日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

雨、激しく降る

2015年07月16日 15時47分47秒 | 日暮らし通信


昨日は猛暑日だったのに、今日は一転して雨が降っている

気温も下がったので、少しは体も楽になったが
今度は降り過ぎる雨のために、その供えも必要になってきた

いつものように8時半過ぎに妻を迎えにDSの車がやって来たが
丁度激しい雨が降っていたので妻を乗せるために
運転手のヘルパーさんも大変なほどの雨の降り方だった

DSの車が見えなくなると、何故か雨が一時? 止んだ

私は今日は散歩は止めようと思っていたのだが
雨が止んだので考えがコロッと変わってしまった

雨靴も履かづに傘だけを持ってすぐに家を出たが
この雨で空堀川がどのように水を流しているのか? に期待していた

空堀川の遊歩道に出た時
都営住宅の前庭の一画には赤い芙蓉が咲いていた

花びらに雨粒を重たげに留めていたが
ひと際、目立つこの花は雨模様の中で一段と鮮やかだった




さて、期待の空堀川の流れは?

短時間だがもうだいぶ雨量が心配になるほどの降り方だったので
その流れはあまり見たこともないほどの濁流だった

左岸から大沼田橋を見ると流れる幅もかなり広くて
流れの勢いも激しくて音を立てながら流れていた




ところが、突然雨が激しく降ってきた

そのまま歩き続けていたが、ますます雨が降ってきた
もう少し歩きたかったのだが、ズボンの裾も濡れて重くなってきた

この降り方ではもう無理だと帰ることにしたが
それにしても凄い降り方だった






帰り際、もう一回赤い芙蓉を見たくなった

激しい雨の中でもその鮮やかさが増したようだった




    写真説明: 赤い芙蓉と川の流れ
    撮影場所: 空堀川沿いにて




寝過ごしました

2015年07月15日 20時18分14秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

美味しそう!!

空堀川沿いの民家にて
(H270715 撮影)



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私たちの生活は何の変哲も無い毎日だが、時には ”どうして?” と(いぶか)る出来事も起きる

朝置き時計を見て4時45分に眼が醒めた。熱帯夜が続いたが妻も良く寝たので ”さあ~て、起きるか” と妻を促して一日が始まった

 ”今朝も快晴、でも今日は何となく明るいなあ~” とたっぷりと降り注ぐ外の明るい空気がもう暑そうだ

起きてからは妻の着る物を選ぶと、妻は自分でそれを着る。もうこんな始まりが何年続いたことであろうか?

暫くして一階に降りると、朝のやるべき事がいろいろと待っている

だがDKに置いてある電波時計のデジタル表示を見てびっくりした

いつもなら5時半前なのに、何と電波時計の指示は6時半を過ぎている。 ”そんな馬鹿な?” と私はキツネに(つま)まれたように驚いた

それが正解な時間だったら私たちが起きたのは6時頃だ。そんなに遅く起きたことはあまりない

私は急いで二階に戻り、アナログ・置き時計を見てまたびっくり、針は5時15分を指している。おそらくは電池切れで指示不良になったのだろう

ああ、この置き時計を信じてゆっくり寝過ごしてしまった。こんなことは始めてだった

そう言えば、朝方 「今朝はずいぶんと明るいなあ~」 と、感じながらまた寝てしまったが、多分その時が日の出を過ぎた5時頃であったのかもしれない

1時間ほどの起床遅れのお陰で忙しい朝になったが、一段落したのは8時半前。もう庭の寒暖計は30度を越えているので、暑くなりそうだった

電池切れによる思わぬアナログ時計の指示不良、近くには携帯電話もあったのに? と、知恵の働きが鈍くなった自分を反省するばかりだった






大相撲・名古屋場所始まる

2015年07月14日 14時13分59秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

アオサギ

所沢航空記念公園
(H260714 撮影)



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12日から 「大相撲・名古屋場所」 が始まった

妻も私も熱狂的な大相撲ファンではないが、たっぷりある自由時間を過ごすためにも有難く、毎日NHKの実況テレビ放送を見続けている

妻が好きな白鵬は二連勝だが、絶頂期に比べると取り組む時間も長くなって、少し(かげ)りが出てきたのではなかろうか?

