きみのゆめがかなうのは―
そもそも人は何故その人にとっての「夢」や「希望」、「豊かさ」や「報われる」事に邁進する際に辛さや苦しみを感じるかと言うと
自分が大好きな歌の中にもありますが“きっと自分は大丈夫、絶対に上手く行く”という気持ちと“やっぱりダメだ~”と思う諦めの気持ちが同居しているから
つまりは「期待」と「達観」という二律背反の想いに常に苛まれているからこそどっちに振り切ればいいのか分からなくて苦しむんだと思います
期待さえなければ素直に諦められるし、
達観さえなければ元気に進み続ける事が出来る
でも、人の脳は(人にもよりますが)そんな便利には出来てはいない
その狭まに身を置き続けて来たからこそずかちゃんはあそこまで悩み苦しんだんだろうし
他の4人に比べて結果が出ない中で露骨に後ろめたさ、自身をアニメの声優と定義づけられる事にも抵抗を感じていたんだと思います
ずかちゃんは自信がないように見えてたかもしれませんが先週の深夜の愚痴が表現していたようにきっと「自分だって・・・」という気持ちだってあった(はず)
期待してなければ悲しみなんて生まれませんから
そんなずかちゃんをずっと傍で、それこそ高校の時から彼女の夢に触れて来たみゃーもりだからこそ
堪え切れずに、ずかちゃんに対する想いが溢れてしまって最後にむせび泣いてしまったのだと思います
正直な話、本作でここまでキャラが嗚咽を漏らすかのように泣いたのは初めてだったと思うので観ていて衝撃に近い感情がありましたが
ただそれもここまで、最終話間際まで、執拗に引っ張って来たからこそその演出にも納得というか、自分は
ずかちゃんの失敗も苦しみも葛藤も自虐も、嫉妬という醜い感情まで触れて来てますから
正(まさ)しく完全に、自然にみゃーもりに同調出来た感覚があって
それが素晴らしく感じられたのと
そんなみゃーもりの姿に“嘘くささ”が全く無かった事が今回一番に最高と言いたいポイントだったんじゃないか、と思います。
このラストシーンの間、自分はずっと涙目で観ていて、繰り返し録画分を観ている時でさえ涙目になっちゃってたのが事実ですが
それはご多分にずかちゃん自身は泣いてなくて、むしろようやく手にする事が出来た、
端役とは言えそれでも確かにずかちゃんの“頑張り”が掴んだ“結果”だから
それに安堵するような表情中心だったのが逆に「生っぽくて」良くて
更に泣くのは本人でなくずっと彼女のそばで応援して来た、見守って来たみゃーもりというところが更に生々しくて
まるで一つのドラマを観ているような感覚になってしまって余計に感情移入してしまい泣きそうになってしまったんだと思います
こんな演出は本当に「SHIROBAKO」ならではだな、とそれにもまた衝撃を受けたし感銘も受けてしまいました。
それは今までの、本心から仲間を想って、本心から仲間の成功を喜べるみゃーもりの人間性がきちんと描写されて来ていた事も大きいです
このみんなで支え合って、誰かが辛い時にはみんなで集まって励まし合って、共に歩んで来た間柄だからこそ説得力があるし
それもまた確かな“積み重ね”による賜物なんだと感じてますね。
初期から執拗に上山高校アニメーション同好会の会合の様子を定期的に挟んで来ていたからこそ生まれた感動でもある・・・と思います
要するに、集約が生んだ「泣きそうになってしまった」気持ちであり
