
対応、ボーナスカット、ユーロ経済圏の経済危機といっこうに明日は明日のいい風が吹いて
こない現代経済。

 ついでに普天間基地移設先問題の政治混迷では、日本の首相とスカーレット・オハラが
ほぼ完全にダブって映る。
 思慮も戦略もなく、感情のままに動けば動くほど想いを遂げられなくて、最後は「ひとりぼ
っち」。
 育ちの良さと世間知らずは、共にそのままで、しかし、スカーレット・オハラの気の強さ、
そこぢから(energetic:低力)は首相には見られずに、「明日は明日の風が吹く」と言って
みても、ただ「反対」の逆風(contrary-winds)に吹かれてフラフラと漂流するだけの、こち
らは三文芝居だ。

 「風」に立ち向かうだけの時間と学習は、宿題をいつまでも手つかずに過ごした夏休みの
ごとく浪費して、いよいよ時間がなくなってのあわてぶりとシナリオのない下手な土壇場を
演じてみせる首相。

 (3)スカーレット・オハラを、鬼気迫る名演技で演じたゾクッとするような希代の超美系の
ヴィヴィアン・リーは、しかしその気品、気質、美系の故(ゆえ)なのか、「風と共に去りぬ」
そのままに現実でも、ちょっと寂しい人生のラストシーンをむかえたのです。

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悠長で気長な発電の話。  easy-going generation

2010-05-07 19:28:04 | 日記
 (1)これだけ悠長(easy going)で我慢くらべみたいな気長な国家事業もない。有資源エ
ネルギー(石油・ガス・石炭)の将来的な枯渇に変わる代替エネルギーとして原子力(核
融合)の平和利用が注目されて、日本にも原子力発電所(atomic power plant)が全国ブロ
ック別電力会社で建設されだした1960年、70年代。

 次世代エネルギーへの期待が先行する原発の建設で、安全対策と管理能力が追い付か
ずに当時から事故が相次ぎ、現在でも地震対策や地域環境対応、情報公開で組織的、継
続的な分析、検証体制が整備されていない。

 当然のように原子力発電所のエリアの地域住民からの健康影響、生活環境への疑念、
不安は大きく信頼度はきわめて低い。

 (2)核燃料から取り出したプルトニウムを高速増殖して、ナトリウムを媒体にした燃料対効果
の非常に高いエネルギー(電力)を生む、従来の原発を進化させた高速増殖炉(もんじゅ。
1991年試運転開始)。

 1995年にナトリウム漏えい事故で運転停止。①建設時からの施工ミス、②事故の放置、
③情報隠しと、安全優先の原発理論からはほど遠い機構のおそまつな管理体質、技術能力
不足があきらかになり、事業は中断したままだった。
 09年までに停止中の維持費(年間160億円)も含めて総投資額が1兆円にも上る、機能
しない巨額のプロジェクト。

 事故停止から14年余りの今年5月に運転を再開したが、まだ実用化3ステージへの第2
ステージに入ったところで、安全性、実用化が技術的に確認されても、商業化(発電商品化)
は2050年の40年後という、悠長で気長なプロジェクト。

 (3)時代は、環境対応の次世代エネルギー社会に向かって太陽光発電やバイオエネルギー
と自然エネルギーの利用、開発研究が進行中だ。
 次世代社会の家庭電力は、家庭個々で供給する発電(generation)システム(大型家庭発
電池)が有力。

 原発も環境適応型エネルギーではあるが、高度な技術的問題の対応、健康影響、地域の
協力とクリアーする重要課題もある。今後40年の間の生活文化の進化にはたして経済効果、
構造、稼働システムとして次世代に適正に適応できるのか、14年余りの巨額な浪費とともに
施設の放置とあわせて、あまりに悠長で無責任な取り組みと言える。