多くの力士がいても一度も優勝できないのに、白鵬はもう34度も優勝しているのはやはり抜きん出た力士であることに間違いはない

だが日本人力士の横綱誕生を待ちわびる私にとっては、白鵬がモンゴル人であることに何か拘りを感じてしまう

いつもこのブログで大相撲関連の投稿をしているが 「大相撲の面白さは大関陣の活躍次第」 だと、私の持論を述べているが、今場所もあまり大関陣の活躍を期待できそうにもない

私は勿論日本人大関の活躍を熱望して止まないが、まだ二日目なのに琴奨菊、豪栄道は連敗、昨日稀勢の里も栃煌山に送り出され、早くも土がついてしまった

それに比べて新大関の照ノ富士の姿を見ていると全身に覇気(はき)(みなぎ)っていて、土俵に上がるとすでに相手を圧倒しているように錯覚するほどの意気込みと力強さを感じる

私はこの照ノ富士が次期横綱へ最短距離にいるように思うが、この力士もモンゴル人であることは残念なことである

大相撲の醍醐味は千秋楽に優勝が決まるように大関陣が競い合ってその圏内にあることだが、ぜひ今場所は私の願いが叶うように日本人大関の奮闘を期待したい

まだあと13日もある。琴奨菊、豪栄道、そして稀勢の里はもう星を落とさない覚悟で戦うように ”死に物狂いで頑張れ~” と、声援を送ります

それにしてもどうしてこのように暑いのだろうか?

14時前、庭に出たら寒暖計は37度を指している。午前中の日課である妻との散歩、暑さのため今日は止めました







梅雨明けはいつでしょうか?

2015年07月13日 15時55分33秒 | 所沢航空記念公園


今日、東京地方は猛暑日になるかも? との予報だった

あまり気温が上がると
いつも妻と散歩している空堀川沿いは少し心配なことがある

それは川沿いでは日陰が無いことだった

いつもは妻には日傘を持つようにしているが
あまり傘持ちは好きではないらしい

そこで今日は所沢航空記念公園へ行って日陰を歩くことにした

9時過ぎ、公園の駐車場に着くと
幸いにも木陰で涼しい場所が空いていたので助かった

三ヶ月前までは日当たりを選んで歩いていたのに
今は日陰を選んで歩く、日本の四季の移り変わりの中で
暮らせることは有難いことでもある

歩きながら、もう30度を越えたのだろう
妻の額には汗が滲んでいるので
時々立ち止まってタオルで汗を拭いたが
持参した氷たっぷりの麦茶は冷たく美味しかった

園内では妻が好きなレンゲの花も咲き出した

今日見た風景をご紹介します














久しぶりに妻と園内を歩いた

でもまだ梅雨も空けていないのにこの暑さ
夏本番での暑さは如何ほどになるのだろうか?

今週半ばには台風11号が本土に接近とか?
何事も無く通り過ぎることを願うことにしましょう

16時前、庭の寒暖計は? まだ35度を指している
 「今日も暑かった」 が実感だった


    写真説明: 今日見た風景
    撮影場所: 所沢航空記念公園 (H270713 撮影)


日々雑感

2015年07月12日 14時58分04秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

地域の消防訓練で
待機中の消防車

近くの道路にて
(H270712 撮影)



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妻と二人で暮らしていると、時には将来に不安なことばかりが考えられて悩むことがあるが、解決方法は自らを戒めてその悩みを忘れることだといつも同じ結論で終わる

妻はあまり物事を気にしない 「プラス志向型」 だったので 「マイナス志向型」 の私は多いに助けられていたが、病気と言う大風が吹いたので、私は凧糸(たこいと)(ゆる)んだようになってノンコントロールになってしまった

「こんなはずではなかった」 と、思いがけない展開になった自分の人生を悔やんでもどうにもならないが 「思い通りにならないのが人生」 と、達観して生きるしかないと観念するようになった