一歩一歩、段階を飛ばさず丁寧に描いて来た誠実な作風の集大成とも呼べるような最高のラストシーンだったんじゃないかと
今は、ただ単純に「泣きそうになったよ」と書くだけじゃ説得力がないですから理屈で色々と書いてますけど
リアルタイムで観た時は、そして繰り返し観た時も本当は理屈でない類の純粋な感動がありました
今までのずかちゃんの苦労を知ってたからこそ素直にむせび泣くみゃーもりの姿を観てただただ純粋に心動かされて
他人を想って流す涙はこんなにも美しいんだ―
そんな風にまっさらな感動に滅多に味わう事が出来ない類のカタルシスを受けていました
声優さんの迫真の演技に、
前半がけれん味たっぷりな演出だったからこそ余計にこのラストシーンの「生っぽさ」が対照的に光ってた感覚もあり
本当に「SHIROBAKO」って素敵なアニメだな、(自分にとって)最高のアニメだな。という清々しい充足感を受け取れたのが偽りない気持ち・・・ですね
またみゃーもりがむせび泣く時のカットもすっげえ生々しくて大好きでした
「堪え切れずに泣いちゃった感」が上手い具合に表現されていて
その辺のこだわりもまた感じて欲しい話数であります
それくらいに掛け値なく素晴らしいって思えた
「これが愛だ」って心から思えた
“美しい瞬間を観れて本心から幸せ”だとはっきりと断言出来るくらいには本作でしか味わえないものを見せてもらったな、と感じています
間違いなく断言出来ます。アニメって素晴らしい。アニメって素敵だなって。
誰が何と言おうと、日本のアニメって凄いんだよって
こんな繊細な心情を表現出来るんだよって
今俺はそう大声で言いたい
はっきりと書きたい
全力で叫びたい
別に誰にどう思われようと何一つ構わない
だってそれが今の俺の嘘偽りない感情なんだから。それを形に残したかったのです。そして、これからも言い続けたいのです。
あの時のずかちゃんの表情と、みゃーもりの涙は、ずっとずっと俺の心に残り続けるんだよ・・・ってね。
ただ、それだけ。
それだけです。
「良かったね」なんて言葉は、セリフは一つもなかったけれど
セリフにせずともそんな気持ちを表現出来る技量に感服してしまいました。
その粋な演出にも個人的に大手を振って「大好きです。」と書きたいです。ありがとうございました。
一方で、りーちゃんはりーちゃんで自分の考えた脚本が「一行だけ使われた」そうです
この「一行だけ」ってところもポイント高いですよね(笑
客観的に考えれば「たった一行」であり
あくまで舞茸さんの手柄、
でも、それでも自分の考えたアイディアが三女のアニメに少しでも活きているだけでも嬉しい
普通のアニメならば(あ、こういう言い方はちょっと卑怯ですけども)もっと目に見える成功をさせると思うんですが
このアニメはそうじゃなくて、進み続ける事だったり一歩一歩段階を飛ばさず自分の道を行く事こそが次の成長に繋がっていく
だから、取り敢えずは目の前のちょっとした成果こそが実は重要だし何事も積み重ねだしコツコツとやる事こそ一番の近道・・・って事を説いてるようにも思えます
だからこそ後々の成功が素直に尊く思えるんじゃないかな・・・と思いつつ
りーちゃんも大好きなのでりーちゃんも報われて良かった。っていうか上山高校アニメーション同好会の面々は全員大好きですし
武蔵ニのスタッフも大抵大好きですけどね!
