かたれやまんば第5集/藤田浩子の語りを聞く会/2003年
河童というと古い世代?では、清水崑の艶めかしい河童を思い浮かべるが、外国の昔話をよんでみても、河童に類したものはあまりお目にかかれない。
河童については、河童の川流れ、河童の木登り、陸へ上がった河童などのたとえがあって、日本ではおなじみがあるが、なじみがあるように思っていても日本独自のものの一つのようである。
河童は頭のお皿の水がなくなると怪力がうしなわれるようである。
<かっぱと五十集屋>
五十集屋とは聞きなれないが、どうも魚を商う人のよう。
この五十集屋が、子どもにいじめられている河童を助けたことから、次の朝、起きてみると家の前に魚がどっさり。次の日も次の日も魚がおいてある。
楽をしすぎると不精になってしまうと、川の中へ、もういらねえぞうというが、律儀な河童は一年の間は例をするという。
一年が過ぎて、それから半年ばかりは、ためた銭っこで楽をするが、やがてその銭っこもなくなる。
この五十集屋、魚釣りにいくと、糸にかかったのは河童。この河童、じつは河童の神様で、助けてくれたら一生分の米をくれるという。
しかし、神様が届けてくれたのは米俵一俵。
この米俵がなくなって、神様が追加の米俵をもってくれるのを期待していた五十集屋。雷が落ちて亡くなってしまう。
河童の神様、ちゃんと必要なだけの米俵しかプレゼントしてくれなかったという話。
河童はちゃんと先をよんでいたいたようです。
河童をほかのものにかえると、いくらでも類似した話ができそうです。