妻が病気してからもうすぐ10年になるが、介護と言う仕事は増えたが自分自身はあまり変化していないと思っている

他人からは年齢の割には 「若いですね」 とよく言われるのは有難いことだが、私の容姿は妻が病気になる前とあまり変わっていないらしい

お世辞でも嬉しい言葉だが 「介護疲れで老ける暇もないのです」 とお礼の言葉を返すが、このままでまた歳を増やせるようにと願うことにしよう

でも人間の体は微妙で繊細な生き物だから、突然何が起きてもおかしく無いから、注意だけは怠らないように心掛けていた

今年の4月頃から、徐々に体が重くなってしまった。体がだるいと言うほどでも無いが、何となくいつもと違って動作もやや緩慢になってしまった

 ”歳のせいだろうか?” と、経年変化で体中のグリースが無くなってしまったのか? と一抹の不安も持った

それまでは長い時間を歩いても何の疲れも感じなかったが、30分もすると歩くのが嫌になる感じで ”これは困った” と、体が変調したのかと心配になり、通院している医院で検査をしたが、幸いにも異常無しとのことでひとまずは安心した

5月になるとやや体の重さも軽くなり始め、6月になると体の動きも元に戻って、歩くのも苦にならなくなった

この症状は俗に言う 「五月病」 なのかと勝手に当てはめたが 「健康であることの喜びと有難さ」 を改めて感じた二か月間だった

妻が元気なら相談するのだが、それが出来ない事がやはり寂しい気がしたが、いつも傍にいるのに頼りにできない苛立ちからかつての 「プラス志向型」 の妻が元気だった頃にまた暫しタイムスリップしてしまった






もっと厳罰を

2015年07月11日 15時11分36秒 | ちょっと一言

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

サルビア

所沢航空記念公園にて
(H270702 撮影)



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北海道小樽市で昨年7月、海水浴帰りの女性三人が死亡して、一人が重傷を負った飲酒ひき逃げ事件の裁判で、裁判長は 「よそ見のレベルをはるかに越えた危険な運転で、酒の影響としか考えられないと」 と判決理由を述べ、被告に求刑通りに懲役22年の判決が言い渡された

この判決を被害者のご遺族はどのような感情の中で聞いたのであろうか?

将来に大きな夢を持っていたであろう若い女性が三人も無謀な飲酒運転であっと言う間に命を奪われてしまっとことを考えれば、被告は死をもって償うべきではなかろうか?

何故、飲酒運転による死亡事故での量刑がこのように低いのであろうか? 三人殺して、何故死刑にならないのだろうか?

しかも、地検は当初、過失運転致死罪で起訴したが、その後遺族の署名活動を受けて補充捜査を行い、危険運転致死傷などに訴因変更したことも何か違和感を感じてしまう

他の殺人事件でも一人殺害では殆どの量刑が無期懲役のようで、死刑判決の例は少ないのではなかろうか?

世の中には 「死刑」 そのものの存続に異を唱える意見もあるようだが、それは被害者の遺族にとってはやり切れない異論に聞こえるのは間違いないことであろう

人の命を奪ったならば、それ相応である 「死刑」 の罪を受けるのが人間としての常道でもある

その他、飲酒運転が原因での死亡事故のニュースが後を絶たないのは悲しむべきことでもあるが、 「飲んだら乗らない」 との精神論ではもう飲酒運転は減らない

物理的に車が飲酒したドライバーを拒否するシステム、例えばドライバーの呼吸気からのアルコール量感知を義務化して、異常であればエンジン始動ができない、などの運転拒否シーケンスなどは今のIT技術からすれば簡単なはずだ

どのように法律上の罪を重くしても飲酒運転による死亡事故は減らない

その悲劇が起こらないように、もっと真剣に政治家の皆さんも 「撲滅・飲酒運転」 の知恵を絞って考え、それと 「飲酒運転による死亡事故」 の加害者への量刑をもっと厳罰にすべきではなかろうか






空堀川異聞

2015年07月10日 16時51分27秒 | 空堀川散策
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ここに家が?