木下監督も頑張ったし、
正直野亀ってどんだけ偉そうな奴なんだ、顔見たいわって内心ずっと思ってたけど(笑
実は過去にアニメスタッフにいいように改変された過去があったからこそ、慎重になり過ぎていただけだったんですね
今思うとキャラデザに関しても過去の古傷が疼いてたんだろうなあ・・・って感じますけど
そんな過去があったからこそ今度は本当に原作標準の自分のアニメが観たかったんでしょうな
ただ、パイプ役があまりに杜撰過ぎただけで(笑
それもまた実際にあったりするんでしょうけどね・・・
でも、そうじゃなくてお互いの意志の確認だったり気持ちを擦り合わせる事が重要なんだって
今の原作付きアニメ全般に対するメッセージのようにも感じられたけれん味溢れる前半部分もまた良かったと思います
ところで、アニメきっかけで原作に新設定や新キャラが生まれる事はあります
本作のスタッフの一部が参加していた自分が大好きなアニメ「妹ちょ。」が正にそうです
両親の細かい設定を訊かれてそれを元に松沢まりさんが新しく考えて、
鳥井の妹である萌亜も元々アニメ化前の原作から出ていたキャラクターではありますが、
実は鳥井の妹を出したい。とスタッフに言われて松沢さん自ら考え出したキャラクターだったそう
つまり、アニメがきっかけで原作に良い影響を与えるっつーのは普通にある話だという事ですね
そういう意味じゃ演出こそけれん味溢れてましたがそういう着地点は結構リアルなお話だったかと思います。
別に、誰も彼もとんでもないハイパーな幸せを得た訳では決してない。
でも、こうやってちょっとずつ進んでる感覚を誰も彼も得ているのがとっても「SHIROBAKO」らしくて素敵な話数だったな、と
有り体に書けば単純に「傑作回」でしたね。本当に本当に素晴らしかったです。スタッフ陣に感謝。あとこの感想をここまで読んでくれた方にも感謝。
あと、「えくそだすっ」の感想も書いてるので良かったら是非!
ずかちゃんの演じた三女のセリフ、
「ありがとね、アリア 私を助けてくれて」
「今私、少しだけ夢に近づきました」
ってセリフがまんまずかちゃん自身の心境に思えて不意に泣きそうになったりもしました
それも先週があったからこそなんでしょうね・・・
本作はお仕事アニメであると同時に、上山高校アニメーション同好会の物語でもあったんでしょうね。
それを強く実感出来たのもまたここまでずっとこの作品に感情移入して来た身としてとっても嬉しかった。
紛う事なき最高のアニメです。その感覚だけは、今もこれからも絶対に譲りはしない。
この会話の果てに光が差し込んで来るのも王道でいい演出ですよね。
そもそも人は何故その人にとっての「夢」や「希望」、「豊かさ」や「報われる」事に邁進する際に辛さや苦しみを感じるかと言うと
自分が大好きな歌の中にもありますが“きっと自分は大丈夫、絶対に上手く行く”という気持ちと“やっぱりダメだ~”と思う諦めの気持ちが同居しているから
つまりは「期待」と「達観」という二律背反の想いに常に苛まれているからこそどっちに振り切ればいいのか分からなくて苦しむんだと思います
期待さえなければ素直に諦められるし、
達観さえなければ元気に進み続ける事が出来る
でも、人の脳は(人にもよりますが)そんな便利には出来てはいない
その狭まに身を置き続けて来たからこそずかちゃんはあそこまで悩み苦しんだんだろうし
他の4人に比べて結果が出ない中で露骨に後ろめたさ、自身をアニメの声優と定義づけられる事にも抵抗を感じていたんだと思います
ずかちゃんは自信がないように見えてたかもしれませんが先週の深夜の愚痴が表現していたようにきっと「自分だって・・・」という気持ちだってあった(はず)
期待してなければ悲しみなんて生まれませんから
そんなずかちゃんをずっと傍で、それこそ高校の時から彼女の夢に触れて来たみゃーもりだからこそ
堪え切れずに、ずかちゃんに対する想いが溢れてしまって最後にむせび泣いてしまったのだと思います
正直な話、本作でここまでキャラが嗚咽を漏らすかのように泣いたのは初めてだったと思うので観ていて衝撃に近い感情がありましたが
ただそれもここまで、最終話間際まで、執拗に引っ張って来たからこそその演出にも納得というか、自分は
ずかちゃんの失敗も苦しみも葛藤も自虐も、嫉妬という醜い感情まで触れて来てますから
正(まさ)しく完全に、自然にみゃーもりに同調出来た感覚があって
それが素晴らしく感じられたのと
そんなみゃーもりの姿に“嘘くささ”が全く無かった事が今回一番に最高と言いたいポイントだったんじゃないか、と思います。
