入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「秋」 (46)

2019年10月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 きょうも雨。昨日上は今秋では最も寒い一日で、気温は昼になっても10度にならなかった。ただそれでも、もう晩秋と言ってしまったら、雨に濡れながらもまだ森を華やかにしているカエデやウルシ、その他の多彩な色合いを見せている広葉樹を見限るような気がする。それらの木々の落葉がもっと進み、遠くの山が根雪を輝かせるようになったら晩秋、氷が張り水道の冬支度に入ったら初冬、といった感覚だろうか。あくまでも個人的には、だが。



 昨日、テイ沢へ丸太橋をかけ直した経緯を呟いた。協力してくれた人たちのことに触れなかったが、1回だけという人も入れたら10人以上、かなりの人数になる。何人か女性もいた。
 それで、これからあの丸太橋を存在させるべきか否かの話になるわけだが、残念なことに牧場の管理人にはあの沢や橋の管理権などは与えられていない(もしそんな権限があれば、まず一番にテイ沢を禁漁区にしたい)。強いてできることは、橋を保守し続けるか、それを止めるかぐらいの選択権しかないだろう。
 丸太橋を修復した結果、訪れる人が増え、入笠に新たな名所ができたと喜ばれた。それに対して、あの沢独特の「静かな雰囲気が壊れてしまう」という考えの人も出てきた。このところ幾日も静かな沢の中で仕事をしながら、一人きりであの雰囲気を感じていたから、それも分かる。
 まず確認しておきたいが、あの丸太橋は素人が架けたもので、安全性の面からすれば保証の限りではない。小さな子供を連れたり、足元の覚束ない年配者を見ていると不安を感ずる。丸太橋はどれも流れることを覚悟し、前提にしているから、どの橋も枕にしている丸太や石の上に乗せているだけだし、手摺はできるだけ付けないつもりでいる。先日の台風で崩落した所もあり、それなりの注意、緊張感は必要な沢だと思うし、入笠の他の場所と違い行楽気分で訪れてもらっても困る。それと、美しい谷は静寂が似合う。谷の流れも不協和音を嫌う、そう心得てもらえたら有難い。
 丸太橋を不要と思う人には、あの程度の沢だから、と考えてもらえないだろうか。入笠の周辺には、滅多に人が入渓することのない水量も豊富で、美しい沢や谷がある。実力者にはそういう場所で、ぜひ本格的な沢を楽しんでもらい。

 岩登りを始めた動機は、自然から選ばれるような存在になりたいと思ったからだった。それを果たせたとは思わないが、それでも、前穂からA沢を奥又白池へと下る際に目にした一面の花畑、極北の地で眺めたムーストゥースと白夜の空の色などなど、全くなかったわけではない。

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     ’19年「秋」 (45)

2019年10月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 こういう山道を毎朝上ってくる。きょうは時折霧が林道にも流れ込み、季節の趣をいっそう味わい深くしていた。落葉松の林の雑木林の種類と数の多さも、それらが華やかな彩を見せる紅葉の季節でなければ、恐らくは気付かないで通り過ぎてしまう。



 テイ沢は上流の湿原ヒルデエラ(大阿原)と同じく、営林署の管轄だった。ところが林野庁は1999年に大規模な改組、再編を行い、職員数も大幅に削減されてしまったと聞く。林業が不振に陥ったからだろう。
 山の中に職員に使われていた管理小屋が放置され、朽ちたままになったているように、テイ沢の丸太橋も、そうした見捨てられた管理小屋と同じ運命をたどったものと思われた。そのままにしておいては明らかに危険な状態だったから、管理署の職員にも状況を知らせ、見せたこともあった。しかし、それだけだった。
 ならばと、橋を新しくするからせめて近くで伐採している木材だけでもと頼んだら、「国家の財産を何と心得ているのか」と一喝され、相手にもされなかった。彼らのしたことは、沢の入り口から少し登った落葉松の幹に、ビニールケースに入れたる注意書きらしきを1枚貼り付けただけだった。
 当時は、入笠の観光地化を熱心に進める富士見町への対抗心もあったから、伊那側にもこういう素晴らしい沢があるのだと、何としても整備して、もっと登山者に知らせようと考えた。それと、毎夏1週間くらいの間に、東京の私立中学の生徒と教師が、1日に100人くらい、合計すれば500人も、この沢を登ることを知っていた。そのことも懸念の一つとしてあることはあった。
 結局材木は、入笠山へ行く林道の脇に実生から生えた落葉松があり、それならば伐ってもよいという許可を伊那市から得た。そしてその後のことはすでに呟いた通り、多くは、管理棟の奥の落葉松を間伐した。

 最初のころは、どうしたら入笠の伊那側にも人を呼ぶことができるかと、そればかりを考えていた。この独り言もその一例だが、それから幾年になるのか、当時とは大分考え方が変わった。観光が、本当に地域起こしになったり、活性化に繋がるかという問題と併せて、その弊害も各地で目にするようになったからだ。
 明日もう少し呟くが、手許の2万5千分の1の地図には、テイ沢を高巻く登山道が記されている。

 また週末は雨のようだが、高い山は雪になるかも知れない。3日前に降った仙丈の雪は根雪になりそうだ。

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     ’19年「秋」 (44)

2019年10月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  昨日我が家に来てくれた北原のお師匠から仙丈に雪が降ったと聞いた。その夜TDS君からも電話で知らされた。その初冠雪の様子を実際に目にしたのは、今朝ここへ来る途中だった。北アは後立山はもちろんの雪化粧をしていたが、最も山腹を白くしていたのは穂高と槍で、中アは駒ヶ岳から空木岳まで、八ヶ岳も確認できた限りは天狗や硫黄の頂上は白かった。思いの外季節の進むのが早い。
 きょうの写真は第1牧区から北アルプスを撮った。いつもここにきて感じるのは空の大きさだが、この写真からは残念ながらそれを伝えることができそうもない。