曙橋 (空堀川) にて
(H270710 撮影)



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7月になってから始めて、お日様の出番となった

梅雨明けなら有難いのだが、まだ気象予報士の皆さんは 「梅雨明けはまだです」 との予報です

10時過ぎいつものように、妻と買い物してから空堀川沿いの左岸を歩いて帰った

曙橋の手前右側の民家ではおばあちゃんが庭に植えたインゲンを収穫中だった

目線があって挨拶をすると、少し世間話になって時を過ごした

 「もう、ここに何年くらい住んでいるんですか?」 と、私

 「そうだねえ~、もう何年かなあ~?」 と即答なしだったが、 「昔はね、あそこに住んでいたの」 と写真の雑草が茂る場所を指差した

私はすぐに理解できず 「あそこは川の中ですが?」 と(いぶか)しげに聞いた

すると 「昔はね、空堀川は1メートルくらいの川幅しかなかったが、あの場所に二軒家があったの」 と説明してくれた

それは空堀川の護岸工事前の状態だったらしく、その工事によって現在の位置に越してきたらしい

今から想うと想像もできない空堀川だが、かつては曲がりくねった流れは雨量が増えればすぐに増水して住民を苦しめたこともあったようだ

空堀川はこの護岸工事によってほぼ直線的になり、川幅も大幅に広くなって住民の安心度も高まったが、かつてを知る人が徐々に減ってしまうのも寂しいことである

このおばあちゃんの話を聞いていたら、私もかつて市内の実家にいた頃、前川(まえかわ)が氾濫して畑が一転して湖のようになって水浸しになった光景を想い出した

歳を重ねた人たちは、必ず多くの歴史的な変遷を経験したはずだ。どの人の話も一冊の本になるような想い出があるのだろうが、多くは記録されることも無く消えてしまうのは残念なような気がする






学校にSOS届かず

2015年07月09日 15時43分33秒 | 日暮らし通信

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

西武池袋線・小手指行き

秋津駅近くにて
(H270709 撮影)



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今日朝刊の社会面には 「学校にSOS届かず」 との三段抜きの見出しで岩手県矢巾町で5日、中学二年の男子生徒が死亡した関連記事が載っていた

この記事を見て、生徒と教師の関係とはこのようなものかと唖然とした

生徒がクラス担任と交わしていた 「生活記録ノート」 には別の生徒からの暴力や体調不良を繰り返し訴える書き込みがあったが校内ではその情報が共有されていないのは何故だったのだろうか?

生徒の書き込みに対してクラス担任のコメントは、生徒が悩む世界を理解せず、全く的外れの内容だったのも驚きであった

生徒は 「生活記録ノート」 に書くことによってSOSを発信したが、担任のアンテナは受信周波数が生徒とは違っていたようだから、その苦悩を確かめることもなく、生徒を死に追いやってしまった

最も身近にいる相談相手であるはずのクラス担任が ”味方でない” と、感じたこの生徒の悲しみがこの記事でも伝わってくるようだ

このような事件が起きると必ず ”大人は何も出来なかったのか?” との反省が議論されるが、もうその言葉も聞き飽きてしまった

私も中学二年生の時、激しい(いじ)めを毎日受けたが、私はただひたすらその時間が過ぎることを願っていた

ただ今は苛めを受けるとやがて 「死」 を考えるようだが、当時の私は 「死」 を考えたことは一度も無かった

学校から帰れば母子家庭だが温かみもあって、母もいる。それでその日の苛めを忘れることができた。当時はまだそんな時代だった

だがその苛めの影響は私の人生の中で大きな影を落としたことは確かだった

今でもその苛めた同級生三人を許す気はない。貧しかった私と違って、親が金物屋、魚屋、そして八百屋の自営業だった彼らは金持ちの息子として、意気がって私たちを見下していた

その苛めも時と共に自然消滅したことは有難かったが、私にとっては忘れられない出来事だった

亡くなった中学二年の男子生徒の心情は苦しかったに違いない

何故、その苦しみを少しでも和らげることができなかったのであろうか?

本当に 「大人は何も出来なかったのか?」 と、クラス担任も校長もそして学校全体も事実を真摯に受け止めて再発防止に努めるべきである

亡くなった男子生徒さんのご冥福をお祈りします






園内のモニュメント巡り

2015年07月08日 16時46分21秒 | 所沢航空記念公園


今日、妻はDSへ。午後からは雨の予報だから早や目に公園を歩くことにした

平日だから行き交う人も多くはないが、そのほとんどは高齢者の方だ

しかし、意外と若い女性も多い、何故だろうか?