このラストシーンの間、自分はずっと涙目で観ていて、繰り返し録画分を観ている時でさえ涙目になっちゃってたのが事実ですが
それはご多分にずかちゃん自身は泣いてなくて、むしろようやく手にする事が出来た、
端役とは言えそれでも確かにずかちゃんの“頑張り”が掴んだ“結果”だから
それに安堵するような表情中心だったのが逆に「生っぽくて」良くて
更に泣くのは本人でなくずっと彼女のそばで応援して来た、見守って来たみゃーもりというところが更に生々しくて
まるで一つのドラマを観ているような感覚になってしまって余計に感情移入してしまい泣きそうになってしまったんだと思います
こんな演出は本当に「SHIROBAKO」ならではだな、とそれにもまた衝撃を受けたし感銘も受けてしまいました。
それは今までの、本心から仲間を想って、本心から仲間の成功を喜べるみゃーもりの人間性がきちんと描写されて来ていた事も大きいです
このみんなで支え合って、誰かが辛い時にはみんなで集まって励まし合って、共に歩んで来た間柄だからこそ説得力があるし
それもまた確かな“積み重ね”による賜物なんだと感じてますね。
初期から執拗に上山高校アニメーション同好会の会合の様子を定期的に挟んで来ていたからこそ生まれた感動でもある・・・と思います
要するに、集約が生んだ「泣きそうになってしまった」気持ちであり
一歩一歩、段階を飛ばさず丁寧に描いて来た誠実な作風の集大成とも呼べるような最高のラストシーンだったんじゃないかと
今は、ただ単純に「泣きそうになったよ」と書くだけじゃ説得力がないですから理屈で色々と書いてますけど
リアルタイムで観た時は、そして繰り返し観た時も本当は理屈でない類の純粋な感動がありました
今までのずかちゃんの苦労を知ってたからこそ素直にむせび泣くみゃーもりの姿を観てただただ純粋に心動かされて
他人を想って流す涙はこんなにも美しいんだ―
そんな風にまっさらな感動に滅多に味わう事が出来ない類のカタルシスを受けていました
声優さんの迫真の演技に、
前半がけれん味たっぷりな演出だったからこそ余計にこのラストシーンの「生っぽさ」が対照的に光ってた感覚もあり
本当に「SHIROBAKO」って素敵なアニメだな、(自分にとって)最高のアニメだな。という清々しい充足感を受け取れたのが偽りない気持ち・・・ですね
またみゃーもりがむせび泣く時のカットもすっげえ生々しくて大好きでした
「堪え切れずに泣いちゃった感」が上手い具合に表現されていて
その辺のこだわりもまた感じて欲しい話数であります
それくらいに掛け値なく素晴らしいって思えた
「これが愛だ」って心から思えた
“美しい瞬間を観れて本心から幸せ”だとはっきりと断言出来るくらいには本作でしか味わえないものを見せてもらったな、と感じています
間違いなく断言出来ます。アニメって素晴らしい。アニメって素敵だなって。
誰が何と言おうと、日本のアニメって凄いんだよって
こんな繊細な心情を表現出来るんだよって
今俺はそう大声で言いたい
はっきりと書きたい
全力で叫びたい
別に誰にどう思われようと何一つ構わない
だってそれが今の俺の嘘偽りない感情なんだから。それを形に残したかったのです。そして、これからも言い続けたいのです。
あの時のずかちゃんの表情と、みゃーもりの涙は、ずっとずっと俺の心に残り続けるんだよ・・・ってね。
ただ、それだけ。
それだけです。
「良かったね」なんて言葉は、セリフは一つもなかったけれど
セリフにせずともそんな気持ちを表現出来る技量に感服してしまいました。
その粋な演出にも個人的に大手を振って「大好きです。」と書きたいです。ありがとうございました。
一方で、りーちゃんはりーちゃんで自分の考えた脚本が「一行だけ使われた」そうです
この「一行だけ」ってところもポイント高いですよね(笑
客観的に考えれば「たった一行」であり
あくまで舞茸さんの手柄、
でも、それでも自分の考えたアイディアが三女のアニメに少しでも活きているだけでも嬉しい
普通のアニメならば(あ、こういう言い方はちょっと卑怯ですけども)もっと目に見える成功をさせると思うんですが
このアニメはそうじゃなくて、進み続ける事だったり一歩一歩段階を飛ばさず自分の道を行く事こそが次の成長に繋がっていく
だから、取り敢えずは目の前のちょっとした成果こそが実は重要だし何事も積み重ねだしコツコツとやる事こそ一番の近道・・・って事を説いてるようにも思えます
だからこそ後々の成功が素直に尊く思えるんじゃないかな・・・と思いつつ
りーちゃんも大好きなのでりーちゃんも報われて良かった。っていうか上山高校アニメーション同好会の面々は全員大好きですし
武蔵ニのスタッフも大抵大好きですけどね!