 丸太橋は、大水が出れば流されることを前提に架けると教えられた。だから、3本か4本ぐらいの丸太を結束して、流れの両端に据え、後は流されても流失しないようにロープを近くのしっかりとした木に結んでおくのだと。それ以上のことをしても、流されたら丸太を1本いっぽん分解しなければならず、手の込んだことをしても無駄なだだけだとも言われた。そのことは、今回の場合ばかりでなく、体験上充分に学んでいるつもりだ。
 これは一昨日も呟いたが、あの沢を、子供や年配者でも通るれるようにしておくべきか否かということだが、それについて「それなりの覚悟を持ったハイカーさんのみに楽しんでもらいたい」という意見が、T中さんから昨日寄せられた。渡渉を想定した上で入渓するから、丸太橋は必ずしも必要ではないということのようだ。丸太橋をかけている本人が言うのも何だが、あの静かな沢のことを思えば、そういう考え方があってもいいし、賛成したい気持ちもある。
 ただ、あそこには以前から丸太橋があって、それがしかし、あまりにも古く、危険であったため、見かねてやり始めたことだが、さて・・・。(明日、もう少し)。

 赤羽さん、久しく沙汰がなくどうしているかと思っていたら、それは大変なことだったですね。また、語りましょう。そうですか、彼女は干し柿が好きなんですか。U松さん、ペグは大事だと、友人は分かってくれたんですね。そうです、体力が要ります。

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     ’19年「秋」 (43)

2019年10月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうは上にいかなかった。雨だったらそうしようと、昨日のうちに決めていた。そのせいか、8時過ぎに床に就き、夜中2時ごろに一度目が覚めてビールを飲み1時間ばかり妄念を相手にしたが、なんと合わせたら優に10時間以上も惰眠を貪ったことになる。起きたのは9時近かった。それだけ疲労が溜まっていたのだろうが、これだけ眠れるというのは体力があるという証拠でもある。
 農休みというか牧休み、まず朝風呂に入り、昨夜作って殆ど手を付けなかった石狩鍋を温め・・・、日本酒1合とビールを1本を美味しく頂いた。その後は格別することも思いつかぬまま、雨音を聞きながら呆けている。

 午後から都では即位の礼が行われ、それに伴う海外からの要人の来日で、さぞかし交通は混乱しているだろう。昭和の大喪の礼と平成の即位の礼が記憶の中で混乱している中、あれから30年も過ぎたのだとは・・・、当時は都にいてその有様を目にした。次の御代には同じ感慨を味わうことはいないだろうと、祝意を込めてもう1本の熱燗に手を伸ばす。
 
 午後からわが陋屋に北原のお師匠がおいでになり、いろいろと語る。例の日本酒「法華道」もわざわ持ってきてくれた。横槍を入れそうな者の一人に、弟子も入っていたのではと問い質し、そうだと言われて大笑いをした。いくら師と弟子でもいろいろと考え方、意見の相違はあるだろうが、これに関しては好企画だと思っている。師にそんなふうに思われてはまだまだ精進の足りない証拠だろう。

 夕暮れが始まった。久しぶりに目にする寂しい風景だ。柿の老木、今年はいつもの年に比べて実の付きが悪い。それで、しかし、どうということはない。もう、干し柿を作る人もいない。
 明日はまずまずの天気、テイ沢が待っている。

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     ’19年「秋」 (42)

2019年10月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 普段に使っている芝平経由の山道は、19号台風のせいで通行止めになっている。やむなく千代田湖経由で来るのだが、5キロ距離が長くなる上に、変化に富んだ山室川に沿った山道とは違い単調な登りと下りとが続くだけで、何かの用があるときにしか通らない。ただ今の季節は別で、黄色や朱色に色付いた木々の葉を存分に堪能しながら上がってくるから、それで文句も言わずに何とか毎日通っている。時間的にはどちらから来てもほとんど変わらない。



 北原のお師匠の「古道・法華道」に寄せる思いの強さには、ただただ脱帽するのみ。ついには地元の酒蔵を口説き落し、10月1日からなんと「法華道」という日本酒まで発売させることになった。そのことが先月の20日に地元紙の「長野日報」に写真入りで報じられたが、その前日まで弟子にも明かされなかった。19日にお師匠から電話がありそれで知るところとなったが「どこからか横槍が入るのを恐れて」という理由で、この企画は極めて限られた人だけで進められたようだ。


 
 法華道は芝平の諏訪神社口から昨年の11月、「グレートトラバース」の田中陽気氏も登っているが、この古道を訪れる人の影は薄い。ふたつある法華道のうち、芝平の諏訪神社口には立派な石碑が立っているし、古道に残る地名は師の立てた標識が教えてくれている。また、荊口の赤坂口からは種平小屋夫婦が古道の整備を一手に引き受けてくれ、こちらも諏訪神社口に負けていない。
 にもかかわらず、何故か。伊那市と富士見町が共同で出している入笠山の案内図を見てみればいい。古道に関心があり、地図を読める人が訪れれば、ふたつの道はなかなか趣のある山歩きを提供してくれるが、あの案内図には緑の破線が1本描かれているだけ、それも弘妙寺の辺りに降りていて、まったく何も伝えていない。

 海老名出丸さま、あの2本の丸太のうちの重い方、本日ようやく5番目の橋があった場所まで運ぶことができました。2本の
足が胴体にめり込むかと思いました。
 確かに「花子山」なら深窓の令嬢に譬えることができても、「権兵衛山」では駄目でしたね。

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