今日は園内にいくつかあるモニュメント巡りをしたが
そこには必ず説明の銘版があるのでそれもご紹介しよう

20世紀で凄い進化した学問は 「聖書考古学」 と 「原子物理学」 だと聞いたが
それ以上にハイスピードで進化したのが 「航空機」 だと思う

あのライト兄弟がノースカロライナ州キティホーク近郊にある
キルデビルヒルズにて12馬力のエンジンを搭載した
 「ライトフライヤー号」 によって史上初の有人動力飛行に成功したのは
1903年12月17日のことだった

それから8年後の1911年には日本で始めての 「所沢飛行場」 が開設されたが
当時の日本航空界草創期は多難な時代でもあった

その後航空機は驚くばかりのスピードで進化していったが
現在の航空機を見たらライト兄弟は何とコメントするだろうか?

園内にはそんな苦難な草創期を想い出される幾つかのモニュメントがあるが
由来は銘版の説明を見てください

まずは 「フォール大佐の像」 です








次は地上展示されている 「C46輸送機」 です






次は 「航空整備兵の像」 です






終わりは 「我が国最初の航空犠牲者・木村、徳田中尉像」 です










当時の飛行機は風まかせ
風は友達だが、ときにはその風で命取りになることも
しばしばあったことでしょう

それでも 「飛行機野郎たち」 は
空に無限の夢を抱いて飛びたいと願ったことでしょう


    写真説明: 園内にあるモニュメント
    撮影場所: 所沢航空記念公園 (H270708 撮影)


織姫さんと彦星さん

2015年07月07日 17時42分39秒 | 空堀川散策


今日は 「七夕」 、織姫さんと彦星さんの逢瀬は叶うのでしょうか?

年に一度の逢瀬、再会した喜びの程度は如何ばかりでしょうか?

だがたまに逢うのもいいかもしれません
私たちのように朝から晩まで終日いつも傍に居ると
お互いの価値が判らなくなってしまうからです

でも好きなのに逢えないのは侘しいものでしょうが
この天気では織姫さんと彦星さんも雨具持参かもしれません

そんな 「七夕」 の今日も曇り空の中、空堀川沿いを妻と散歩した

まずは左岸を歩くと、民家の庭にブルーベリーの実が成っていました
この実は熟すとその名の通りブルーになりますが
今は赤い色したブルーベリーもあるそうです




もうアジサイも盛りを過ぎましたが
私たちが散歩するコースで一番早く咲いたのがこのアジサイの木でした

この木ではもう花も終わったのですが
上部にまたこのように新しいアジサイが花開きました




この建物は都営住宅の1~3号棟ですが
このような住宅に入るのは条件が厳しいのでしょうか?

子だくさんの人は優先? と、聞きましたがそうなんでしょうか?




帰りはこの消防分署を見ながら左折して左岸を歩きます

この分署を見るとある想い出が蘇ってきます

かつて妻の様子がおかしいので110番へ電話したが
救急車はこの分署から出動したのです
この分署の傍を通る度にその日のことを想い出します




民家の敷地からはみ出した樹木はご覧のように公道へ越境中です

こうなったらもう個人の手に負えなくなってしまいますが
樹木を植える時は5年先の木姿を想定して場所を選ばないと
このように伸び放題です




秋には真赤な色に変色するピラカンサも
今はまだこのような色で梅雨を越すようです




左岸沿いにはたくさんの民家がありますが
写真のようにいつも整った手入れをしている民家もあります
庭も綺麗に整備されているようです




さあ~て、織姫さんと彦星さんが逢ったらどんな話をするのでしょうか?


