「夜凪ちゃんの中の夜凪ちゃん」が言うように、
ぶっちゃけ花子さんの独白が事実ならば、
夜凪ちゃんにはこの舞台を不意にする“権利”はあると思う
それにより誤解が生じたとしても、読者はその背景を分かっているから問題は無かった(と、思う)。
ある意味、
怒りのコントロールというのは、
「なんで?」という想いのコントロールでもあるわけで、
実際にそういう感情を上手く乗りこなせるか・・・と言ったら難しい
その怒りの感情に任せて全部をめちゃくちゃにしてやる事だっていつだって可能なんです
でも、
いつかは大人にならなくちゃいけない
「そういう感情」を自分の糧にして歩まなければいけない
夜凪ちゃんにとって、
そのタイミングが今・・・というか、
初期に飛び蹴りかました彼女は今はもういなくて、
すっかりと立派な“役者”になってしまった。。という、
夜凪景という人間の成長を見事に描いてみせた秀逸な話数に仕上がってたと思う
怒りに任せて全部を不意にすることは、ある意味「簡単」。
でも、そういう悲しみの感情を乗り越えて何かを手にすることはそんなものよりもよっぽど「難関」。
だからこそ、遣り甲斐もあるし、もう一つ上の自分に進むチャンスだとも言えるんですよね
陸は、
有り体な弱さの芝居を避けて、
敢えて羅刹女の悲しみを“逆に”観客にアピールする事を選んだ
それは有り体な芝居よりもよっぽど、意義深い選択だったとも思う
それと同じように、
夜凪ちゃんもまた無意識に、
怒りでこの舞台を台無しにするという有り体な選択よりも、
この舞台の中からも「何か」を得ようとする、という・・・面白い方を選んだ、ただそれだけなんでしょう
正直な話、
悲しみ=怒り、という
そういう感情の根源・・・を
思い切り漫画という表現の中で描いてくれた、、、というだけでも
個人的には凄く感謝をしていますし、読んでいて腑に落ちる感触があったんですよね
生きるヒントを常にくれる漫画っていうか・・・だからこそ、
必ず最後には誰もが何かを得て終わってくれる、
そういう、
読んでてカタルシスを受けられるエンディングになると信じています
自分だって、かつての怒り、、、すら、エネルギーに変えて豊かさを得たいと本気で思っています
そう読者に影響を与えてくれるだけの何かがこの漫画にはあると、自分は感じていますね。