 事業廃止にも、ことが原発なだけに2000億円(廃炉)はかかると言われて、なんとも手の
つけようもない有り様だ。

 (4)次世代社会になって、ようやくこの増殖炉(もんじゅ)の発電の商品化(商業化)となって
も、どこでこの電力使うのかとならないよう、再開にあたっては実施プランニングの社会基盤、
基本図の設計、検証、提示が求められていた。

 驚くべき悠長で無責任な事業化再開だ。技術の進化は早い。エネルギー政策の勇気ある
見直しが必要だ。

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見えすいた、ポーズで。  to be seen through a pose 

2010-05-06 19:38:49 | 日記
 (1)米国の見えすいたポーズで、外交を自分のステージに乗せてくる。ニューヨークで開催
の核拡散防止条約(NPT)会議で、米国が所有する核弾頭の数量を公表した。地域戦争限定
の戦術核、備蓄分も含めて数量5113発。唯一の核兵器使用国として、どのような軍事戦
略図なら、このような膨大無比な核兵器が必要で、「再び」使用することがあれば、米国も
含めて地球生命環境に長く将来にわたってどのような影響が出るのかを考えて保有している
のか、到底理解不能な数字。

 米ソ冷戦時代、一時代の中国脅威論の中で、無秩序計画として時流に流されて累積結果と
して5113発になっちゃったというところか。

 (2)核兵器にも「使用期限」はあるだろう。保有経費、安全機能管理技術も含めてあらためて
別の管理能力脅威論が見えてくる。そういう「負担」からの解放もあっての核兵器廃絶、総量
削減、廃棄外交の影が隠そうとしても映っている。

 その証拠に、核兵器は削減するけれど、同戦略核兵器削減条約では、はっきりと通常兵器
の機能の高度化を謳って、平和への脅威は差し引き変わりはない、見えすいた米国のポーズ。

 (3)米国は、核兵器の所存は軍事的最高機密として、「ある」とも「ない」とも「どこに」配置した
かも、現在どこにあるかもいっさい公開しないことによることを、抑止力としてきた。
 米国の核隠し政策は、日本の非核三原則(持たず、つくらず、持込ませず)に対しても、当然
のように原則が機能せず、フリーパス状態で、沖縄返還時にもさらに密約で核持込みを押し付
ける高慢さだった。

 (4)普天間基地移設先問題も、一方的に日本(政府)に都合のいい対応決着を押し付けて、
米国自らは「高みの見物」とは国際政治をリードしようという米国の理念の本質が露骨に見え
てくる。
 この問題がどうして政府と沖縄の国内問題だけで動いて、米国の協調をからめた国際問題
として目が向けられないのか不思議だ。

 これでは日米対等な協力関係は、見えすいたポーズ(to be seen through a pose)で、まる
で占領政策が続いているかのようだ。米国の本心は、核弾頭数量の公開と同じく、示せれる
のか。普天間基地移設問題での国内対立を、高みの見物の米国ではやりきれないものがあ
る。
 パラドックス(paradox)に、日本の政治、外交の未熟さでもある。

 ただし、気をつけなければいけないのは、こうした感情論の高まりが思わぬ国際関係インバ
ランスにつながることは、過去の歴史に学べる。
 普天間基地移設先問題でも、感情論の高まりだけでは問題の本質が置き去られて、いい方
向に解決しない。

 (5)新鮮で安い野菜が一番のおみやげだった今年のゴールデンウィークも終了。いっきに蒸し
暑さも出てきて、沖縄は梅雨。
 風を家の中に誘い込むのには、いい季節だ。家のなかにたっぷり乾いた風、空気を通して
インフラの構造呼吸をしておいて、梅雨の季節に備える。

 夏の参院選挙を待たずに5月、6月と日本の政治動向はまったく不透明で、ヨーロッパの
経済危機も波及しそうで、政治、経済、社会、もう一度、情報の透明性と発信性、正確性、
共有性の原点からリ・スタート(restart)が必要。

 6月にはワールドカップ・サッカー南アフリカ大会もある。このあたりで、空気、風が変わるか。

 

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