    写真説明: 今日みた風景
    撮影場所: 空堀川沿いにて (H270707 撮影)



素晴らしい準優勝だった

2015年07月06日 10時46分15秒 | ちょっと一言

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

雨に咲くベゴニア

ある民家にて



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 ”ああ、感動した” とまだ余韻が残る 「なでしこジャパン」 の決勝戦だった

初戦のスイス戦で負傷離脱したあんち (安藤選手) もベンチ入りして23人全員のベクトルが一つの方向に向ってフルに力を発揮した試合だったが、素晴らしい準優勝だったし、私は 「なでしこジャパン」 に大きな金メダルを上げたいと思った

前回優勝だからそれなりのプレッシャーを受けながら、他のチームからは徹底的に研究されたはずだが 「なでしこジャパン」 もそれ以上に練習の精度を上げたことであろう

私が特に応援するのは澤穂希選手。36歳ながらW杯に六度も出場している経験豊富な選手だが、年齢を感じさせないあの機敏な動きはままだまだ現役選手として活躍できるから、七度目のW杯出場だって可能だ

その澤選手が前回アメリカとの決勝戦で鮮やかなシュートを決めた瞬間をまた想い出した

そして日本国民に日本女子サッカーの存在を知らしめたのは澤選手たちが不屈の精神で地道にひたすらボールを蹴り続けたからだ

今回のW杯で頑張った 「なでしこジャパン」 の選手たち、また佐々木監督の采配も見事で、見応えのある試合だった

少しゆっくり休んで、これからも私たちに感動する試合をまた見せてください

 「なでしこジャパン」 の皆さん、お疲れさまでした
胸張って日本に帰ってきてください






また一つ歳が増えました

2015年07月05日 09時26分04秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

サルビアガラニティカ

隣家の庭にて
(H270705 撮影)



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今日は妻の誕生日

これでウサギとサルの総年齢が146歳になった

いろいろあったが今年はあまり波風も立たずに時が過ぎて誕生日を迎えられたのは有難いことだ

だが幾ら歳を重ねても願う条件は ”いつも元気であること” でなければならないが、そうでないと年寄りとしての楽しみが無くなってしまうからだ

さて、さて、妻の場合はどうかなあ~? 少し条件に合わないかもしれないが、現状で ”良し” とするしかない

でも考えてみれば妻は生活のことも、経済的なことも、そして全てのことに関わりを持たないから、そんな生き方を表現すれば ”今は幸せ” と言えるのかもしれない

妻が元気な頃、この日は必ず二人で和風レストランでお祝いの食事をしたのだが、今はそれも叶わなくなってしまった

午後からは長男夫婦、次女夫婦もお祝いに来ると連絡があった。妻にどのような贈り物を持ってくるのだろうか? 妻に代わって私も楽しみにしている

9時過ぎの外気温は20度、ちょっと寒いようだが、雨が音たてて降っている







空堀川沿いを歩く

2015年07月04日 14時26分48秒 | 空堀川散策
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

右岸から大沼田橋を望む

空堀川沿いにて
(H270704 撮影)



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現在、梅雨本番中なり

今日も雨が降ったり止んだりで、どんよりと厚い雲が頭上を覆っている

昨日も妻を散歩させなかったので、今日は雨の合間を見計らって空堀川沿いを歩くことにした

9時半過ぎ、傘持参で家を出て百メートルも歩けばもう空堀川の遊歩道に出る

今日は空堀川も水が流れていたが、梅雨時(つゆどき)の雨を一番喜んでいるのはこの空堀川かもしれない

いつも水の流れていない空堀川を見ているが、やはり川には水が流れているのが当たり前の姿でもある

だが、水が流れている両側の河川敷は雑草たちの天国になっている

春先には造園業者がここを雑草刈りをしたのを記憶しているが、もうこのように伸び放題になっている

もう何年もこの川沿いを歩いているが、年々雑草の勢いが増しているようにも感じられるが、地球温暖化の影響もあるのだろうか?

我が家が見える場所に来た時、ポツリポツリと雨が落ちてきたが、傘も使わず、雨に濡れもせずに、短い時間の散歩だったが妻もよく歩いた

14時過ぎの外気温は25度、室内の湿度計は94%

 ”蒸し暑い” の一語に尽きる今日でした






雨、そして雨の一日でした

2015年07月03日 20時32分17秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

何を考えているの?

