妻と二人で暮らしていると、時には将来に不安なことばかりが考えられて悩むことがあるが、解決方法は自らを戒めてその悩みを忘れることだといつも同じ結論で終わる
妻はあまり物事を気にしない 「プラス志向型」 だったので 「マイナス志向型」 の私は多いに助けられていたが、病気と言う大風が吹いたので、私は凧糸が緩(んだようになってノンコントロールになってしまった
「こんなはずではなかった」 と、思いがけない展開になった自分の人生を悔やんでもどうにもならないが 「思い通りにならないのが人生」 と、達観して生きるしかないと観念するようになった
妻が病気してからもうすぐ10年になるが、介護と言う仕事は増えたが自分自身はあまり変化していないと思っている
他人からは年齢の割には 「若いですね」 とよく言われるのは有難いことだが、私の容姿は妻が病気になる前とあまり変わっていないらしい
お世辞でも嬉しい言葉だが 「介護疲れで老ける暇もないのです」 とお礼の言葉を返すが、このままでまた歳を増やせるようにと願うことにしよう
でも人間の体は微妙で繊細な生き物だから、突然何が起きてもおかしく無いから、注意だけは怠らないように心掛けていた
今年の4月頃から、徐々に体が重くなってしまった。体がだるいと言うほどでも無いが、何となくいつもと違って動作もやや緩慢になってしまった
”歳のせいだろうか?” と、経年変化で体中のグリースが無くなってしまったのか? と一抹の不安も持った
それまでは長い時間を歩いても何の疲れも感じなかったが、30分もすると歩くのが嫌になる感じで ”これは困った” と、体が変調したのかと心配になり、通院している医院で検査をしたが、幸いにも異常無しとのことでひとまずは安心した
5月になるとやや体の重さも軽くなり始め、6月になると体の動きも元に戻って、歩くのも苦にならなくなった
この症状は俗に言う 「五月病」 なのかと勝手に当てはめたが 「健康であることの喜びと有難さ」 を改めて感じた二か月間だった
妻が元気なら相談するのだが、それが出来ない事がやはり寂しい気がしたが、いつも傍にいるのに頼りにできない苛立ちからかつての 「プラス志向型」 の妻が元気だった頃にまた暫しタイムスリップしてしまった
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