木下監督も頑張ったし、
正直野亀ってどんだけ偉そうな奴なんだ、顔見たいわって内心ずっと思ってたけど(笑
実は過去にアニメスタッフにいいように改変された過去があったからこそ、慎重になり過ぎていただけだったんですね
今思うとキャラデザに関しても過去の古傷が疼いてたんだろうなあ・・・って感じますけど
そんな過去があったからこそ今度は本当に原作標準の自分のアニメが観たかったんでしょうな
ただ、パイプ役があまりに杜撰過ぎただけで(笑
それもまた実際にあったりするんでしょうけどね・・・
でも、そうじゃなくてお互いの意志の確認だったり気持ちを擦り合わせる事が重要なんだって
今の原作付きアニメ全般に対するメッセージのようにも感じられたけれん味溢れる前半部分もまた良かったと思います
ところで、アニメきっかけで原作に新設定や新キャラが生まれる事はあります
本作のスタッフの一部が参加していた自分が大好きなアニメ「妹ちょ。」が正にそうです
両親の細かい設定を訊かれてそれを元に松沢まりさんが新しく考えて、
鳥井の妹である萌亜も元々アニメ化前の原作から出ていたキャラクターではありますが、
実は鳥井の妹を出したい。とスタッフに言われて松沢さん自ら考え出したキャラクターだったそう
つまり、アニメがきっかけで原作に良い影響を与えるっつーのは普通にある話だという事ですね
そういう意味じゃ演出こそけれん味溢れてましたがそういう着地点は結構リアルなお話だったかと思います。
別に、誰も彼もとんでもないハイパーな幸せを得た訳では決してない。
でも、こうやってちょっとずつ進んでる感覚を誰も彼も得ているのがとっても「SHIROBAKO」らしくて素敵な話数だったな、と
有り体に書けば単純に「傑作回」でしたね。本当に本当に素晴らしかったです。スタッフ陣に感謝。あとこの感想をここまで読んでくれた方にも感謝。
あと、「えくそだすっ」の感想も書いてるので良かったら是非!
ずかちゃんの演じた三女のセリフ、
「ありがとね、アリア 私を助けてくれて」
「今私、少しだけ夢に近づきました」
ってセリフがまんまずかちゃん自身の心境に思えて不意に泣きそうになったりもしました
それも先週があったからこそなんでしょうね・・・
本作はお仕事アニメであると同時に、上山高校アニメーション同好会の物語でもあったんでしょうね。
それを強く実感出来たのもまたここまでずっとこの作品に感情移入して来た身としてとっても嬉しかった。
紛う事なき最高のアニメです。その感覚だけは、今もこれからも絶対に譲りはしない。
この会話の果てに光が差し込んで来るのも王道でいい演出ですよね。