所沢航空記念公園にて
(H270702 撮影)



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今朝も5時、起床
 ”よく寝たね、もう起きなさい” と、急き立てるように激しい音がして雨が降っている

今日は終日雨か? と、まず妻が着る物を選ばなくてはならない

気温はそんなには低くはないが、陽射(ひざ)しがないから梅雨寒(つゆざむ)かもしれないので、取りあえず長袖シャツを着せてみた

6時前、新聞を取りに表に出てみると本降りの雨だ

雨が降って困るのは 「洗濯物の乾きが充分でないこと」 と 「日課の散歩が出来ないこと」 の二つがまず頭に浮かぶ

洗濯は家庭によっては纏めて行う人もいるようだが、私は量に関係無く 「洗濯毎日派」 だから干すのも毎日となる

雨の日は内干しになるが、この時期でも時間が立てば結構乾くが、天日のお世話になった乾き方とはやはり違うのは我慢するしかない

散歩は雨だからどうしようもないので、雨の上がるのを待つしかないが、今日は諦めることにした

10時前、雨はまだ本降りだが、妻と車で近くのスーパーに買い物に行った

昼食は 「()ったかウドン」 にしようとその食材を買った

買い物を終わっても、外はまだ本降りの雨だった

午後、妻は録画したお気に入りの 「歌ビデオ」 を見ていたが、3時のオヤツは妻が大好物の 「ドラ焼き」 を食べた

かつてはこのドラ焼きが大好物なんて知る由もなかったが、病気してからそれを知った

これから妻に手土産を頂く時はぜひこの 「ドラ焼き」 をお願いします。と、厚かましいお願いになったがご容赦ください

雨の日、こんなことが我が家のショート・ニュースでした







R-2800 エンジン

2015年07月02日 19時55分39秒 | 所沢航空記念公園


今日、妻はDSへ。私は独りで所沢航空記念公園に行った

最近は散歩のメインコースが空堀川沿いになったので
公園にはあまり行かなくなったが、前に来たのは6月4日のことだから
約一カ月ぶりの園内だった

今日は朝から梅雨モードでどんよりした雲が低く立ち込めているので
園内も何となく暗い感じだ

まず出迎えてくれたのは、池の近くにある 「コブシ」 の実
もうこんなにしっかりとした形になっていた

この実を見ているとやはり千昌夫が唄う 「北国の春」 が想い出されるが
見れば見るほどこの実は 「コブシ」 がぴったりの名前だ




道路(はし)にムクゲが咲いているが
この時期なのにもうこんなに上の方で咲いている

確かこの花は、10月頃まで咲くのではなかったか? 
空堀川沿いのムクゲと比べると早い咲き方だ




放送塔から南側に下る長いスロープ状の花壇には
真赤な 「サルビア」 が植えられていた

日の光が弱い梅雨時の花壇だが、それが幸いして
この真っ赤なサルビアは鮮やかで、一段と映えている








ここに日本で最初の 「所沢飛行場」 が開場した
2011年4月5日、徳川大尉が 「アンリファルマン機」 で
初飛行したのがこの飛行場だった




この写真が滑走路だった頃の一部です

前方が滑走路の西端で
写真手前から時計塔辺りまでが滑走路のようでした

現在の滑走路と違ってコンクリートでは無くて
草地の路面だから、操縦士も苦労したことでしょう




今日はC46輸送機のエンジンだけに絞って撮ってきました

このエンジンは米国のプラット・アンド・ホイットニー 社製の
R-2800 (通称:ダブルワスプエンジン) で
空冷星型18気筒エンジンで2000馬力です

第二次世界大戦中、アメリカはこのような大出力エンジンを量産しましたが
このエンジンは輸送機だけではなく
爆撃機や戦闘機にも採用されましたから
日本のゼロ戦もこのエンジン搭載の戦闘機は脅威だったはずです




C46輸送機を囲むフェンスにはスズメがたくさん羽を休めていたが
この梅雨空でスズメも(ひま)のようでした




 「お花畑」 のコスモスを撮っていたらポツリポツリと落ちてきた

雨具無しだったので、慌てて早足で駐車場に向かいましたが
もう少しコスモスを撮りたかった、と残念でした




    写真説明: 今日見た風景です
    撮影場所: 所沢航空記念公園にて (H270702 撮影)